Ring Your Bell

 006
>両手に荷物を抱えてゆっくりと最後の段を上りきると、奥にある教室の明かりが廊下をぼんやりと照らしている。その明かりは暖かくて、吸い込まれていくように足の動きが早まる。

ガラリ………と引き戸が音を立てて開く。部屋の中をそろりと覗き込んだ。


「いらっしゃい。いつ来るのかと思い続けて、少し待ちくたびれていたところだよ。」
ピアノの前に座っていた友雅が、立ち上がってあかねのところへを歩いてきた。そして半開きの戸を開けたとたんに、目の前に小さな白と淡い紫の小花が広がった。

「ともちゃん、お誕生日おめでとうっ!」

花束の中からあかねが顔を出した。
「驚いたね。花束が歩いてやってきたのかと思った。」
「来る途中でね、お花屋さんに寄ってきたの。やっぱり花束くらいは用意しないとなぁって気付いて。」
「ああ、そんなにあれやこれやと気にしなくても良いんだよ。あかねが来てくれればそれで良いんだからね。」
友雅はそう言いながらあかねからの花束を受け取って、部屋の中に彼女を招き入れた。



「オードブルね、昨日から一生懸命作ってみたんだ。あまり凝ったものじゃないけどね……。あと、ともちゃんが好きだって言ってたから、お父さんが貰ったまま飲んでない白ワイン譲ってもらったの。」
グリーン色のショッピングバッグから、用意したものを一つずつ取り出して机の上に並べてゆく。
「あ、グラスってなかったんだっけ?」
「味気ないけれど、コップならあるな…。」
「しょうがないけど、仕方ないよね」
素っ気ないデザインのガラスコップを準備室から取り出してきた友雅は、あかねの手からワインのミニボトルを取り上げた。
そして軽くキャップをひねると、きゅっと音を立てて栓が開いた。
「あかねは未成年だから、ウーロン茶で我慢するんだよ」
「わかってますよー」
白く透き通ったワインの注がれるコップと、褐色のウーロン茶の入ったコップ。どことなく物足りなさもあるが、こればっかりは仕方がない。



持参したカトラリーセットにオードブルを取り分けて、中央にはブーケを飾って。
出来合いのパーティースペースだが、まあ何とか見られるくらいにはなった。

「じゃ、あかねも座りなさい。」
先に腰を下ろしていた友雅が言うと、うなづいてあかねも椅子に腰を下ろした。そして先にコップを手に取ると、彼の目の前に向けて差し出す。
「それじゃ改めて……ともちゃんお誕生日おめでとー」
「ありがとう…かな。何となくくすぐったいね。」
カツン、とシロフォンの音のようなガラス同士が触れる音が響いた。喉を流れていったワインは、ほんの少し甘口だったが今の雰囲気には似合っている。


「ね、こうして二人だけで過ごすのって……初めてだよね」
料理の本を片手に何とか出来上がった鮭のテリーヌを食べながら、あかねがそう言った。
「本当ならどこかのレストラン辺りに連れて行ければ良いんだけれどもね」
「ううん、別にそんなのは良いんだけど。ただ、何となく……ね、初めて二人だけだから…ちょっと…………」
「………緊張しているかい?」
「ちょっと、ね★」

ワインを飲んだわけでもないのに、鼓動は大人しくなってくれない。目の前で友雅が微笑んでくれるのも初めてじゃないのに、今夜は何となく不思議な感じがしている。
そんなあかねを、ずっと友雅は優しく見つめていた。

「こうしてあかねと二人だけで過ごせたら良いだろうってね、ずっと私も思っていたよ。」

コップではたいした量は入らない。一度すべて飲み干してから、ワインのボトルをもう一度自分で傾けつつ友雅はそう言った。
「特別な日は恋人と二人で過ごすのが一番良い。そんな風に思うのは、別にあかねくらいの年頃の女の子だけじゃないよ。結構男もそんな風にロマンティックなことを思っているものさ。」
誕生日に限らず、クリスマスやちょっとした記念日。特別な意味のある日には、特別な人と過ごしたい。心を許した恋した人と、流れゆく時間をのんびりと眺めて過ごせたら最高だろう。
だけど今はそんな自由もなくて。人目を気にして、なかなかこんな風に見つめ合う事も出来ないから。



