いつか王子様が

 002
「ふん…?課外授業でもしてもらいたいとか?」
理由なんて、ひとつしか思い当たらないじゃないか。
高校時代の3年間。年頃の娘しかいない学校内での話題の中心は、いつだってカラフルなキャンディみたいに甘い雰囲気が漂っていた。
その中で彼女たちがいつも楽しみにしていたのは、唯一の独身である若い男性教師。遠い存在のアイドルに熱を上げるよりも、もっと身近で、それでいて見た目だって全然負けてない羨望の的。
憧れを抱いていた瞳は数知れず。あかねのクラスメートたちも類に漏れず、だ。
そんなあかね自身だって、他人事と言いきれる立場でもない。
「久しぶりに会いたいんだって。それも、来週の日曜日に。」
完全に指定された日程。来週の日曜日……カレンダーにはシールが貼られている。
「今度の日曜の昼間は、ともちゃん学校でしょ。定例演奏会の打ち合わせで。」
学期末に行われる、音楽科の期末テストを兼ねた演奏会の音響監督を任されている友雅は、その日に業者との打ち合わせをすることになっていた。
よりにもよって誕生日に…と思ったが、お祝いはディナーに取っておくことにして我慢していたのだけれど、その前にこういう展開があるとは。
「ともちゃんのお誕生日だから、みんなでプレゼント渡したいんだって。久々に」

大学生になって、みんながみんな恋人を作ったというわけではない。
ボーイフレンドはいても、特別な相手はいないという人はまだまだたくさんいる。
そうなると、ちょっと昔みたいな賑やかな雰囲気が懐かしくなるということなんだろう。
いつだって大勢の生徒たちに囲まれていた友雅。そこに煎堂も参加していた。彼女の場合は、結婚前に憧れの先生にもう一度会いたい、というノスタルジックな思いのせいか。

「いくらなんでも、私は誕生日を祝ってもらうような年齢ではないけどねえ」
氷が溶け出したグラスの表面に、びっしりと張り付いた水滴は友雅の手のひらを濡らした。

別に、それくらいのことなら引き受けても構わないとあかねは思っていた。
しかし、日付が問題なのだ。6月11日、友雅の誕生日…。
若い女の子たちが集まって、話題に花が咲いたらなかなか閉じない。そうこうしているうちに、年に一度の誕生日を二人で祝う時間が少なくなってしまうんじゃないだろうか。

誕生日は二人きりで。
人目が気になるから外食は無理だけど、その代わりにディナーは有名店のフルオーダーをケータリングで約束してある。
やっと二十歳になったあかねは、今年から友雅と一緒にシャンパングラスを傾けることも出来る。
アルコールにはまだ弱いけれども、二人で祝う誕生日の夜は、一秒でも長く過ごしたいのに。
友雅だって、きっとそう思ってくれていると信じてた。
つい、今の今まで。彼が口を開く一歩手前まで。

「まあ、そんなに騒がしいことにならないんだったら、私は別に構わないよ」
一瞬のうちに、胸の真ん中にぽかんと穴が開いたような気がした。すり抜けて行く空気が、やけに空虚感を引き立たせて行く。
「そんなに長い時間ではないだろう?それに、せっかくだしお祝いの挨拶くらいは言ってあげたいと思うしね。
大人数のうちの一人とは言え、教え子ではあった元生徒の結婚ならね」
……言葉が出なかった。
友達の結婚の祝福は、あかねだってしたいのはやまやまだけれど、そんな風に簡単に答えを出されてしまったことに、とてつもない脱力感を覚えたからだ。
その後のことを付け加えることなんかなく、それがさもあたりまえのように。
「冷やしてあったのに、早く食べないと冷たくなくなるよ」
トレイの上には、ひとさじだけすくったままのプリンが、ぽつんと残っていた。
どことなく中途半端なまま、置き去りにされたみたいに。

■■■■

ルイに電話をしてみると、当然の事だが大喜びしている明るい声が聞こえてきた。
「やっぱりあかねに相談して良かったよー!持つべきものは友達だよね。しかも、私たちとは違って近い間柄のあかねだもん。先生に無理言っても通るよねえ」
近い間柄。ルイだけではなく、現在の真実を知っているのはあかねの両親と友雅。そして、戦友?とも言えるもう一人の女性教諭の松下と、その夫の校長くらいの…ほんの一握り。
単なる親戚程度の関係が、近いうちには本当の家族になる約束をした。知っているのは…まだ数人。
いつかは知らせなくてはいけないけれど、今は黙っているしかないのが少しだけ息苦しくもあった。
「ね、ついでに教えてよ?橘先生ってどんなものが好き?」
「そんなの…高校時代にルイ達もいろいろプレゼントとかしてたじゃない。そんな改まって聞かなくても…」
「何言ってんのよー。もう私たち二十歳だよ?高校の頃みたいにお小遣いが自由にならないわけじゃないのよー?みんなバイトだってしてるし、お財布の中だってあの頃から比べたら余裕あるんだから、少しはちゃんとしたものプレゼントしたいじゃないのよ」

だからって、自分が買ったプレゼントよりも高価なものなんて、贈られたらちょっとだけ困る。
友雅はそういうことを気にしないと思うけれど、やっぱり自分が一番でありたいと思ってしまうのは、結ばれる約束を交わした立場としては仕方のない感情だ。
「シャンパン…とかで良いんじゃない。留学していたときに飲み始めてハマってるみたいだし…」
それはホント。ワインとシャンパンは冷蔵庫に欠かした事はないみたいで、ボトルは何本かいつも入ってる。白だったり赤だったり、こだわりはないみたいだけれど。
「そっか。みんなで出し合えば、ピンクのドンペリくらい買えるよね。じゃあその路線で相談してみようっと」
ルイはあかねの答えに取りあえず満足してくれたようで、何度もお礼を言ってから電話を切った。
「シャンパンくらいなら…いいや…」
電話を置いて、もう何度目になるか分からないため息をついた。

ベッドの下に隠している、チョコレートブラウンのパッケージ。バイト代で頑張ったグッチの腕時計を手渡すのは、来週の日曜日。
二人だけの時に渡したいから、ずっとここに隠してる。
10人分の想いの詰まったシャンパンにも負けないくらい、想いの詰め込んだあかねだけのプレゼント。


***********

Megumi,Ka

suga