Happy Song

 002

「あんたが、あんなこと言い出したもんだから、お父さんがっかりしちゃったわよ」
実家に帰ってみると、母からそんなことを言われてしまい、思わず苦笑するしかないあかねだった。
予想はしていたが、やはり少しだけ罪悪感がよぎる。
嫁入り前に父をがっかりさせるなんて、親不孝をしてしまったかな、と考えもしたけれど、友雅にあんなことを言われてしまったら、断りきれないことは母も分かっているだろう。
取り敢えず、友雅も後日改めて父と話してくれると言ったし、その他のフォローは母に任せよう。

「で?ドレスはどういうのに決めたの?早く見せなさいよ」
薔薇の形が浮き彫りになった、真っ白のパンフレットを覗き込む母が、少し浮かれているようにも見える。
年齢差があるとは言え、こういうことは女性なら興味津々ということか。
「えっとねー、いくつか試着してみたの。やっぱりカッコいいのは、マーメイドラインだと思ったんだけど…」
「あんたのイメージとは、ちょっと違うでしょ」
間髪入れず、容赦ない言葉が返ってきた。
「分かってるよ、そんなの…」
大人っぽくてすらりとしたマーメイドラインのドレス。
去年、友達の結婚式で見てから、いいなと思っていたのだが。
すそが花弁のように広がって、文句なしに綺麗だと思ったのだけれど…『イメージじゃない』と言われたのは、実はこれで二度目。
最初に言ったのは、一緒に試着に出かけた友雅だ。
もちろん、やんわりと『お姫様みたいな、ふわっとした可愛らしいものが、あかねには似合うよ』と言ってくれたけれど。

「で、結局……これにしてみたの」
そう言って開いたパンフレットの写真は、オフショルダーにオーガンジーのコサージュが飾られているドレス。
長いトレーンはたっぷりのフリルをあしらい、充分なドレープの入ったプリンセスラインは、まさに絵本のお姫様のようなスタイル。
「ああ、良いんじゃない?可愛いじゃないの。若いうちに結婚するんだから、これくらい可愛い感じのが良いんじゃない?」

母の言葉に、驚いた。友雅も、同じようなことを言って、このドレスを勧めてくれたからだ。

『今しか着られないような、思いきり可愛いドレスの方が良いんじゃないかな。スレンダーなドレスなら、これからまた着られる機会があるだろうしね』

数着を選んで、最終的にあかねが気に入ったものを選ぶようにと言われて、決めたのがこのドレスだ。
理由は、昔見た映画の中でヒロインが、似たようなドレスを着ていたのが印象に残っていたから。
もちろんルックスは段違いだけれど、ハッピーエンドのラストシーンでのドレス姿は、やっぱり忘れられない。

+++++

「ふうん…結構雰囲気の良さそうなところじゃない」
次に母に見せたのは、披露宴の会場として予約したレストランのパンフレットだった。
周囲は新緑の深い緑に包まれ、ダークブラウンのログハウス風の佇まいは、昼は夏の日差しを緑の香りでシャットダウンさせ、夜になると、キャラメル色のキャンドルライトによく映える。
松下の主人…あかねたちの頃は教頭だったが、今は姉妹校の校長をしている上森の持つ別荘の近くにある店で、常連客ということもあり、貸し切りのスケジュールもすんなりと受け入れてくれたようだ。
「それで、どれくらいの人数になりそうなの?招待客は」
パーティープランのコース料理に目を通しながら、母は既に氷の溶けてしまったアイスティーを口に運ぶ。
「うん…まあそんなに入らないと思うから、友達は…10人くらいで良いかなと思って。あと、うちの親戚の人たちとか…?」
ざっと考えて…今予定しているのは、大体20人〜30人程度だろうか。
「こっちは良いとして、友雅くんの方は?いくらなんでも、招待する人はいるでしょう?」
「うーん…それがね、校長先生と、その奥さんと…ともちゃんは、それだけで良いって言うんだよねえ」
「それ、招待客じゃなくて仲人さん御夫婦じゃないのよ。他にいないの?…相変わらず、付き合いの浅い子ねえ、まったく」
呆れたように、ため息をついた。

敵を作るタイプではないが、それはすべて付き合いの浅さのせいだ。
学生時代にこの家で暮らしていた時も、一度足りとも友人を連れてきたことはなかったし、休日も誰かと出かけるという話は数えるほどの回数だった。
つるむような友人関係は、一切築かない。来るものは拒まないが、自分から一歩踏み出すことはない。
昔から、友雅はそんな男だった。
「そういうところが、似てるのよねえ…姉さんと。あの人も、すすんで友達を作る人じゃなかったから。知人は多いけれど、友達は少ないタイプだったわね」
グラスを持った母の手が、溶けた氷の水滴できらりと濡れて光っている。

「ともちゃんの…お母さん…だよね。私、一度も会えなかったけど。」
あかねの母は、四人兄弟の末であったため、一番上の兄弟とは結構年が離れている。友雅の母が長女で、あかねの母と友雅の母とでは、一回りの年齢差があった。
身内の贔屓目を差し引いても、兄弟の中で飛び抜けて見映えのする人だったのだと噂に聞いていたが、一度見せてもらった写真を見た限りでは、なるほど納得せざるを得ない。
少しでも自分と同じ血が流れているとは、ちょっと信じがたいくらいに。

