窓から注がれる、新しい朝の光。にぎやかな小鳥のさえずりの音で、あかねは目を覚ました。
「おはよう。よく眠れたかい?」
「…あれ?ともちゃん、どうして……」
開いた瞼の奥の瞳に、今日最初に映ったのは友雅の顔だった。
朝食の用意ができたということで、ついでに起こしにやって来たのだと言う。
朝の風がすうっと部屋の中に流れ込み、レースのカーテンをはたはたと揺らした。
あかねの眠るベッドから降りて、友雅はこちらに背を向けて窓から外を眺めた。
「良い天気で良かった。やっぱり日本じゃなくて正解だったね」
ぼんやりと、揺れるカーテンと友雅の背中を眺めてみる。そして、改めてこれからの事を考えてみた。
---------今日、私はこの人の妻となる。
あと数時間後には、純白のドレスに身を包んで、彼とともに生きて行く事を誓うのだ。
永遠に、一緒に生きる。そう、健やかなときも、病めるときも……一緒に。
一人だけの人生じゃなくなるのだ。お互いの人生が、自分の人生となる……永遠に。
十分に分かっているはずなのに、何故だか目の前に迫ると不思議な気持ちになる。
自分の事なのに、なんだか真実味が湧いて来ない。
誰でもこんなものなんだろうか?
「さあ、早く着替えなさい。花嫁の遅刻は厳禁だよ」
振り返って微笑んだ友雅の笑顔が、やけに眩しくて……あかねはいつも以上に鼓動が高鳴った。
+++++
「失礼。通訳代わりに、私が花嫁の部屋にお邪魔することを許してもらったよ」
教会のドレッシングルームに、顔を出したのはヨハネスだった。
花嫁の身支度を手伝う女性たちは、そろって日本語がわからない。そんな中にあかねを一人置いて行く訳にもいかず。だからと言って、新郎が顔を出すわけにもいかないため、急遽ヨハネスに友雅が依頼したらしい。
既にドレスの支度は終えていたらしく、ドアを開いたときに真っ先に目に入ったのは、真っ白なドレスに包まれている、天使のような花嫁の姿だった。
「花婿の友雅に申し訳ないな。こんな愛らしい花嫁を、彼よりも先に見てしまうなんて恨まれそうだ」
そう言って笑ったヨハネスは、用意して来たウェディングブーケをあかねに差し出した。
クラシックな形のピンクと白のバラを集めたブーケは、鮮やかなグリーンのリボンをあしらって、純白のウェディングドレスによく映える。
「素敵なお花…どうも、ありがとうございます」
「友雅には、とっておきのワインをフルボトルで渡して置いたから、後で二人で味わって楽しむといいね」
あかねは笑って、何度もヨハネスにお礼を言った。
夫人とメイド達にあれこれと身支度を整えられ、最後にベールを上からそっと掛けられて、銀細工のティアラでしっかりとセットする。
「うん、やはりベールとティアラがあるとイメージが確立するね。素敵な花嫁さんだ。」
言葉は分からないけれど、夫人達もあかねの花嫁姿を見ては、嬉しそうに微笑んでいる。それを見ていると、なんだか嬉しくなった。
鏡に映るのは、確かに自分。
だけど、このドレスを身に着けた時から……これまでの自分ではなくなる。
これから、彼の待つところへ歩いて行くのだ。それは、行動でもあり、そして心の中でも。
「あかねの様子は、どうだった?」
ヨハネスが友雅のドレッシングルームに戻ってくると、開口一番、そんなことを尋ねられた。
花嫁の部屋と比べると、新郎の部屋は質素なものだ。華やかさも何もあったもんじゃない。
「向こうの部屋には、可愛らしい天使がおられたよ、ドレスとティアラを身につけてね。あんな天使を手に入れられる男は、幸せ者だろうね」
「確かに。世界一の幸せ者だろうねえ、その男は」
そんなことを口にした友雅に、ヨハネスは軽く背中を突いた。
「さて。向こうはもう支度は済んだんだろう?だったら、ちょっと覗いて来ても構わないだろうね」
友雅は立ち上がると、ドアを開けて外に出て行こうとした。慌ててヨハネスが、それを止める。
「待ちなさい。花婿は、式の前に花嫁の姿を見るのは不吉だ、という言い伝えがこちらにはあるのを知らないのか?」
ヨハネスに言われて、友雅は立ち止まった。二回ほど、こちらで結婚式に立ち会ったこともあったが……記憶は定かではない。
というか、あくまでもこれまでは第三者としての参加であって、新郎と新婦として参加するのは初めてなのだから、どんなことが定説なのかなんて、正直なところよく分からない。
「でもねえ、私もあかねが正式に私の妻になる前に、どうしても話しておきたいことがあるのでね。」
「…後では駄目なのか?」
「今、話さないといけないと思う。だから、意味があるんだ。これからの私たちのために、どうしても…彼女に伝えたいことがあるんだ」
どうするか?自分が神父だとしたら、友雅を戒めるだろう。だけど-------。
新しい人生をこれから歩いて行く二人の、門出を規律で抑え込むのは正しい事か?