『誕生日くらいは、二人きりの時間を作らせてもらえないでしょうかね』

松下に言ったのはそういうことだった。ほんの数時間で構わないから、この教室を自由に使わせて欲しい。そこであかねと過ごすことを許可してもらいたい。
もしもそれが実現すれば、あかねはきっと喜ぶだろう。そして、友雅自身もそんな時間を楽しみたいと、ずっと思っていたことなのだ。

恋愛に関しては『戦友』と言っても良い松下は、主人である教頭にさっそく話を取り付けてくれた。そして、あまり遅い時間にならなければ、という了解を得て、今の二人だけの空間は存在する。



「誕生日、嬉しい?」
ワインを味わっている友雅を、今度はあかねがじっと眺めながら尋ねた。
「なかなか悪くない気分だね。甘いワインとオードブル、香りの良い花束と…そして目の前にあかね。こんな最高のテーブルセッティングなら、悪い気分になるはずがないけれどもね。」
そんなくすぐったい言葉も、今日はなんとなく嬉しい。友雅が喜んでくれていることが分かるから。
「あ、そうだ!プレゼント!プレゼント!」
慌ててあかねがバッグの奥に手を突っ込むと、薄いブルーのギフトボックスを取り出して友雅に差し出した。
「開けてみて。そんなに高級なものじゃないけど、結構良い感じだと思うんだけどなー」
あかねから手渡された箱は、薄くて細長い。白いリボンが簡素に結ばれていて、そっと引っ張れば簡単にほぐれた。
ラッピングペーパーをはがし、白い箱の蓋を開いてみると、そこにはシンプルなデザインのリストウォッチが横たわっていた。
「飾りっけはないけれど、良いデザインだね。ブラウンの色合いがアンティーク調に見えて味がある。」
「そうでしょ?ともちゃんに似合うと思ったんだ♪大切に使ってね。」
箱から取り出して、友雅は隅々まで時計を眺めた。ブロンズ色のフレーム、エスプレッソを思わせるリストバンド、細身の秒針はカチカチと音を立てて時を刻んでいる。
「勿体なくて使えそうにないな。傷つけたりしたら大変だ。」
「えー?それじゃ腕時計の意味がないじゃない?壊したりしなきゃ良いから、毎日使ってあげてよー。」
そんなあかねの言葉もむなしく、友雅は一度手に取ったリストウォッチを箱に戻して蓋を閉じた。
「その時がきたら、ちゃんと使い始めるよ。それまでは眺めて楽しむことにする。」
友雅の意味深な言葉を残して、何事もなかったようにギフトボックスは蓋を閉じられて彼の腕の側に置かれた。


「静かだね。少しBGMが欲しいかな……」
そう言って友雅は椅子から立ち上がると、グランドピアノの方へと移動した。そして艶やかな鍵盤蓋を開けると、白と黒のピアノの鍵盤が現れた。
ゆっくりと椅子に腰を下ろし、ピアノに向き合う。
「酔い覚ましとBGMがわりに、ちょっと弾いてみようか?」
友雅の言葉にうなづいたあかねは、近くの椅子を引き寄せて友雅の隣に座った。

「ね、リクエストしていい?」
「かまわないけれど、何の曲だい?」
「もちろん、HAPPY BIRTHDAY TO YOUでしょ」
あかねのリクエストに、少し友雅は首を傾げた。
「誕生日の本人がそれを弾くのかい?何だか妙な雰囲気だね」
苦笑しながら鍵盤をいくつか叩いて音を出すと、あかねがそばで笑いながら言った。
「平気平気。歌うのは私だから、ともちゃんは伴奏。」
「……まあいいか。OK。どっちが主役だか分からないけれども」
そう言って笑いながら友雅は鍵盤の上に両手を乗せると、その上を指先がゆるやかに動き始めた。

幼い頃から慣れ親しんだ歌。今日はたった1人のためだけに。



HAPPY BIRTHDAY DEAR……ともちゃん
HAPPY BIRTHDAY TO YOU…………………………

ピアノの音が歌と共に終わりを告げると、鍵盤の上を動いていた友雅の頬に一瞬あかねの唇が触れた。





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Megumi,Ka

suga