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「ホントにびっくりだよ〜。いきなり『結婚する』なんて連絡してくるんだもん!」
久しぶりに集まった同級生たちは、話題の中心に今回の主役とも言える煎堂を配置してにぎわっている。
卒業してから一度も会っていない者も何人かいる。高校時代は、毎日のように寄り道しながら帰った仲間も、進路が変われば顔を会わせるきっかけもなくなってしまう。
「あかねは短大だっけ?来年卒業?就活とかしてる?」
専門学校に進んだ友人は、メイクもすっかり板についていてナチュラルな雰囲気だった。
「就職は…まだ…何とも…」
答えに困って、あかねは言葉を濁した。
「早めに手を打っておいた方が良いよ?就職率が少し回復したとか言ってるけど、だからって楽になったわけじゃないんだから。心当りがあればコネだって使いようだよ?」
思わず苦笑いでその場を逃げた。
卒業後の進路は決まってるけれど、まだ言えない。
来年………卒業したら、約束が果たされることは、まだ秘密。
煎堂の姿を遠目に眺めながら、少しだけ彼女の事が羨ましいとあかねは思った。
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12人ほどが集まった音楽室には、それぞれが持ち寄ったオードブルが並べられていて、ちょっとした立食パーティーのような雰囲気だ。
大きな窓からは、夏が近いことを示す青々とした桜の葉が風にそよいでいる。その間をすり抜けるようにして、ガラスを通して太陽の光が差し込んでいた。
高校生活の中で3回、こんなシーズンを経験してきた。当たり前の光景だった景色も、客観的な立場となってしまった今は、校内にあるすべての風景が懐かしく思えてくる。
「あかね、橘先生は元気?」
紙コップにオレンジジュースを注ぎながら、煎堂が尋ねた。白いレースのボレロが動くたびに揺れて、まるでベールのようだ。
「先生とは卒業しても何かと会う機会とか、あるんでしょ?昔と変わらない?」
「あ、まあ…。か、変わらないと思うよ?」
まさか、既に一緒に暮らしているなんて言えない。それも、友雅と二人で、なんて。
「ねえ?そろそろ橘先生とかは、結婚の話とかってないの?いい加減にもうそろそろ、身を固めても良い頃じゃない?」
ぎくっとして、含んだジュースを吹き出しそうになったが、何とか息を止めてその場を凌いだ。
なんて答えようか、と思っていると、他の友人たちが話に割り込んできた。
「橘先生は、一人の方が似合う!既婚者っていうより独身貴族っていう方が、何か似合うじゃない?」
「あ、それはあるかもー!モテるけど自由気ままに生活してるっていうか、そういうの先生らしいよねー」
彼女たちの中で、友雅のイメージは既に確立されている。
私たちよりも一回り程年上で、ファッションや流行などにはこだわりなど持っていないにも関わらず、マイペースな中にも洗練されたセンスがあって。
感情は激しくないのに、音楽に関しては頑固すぎるほどのポリシーを持っていて、それに関しては妥協をすることをしない人だった。
そして何よりも、視覚から与えられる感覚も忘れてはならない。
自分たちよりずっと背が高くて、上から見下ろす瞳は深い色合いをしていて。
低めでも甘さのある声は耳の中に残って、長い指先で叩く鍵盤から流れるのは珠玉のピアノコンチェルト。
女だけの楽園で過ごした年頃の女子高生たちにとって、テレビで歌い躍るアイドルなんて眼中に無かった。
これだけ完璧な理想像が、目の前にいるのだから。
年頃の娘たちだけじゃなく、幾多の女性が彼に目を奪われるだろう。だけどきっと、彼は自分の生活と自由というものを守り続けそうな気がする。
そうやっていつまでも、自分たちが見ていたままの彼で生き続けて行くような、そんな印象があった。
卒業しても、その思い出が消えるまでずっと。
だから、彼が家庭を持つことは……考えにくかった。
もちろん、あかね自身も傍から見たら、そう思っていたはずだ。
でも、運命というのは、一寸先に何があるか分からないもので…。
「ああ、さすがにもう全員集まっていたか」
声が聞こえる前に、金属のドアノブが解錠される音が響いたが、誰一人として気付かなかったようだ。
一斉に瞳がそちらに集中する。彼女たちの記憶の中に焼き付いている、そのままの姿がそこにあった。
「先生!お久しぶりですー!」
真っ先に駆け寄った数人につられるように、残った者たちがゆっくりと友雅の方へと近づいて行った。
唯一、その場に立ち尽くしていたあかねだけを残して。
「卒業してから会った事があるのは…この中で2〜3人かな。こうして私服姿を見ると、たった一年とは言えど随分みんな印象が変わったね。」
「大人っぽくなりました?」
たたみかけるように誰かが聞き返す。
「顔を合わせる時間のブランクがあっただけに、驚かされる人も何人かいるかな」
軽く全体を見渡してから、誰を指すでもなく緩やかに友雅は微笑んだ。
見慣れている制服は既に私服へと変わり、日常と化している化粧も無理なく馴染んできている。数人は社会人となっているため、大学生とは雰囲気が違うのは仕方の無いことだろう。
ほんの少しの時間で、少女は瞬く間に変化をしていく。幼さが薄れてゆき、伸びた手足と共に仕草や物腰までが女性へと進化する。時に驚き、そして惹かれ、見とれることもある。
「そういえばこの中で、近々結婚すると話を聞いたけれど……」
遠目にちらっとあかねへ目配せをした。すぐに気付いて、手前にいる煎堂を指差して合図をしたが、両側にいる二人が、揃って彼女の背中をぐっと押した。
「あ、今年の秋に……」
そっと恥ずかしそうに手を挙げた煎堂を、友雅の瞳が見つけた。落ち着いた栗色の髪を肩先だけくるりとカールして、白のボレロと対になった細いサンダルがいち早く夏を先取っている。
特に大人びているわけでもなく…見た目はあかねと同じくらいだと視覚的にも判断できる。
高校を卒業して大学に進み、やっと手にした開放感のある生活を楽しんでいる年頃だ。
そのまっただ中で、既に人生を共に生きる相手を見つけたのか。そしてこれから、お互いを見つめ合って生きていくことを選んだということだ。
生き生きと自分の好きな方向へ泳いで行く者たちと、二人で生活を歩んで行く道を進んで行く者。
同い年で、同じ時をこの学校で過ごしてきたというのに、生き方というのは千差万別なのだと思い知らされる。
「おめでとう。少々早いような気がして、もったいないような気もするけれど…赤い糸をたぐり寄せてしまったのなら仕方ないね。誰よりも早く結ばれるのだから、誰よりも長く幸せを味わいなさい」
そっと肩を叩かれて、彼女は白い紫陽花のように可憐に微笑んでうなづいた。
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