彼が何を伝えようとしているか分からないが、それが彼らを祝福するひとつの儀式になるのだったら…。
「神父には黙っておこう。それと、夫人達にも何とか言って口止めをしておく。あまり、長い時間を費やさないようにするんだな」
ヨハネスに一言礼を言った友雅は、すぐ裏手にある花嫁のドレッシングルームへと向かった。
+++++
心音の速度が、どんどん早くなって行く。
鏡の中の自分を見ながら、この姿の意味を考える。
夢に見た、瞬間がもうすぐやってくる。小さい頃に抱いた夢が叶う。
『ともちゃんのお嫁さんになる』
最初に思ったのは、いつの事だった?思い出せないくらい、遠い昔。
だけど、そんな気持ちは色あせる事もなくて、再会するまでの間もずっと心に抱いてた。子供の戯れ言みたいで誰にも言わなかったけれど、ずっとずっと同じ事を考えていた。
確実な約束なんて、なかった。願いが叶う確信もなかった。
でも、それでも……諦められなかった。初めて、好きになった、その人のこと。
「花嫁さん、式の前に少しお話でもしませんか?」
鏡に映るベールをまとった自分の後ろに、彼の姿が映っていた。びっくりして、思わず息を呑む。つい今まで、彼の事を考えていたところだったから。
透き通った花柄のベールを両手でつまんで、鏡の中のあかねに声をかけた。
「見違えるくらい、綺麗な花嫁になったね。よく似合ってる。」
ウェディングドレス姿の自分と一緒に、ひとつのフレームの中に映っている友雅は、シャンパンベージュカラーの、至って普通のタキシードスタイルなのだが、こうして一緒に映っているのを見ていると、ちゃんと新郎と新婦に見えるのが、ちょっと不思議に思える反面、妙に彼を意識してしまって…更に鼓動のリズムが早まる。
もうすぐ夢が叶うのに、嬉しさを噛み締める余裕がない。
鏡を通して見つめられているだけで、息が詰まりそう。
友雅の手が背後から伸びて、クロスの形であかねを包む。パールのイヤリングが光る耳元に、彼の唇がそっと近付く。
その一部始終が鏡に映って、第三者のような目で見届ける。
「誓いのキスには早すぎるね」
ぎゅっと強くあかねを抱きしめて、友雅は彼女から離れた。
「ど、どうか…したの?何か大切な用事があったの?」
部屋の隅にあるソファを引き寄せて、腰を下ろした友雅を鏡越しに見て、あかねは後ろを振り返った。
「いや。夫婦になる前に、少しあかねと話しておいた方がいいかな、と思ってね」
彼の口から飛び出した『夫婦』という単語に、また心臓が過剰に反応する。自分になんか縁のない言葉だと思っていたのに、その瞬間が目の前まで来ているなんて。
「そういえば…ヴァージンロードのエスコート役だけれど、ヴァンゲル氏が是非というのでお願いしたよ」
「えっ?嘘、ホントに?そんな大役、頼んじゃっていいの?」
いくら何でも花嫁をたった一人で、入場させる訳にも行かない。
「本当は、あかねのお父さんに頼むべきなんだけれどね。ここは、私の父親代わりというわけで、彼に任せるよ」
友雅は笑いながら、そう言った。
思い出した。そうだ、あのこと……。気になっていたあのこと、友雅に聞かなきゃいけないと、ずっと思ってたこと。
二人きりの今だからこそ、ちゃんと話さないといけない。
「ともちゃん…?あのね…」
切り出したあかねの口元に、友雅の視線が移る。
「あの、ね。ずっと…話そうと思ってたことがあるの…」