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庭に面した座敷には、来客用の布団が敷かれてあった。
一家団欒(?)の食事のあとに、軽くシャワーを浴びて浴衣に着替えた友雅は、少し窓を開けて夜風を部屋の中に漂わせていた。
まだ完全に乾かない髪に夜風がすり抜けると、涼しげで気持ちがいい。
「ともちゃん、入るねー」
あかねの一声が聞こえてから、襖がそっと開く。冷たく冷えた麦茶が1人分の小さなデキャンタに入って、グラスを伴って運ばれてきた。
「寝る前にはブランデー一口の方が、寝付きが良いんだけれどもね?」
「お母さんにお酒なんてリクエスト出来ないでしょー」
「そりゃそうだ。お酒の量には昔からうるさかったからね。よく叔父さんも『飲み過ぎだ』とか怒られていたのを思い出すよ。今もそうなのかい?」
昔話を語りつつ小さなグラスに麦茶を注ぐと、自然にお互いに笑いが浮かんだ。
窓から見える庭の風景は、あの頃とほんの少しだけ変わっている。庭の隅にあった紅葉はこんもりと枝を伸ばして、艶やかな緑色の葉を風に揺らしている。そして目の前にある紫陽花は、そろそろ色を染めていく。
「もうすぐ紫陽花が美しい季節だね」
庭を眺めていた友雅が、ぽつりとつぶやく。
「うん。もうすぐ梅雨だもんね。6月だもん…………………」
…………………………………………?
……………………6月。
……………………何か、大切なことを忘れているような……………………。
「あーーーーーーーーーーーっ!!!!!」
「どうしたんだい?」
友雅は平然として尋ねたが、あかねとしては今自己嫌悪のショックに陥って、完全にノックアウトされた状態にいた。
大切なことを忘れていたのだ。一番忘れてはいけないことを、忘れてしまっていた。
高校に入ってからずっと忘れた事なんてなかったのに。いつもこの時期になら、既に何か用意してあったのに。
……………………どうして今年に限って!!!!
……………………しかも、晴れて恋人同士になったというのに、その相手の誕生日を今まで忘れていたなんて!!
「……情けない〜……☆」
頭を抱えてうなだれたまま、うずくまっているあかねに友雅の手がそっと伸びる。
「一体何があったっていうんだい?いきなり大声出したかと思ったら…。」
「だ、だってぇ……あまりに自分が情けなくってぇ…☆」
「取り敢えず落ち着きなさい。」
友雅は手にしていたグラスを飲み干してから、新たに麦茶を注いであかねに差し出した。手のひらに置かれたグラスが、氷のように冷たい。
「6月………もうすぐ…ともちゃん、誕生日だったよね………」
あかねがかよわそうに声を出すと、しばらく友雅は壁にかかっているカレンダーを見た。
「ああ、そういえばそうだね」
そっけない答えが返ってくる。
「ごめん…私、今まで忘れてたよぅ…………」
「…私も忘れていたけれど。あかねが言う今の今まで、すっかりそんなこと忘れていたよ。」
誕生日の張本人が忘れていても、あかねとしては自分だけは忘れてはいけないことだったのだ。
生まれてはじめて恋人に誕生日のプレゼントを贈るのに、何一つ用意もしていないしプレゼントも考えていない、そして挙げ句の果てに誕生日が近いことを忘れていた……!考えれば考えるほど落ち込み度が激しくなる。
だが、そうも言っていられない。何か今すぐでも考えなくては……。
「と、とにかく…ともちゃんの誕生日当日には、絶対に何かプレゼント間に合わせるからねっ!期待してて!」
何もまだ思いつかないけれど、明日から雑誌をくまなくチェックして。そして勿論財布の中身とも相談して、何か特別なプレゼントを考えなくては。
毎年同級生たちと一緒になって、友雅にプレゼントしていたような中身では駄目だ。
『大好きな先生へのプレゼント』では駄目なのだ。
今では………立場が違いすぎる。
「別に気にしなくても良いよ。この年じゃ、あまり誕生日なんて祝えるようなものでもない。出来れば周囲に忘れられて、さっさと過ぎてくれた方が良いくらいなんだから。」
誕生日が来れば年の差が変わる。ただ、友雅の誕生日が来れば、常にその差は変わらない。あかねのひとまわり先を、彼は一生歩くことになる。それは立ち止まることを許されない、時間という流れの中にある。
「でも……ともちゃんが生まれてくれなかったら私は困るから、やっぱりお誕生日はお祝いしておかないと。」
あかねはそう言った。
「私がいなかったら、あかねはもっと素敵な恋人が出来たかも知れないよ?」
「そんなことないよっ」
「アイドルみたいな綺麗な男の子とか、モデルみたいなカッコイイ男の子とか…そういう人と出会えるチャンスがあったかもしれないのに?」
友雅がいたずら半分にもう一つのあかねの人生を考えると、少し怒ったような顔で友雅の腕を軽くつねり、こつんと彼の方にあかねの額が倒れた。
「……私は今の生活がいいの!。これが一番満足してるからこれでいいの!。」
そうつぶやいてから、友雅の腕にぎゅっとしがみついた。
文句なんて、何一つ言える隙間がない。
初恋を経験して、ずっと彼のことが好きでたまらなくて、彼のそばにいたくて……………そして彼と結ばれる運命に、これ以上何の文句が言えるのか。
「それじゃ少しは期待して待っていようか。せっかくあかねがプレゼントを考えてくれるのなら、今年の誕生日は楽しみにして待っているよ。」
しがみついた手をほどいて、その腕で友雅はあかねの身体を支えるように抱いた。
「うん…まぁ、頑張ってみるから!6月11日は楽しみにしてて。それと、当日はちゃんと時間あけておいてね?」
「ああ、分かった……けど、あかね、カレンダーを見てごらん」
友雅が指さす方向にかけられた、花の写真のカレンダーを見る。
「11日は平日の水曜日だ。放課後の特別指導はないけれど、あいにく職員会議の日だな…」
6月11日は第二水曜日。祝日のない6月には、平日が休校になることはまずないと言って良い。
「つまんないの。プレゼントなら学校に持っていけるけど、それじゃ何にもなんないよねぇ」
せめて今日みたいに一緒に食事を。二人きりでどこかに出かけて…なんてことは、まだ世間的には教師と生徒の二人には出来ない事だけれど、今夜みたいにみんなで食卓を囲んで過ごしたって良いだろうに。だが、この平日のスケジュールじゃ、そうもいかないだろうか。
「みんなで一緒にお祝いしてあげたかったのになー……」
そう言ってあかねはつまらなそうに、ため息をこぼして肩をすくめた。
「………どうにかならない、こともないか…な?」
あかねの肩を抱きながらもしばらく黙っていた友雅は、どうやら何かずっと考えていたらしい。
「少し遅くなってしまうかもしれないけれど、時間作れるかもしれない。まだここではっきりとは言えないけれどもね。」
「ほんと?どうやって?」
ついさっきまではどこか気の抜けたような表情をしていたあかねに、再びふっと暖かな雰囲気が戻ってきた。
「まぁ、明日にでもちょっと話をしてみることにするよ。あまり期待しないで待っていてくれると良いんだけれどね。」
もうすぐ日付が変わる時刻。
最後にそんな友雅の言葉を聞いて、あかねは眠りについた。
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