「姉さんが亡くなったのが、確か友雅くんが中学生の頃だったかしらね。もう随分経つのねえ…」
丁度、あかねの両親が結婚して間もない頃だった、と聞く。まだ40にもならない若さで、悪性の病魔に蝕まれてこの世を去ったのだそうだ。
「ともちゃんにピアノ教えたのは、叔母さんなんだよって聞いたっけ…」
ピアノを弾くのが好きで好きで仕方がなくて、みるみる上達した彼女だったが、それらで食べて行くつもりはないと良い、最後まで趣味として楽しんでいたらしい。
それなりに技量は評価されていたので、勿体ないと周りは言ったが、本人は『純粋に好きなことを楽しみたい』と繰り返し言っていたと聞いた。

「あはは、そういう無欲なとこって、ともちゃんにもあるよね。音楽の先生なのに、あんまり熱血指導しないし、適当にやってごらん、みたいな感じだしね」
音大志望のつもりで放課後のレッスンを受けていた時を思い出す。
身内相手だからかな、と思っていたけれど、他の音大進学組のクラスメートに聞いたところでは、誰にでもそんな感じの指導だったと言う。
それでも、教えるポイントは的を得ているので、受験には全く無駄のない指導として評判も高かったらしい。
…まあ、あかねは途中で進学を断念してしまったが。
「それでも、先生になっただけマシかしらね。せっかくのピアニストデビューの話を断っちゃって。何考えてんのかって心配になったわよ。」
「何かね、ピアニストになったら演奏するだけじゃなくって、世界中出かけた先でレセプションとかにも出ないといけないから、そういう面倒なところが嫌だって」
「まったく、変なところが似てるんだから」
遠い目をして笑った母は、今は亡き姉の記憶を蘇らせて、そんな風につぶやいたのだろう。


「ねえ、そういえば…ともちゃんのお父さんって、今どうしてるんだろ?」
思い出したように、あかねが言った。
確か、妻が亡くなってから2年ほど過ぎて、見合いで再婚したと聞いた。友雅はその頃には家を出ていて、あかねたちの家に下宿していた。
その後、20歳の夏に留学、そして帰国し音楽教師として今に至るのだから、もう随分と家には戻っていないと推測される。
「あんたが知らないんじゃ、私が知ってるわけないでしょうに。もう、あっちには新しい家族があるんだから、あまり関わるわけにもいかないでしょ」
言われてみれば、再婚したあとに前妻の家族が頻繁に顔を出しては、向こうも居心地はよくないだろう。
「二度目の奥さんは友雅くんに関しては理解があったらしいけど、彼の方が気にしちゃったんでしょうね。結婚したのは二年後だったけど、おつき合いしていたのは知っていたから、自分から音楽を本格的にやりたいからって、うちの近くにある高校に進学をしたんですって。」
あかねが生まれていないころの話であるから、勿論そんな状況はあかねには知る由もなかった。
今はお互いに、充分幸せな環境にいると実感出来るけれど、個々の記憶には色々な過去が刻まれているもの。
それは、良い事もあるし、悪い事もある。忘れられない記憶は、良い事ばかりではないということだ。

「仲違いはしてないと思うわよ。一緒に住めないから、せめて学費と生活費くらいはって、ちゃんと出してくれてたみたいだし。留学に関しては奨学金制度でどうにかなったけど」
「…それならいいけど。だって、ともちゃん、自分の招待客にお父さんの名前出さないから、あまり良い関係じゃないのかなって気になってて……」
気がかりではあったが、事が事だけに本人には聞きづらくて言い出せないままだった。少しだけ、あかねはホッとした。
だが、だったら、せめて何かの形で、この結婚を祝ってもらいたいような気がする。招待客としてではなくても、何か…アイデアがないだろうか。

「友雅くんにとっては、日本よりもウィーンの方が馴染みがあるかもしれないわね。」
いつのまにか、母は披露宴用のレストランのパンフレットを閉じて、その間に挟まっていたウィーンの観光ガイドをめくっていた。
「第二の故郷みたいなものだろうし。それに、身内やら何やらがいないだけ、気軽に生活しやすかったんじゃないかしら。あんがい、日本よりも親しい人は多そうだしね」
20歳で渡欧。帰国したのは26歳の頃。生まれ育った日本よりも、過ごした時間は少ないけれど……向こうの方が友雅にとって居心地の良い場所であるなら、それはそれで少し寂しい。
生まれたときから友雅の近くに居たあかねにとっては、その数年間が何よりも宝物だった。
だけど、その数年よりもウィーンでの時間の方が、彼にとって重要であるとしたら……。
友雅とは慣れてからも、ずっと彼のことだけを追いかけていたのに、あかねにとっては、その記憶が一番大切だったのに、それ以上大切な思い出がウィーンで過ごした友雅の時間の中にあったとしたら。

過去は変えられない。どんなことがあっても。
でも、一緒に過ごした思い出は、二人にとっては一番大切なものであって欲しいと願う。
一番と言わなくても良いから、彼の中で少しでも自分と刻んだ日々の記憶に関しては、特別であって欲しいと…あかねはひっそり胸の中で思った。




***********

Megumi,Ka

suga