その日、学校は休日で門が閉じられていた。
しかしその校内で一部の場所だけは、ささやかな盛り上がりが繰り広げられていた。
春の陽気が少しだけ漂い始めた中で、古ぼけたチャペルの周辺だけが、明るい空気に包まれている。
中では英語なまりの宣教師の声が、静かに響いていた。
「死が二人を分かつまで−−−−−−−−−−−」
中央には白いロングワンピースを身につけた、すらりとした女性の姿。
その隣には、決して若いとは言えないが、スーツを身体に馴染ませるように着こなす男性の姿があった。
彼女の父親にしては若すぎるが、一般的には釣り合う年齢差ではない。
なのに、何故かそんな違和感を感じないのは何故だろう。今日だけは……特別な二人に見える。
「誓います」
宣教師の問いに二人で答えたあと、彼らは互いに指輪を交換する。
そんな二人を、わずか二十人ほどの参列者たちが暖かな目で見守っていた。
その中に--------二人もいた。
しかしあかねだけはどうも浮いていた。それもそうで、周りは松下と同年代の女性と、あとはわずかな職員たち。その中に十代のあかねがいることはやや違和感を覚えた者もいただろうが、隣に友雅がいることを確認すると、一同はそれぞれに納得したようだ。
ただ、その中で友雅とあかねが恋人同士であることを知っているのは、おそらく松下たちだけだろうと思うが。
館内に流れているのは、どこかで聞いたことのあるメロディーだ。
タイトルは思い出せないが、ピアノを弾いているのは誰なのかはすぐに分かった。
おそらく……弾いているのは友雅だろう。彼はあかねの隣に座っているので、予めテープなどに録音していたのを流しているに違いない。
「これ、弾いているの…ともちゃんでしょ?」
小さな声であかねが宙を指さして言うと、友雅は黙って微笑んで唇に人差し指を押し当てた。
友雅のピアノに包まれて、二人はこちらを振り返って笑顔のまま頭を下げた。
拍手の音が響き渡る中を、彼らが歩いてきた。そして松下はあかねの姿を見つけて、軽く手を振って微笑んだ。
ずっと見ていた教師の彼女ではなく、永遠の恋心を抱き続けている一人の女性としての彼女の微笑みは、今まで見た誰よりも美しかった。
夕暮れが近づく頃、新郎新婦達を見送った二人はいつもの音楽室にいた。
太陽は傾き、夜がもうそこまで来ている時間だったが、何故か灯りを付ける気持ちにはならなくて、しばらく二人で沈む夕日を眺めていた。
「松下先生、綺麗だったねー」
あかねは今日の彼女の姿を思い出して、ため息をつくようにつぶやいた。
「いささか華やかさには欠けるけれどもね。まあ、公にする関係でもないから、これくらいの簡単な儀式で十分だったんだろう」
同じ学園内の教諭同士で師弟の関係、しかも年の差も二十近い。
そんな二人の関係をオープンに出来るわけもなく、式もこれだけで終わりだと言う。
親しい友人と教員たちだけの参列。だが、それが一番幸せな形なのかもしれない。一番自分たちを知ってくれている人たちだけに、祝福されるだけの式。
ゴージャスなウェディングドレスも素敵だと思うが、松下のようなファッションもまたシンプルで良いものだと、あかねは思った。
「ねえ、松下先生って学校やめちゃうの?」
「いや、当分はこのままらしい。名前も旧姓のままでね。まあ…いずれ子供でも出来たら、否応なしに知られてしまうかもしれないけど。」
「そうだねぇ、そうなったら隠しきれないもんね」
それはまだ先のことかも知れないが、きっとその頃には二人の生活も落ち着いてきて、夫婦であることを自然に公表してしまうかもしれない。
前向きな二人だから、そんな風に考えることもきっとあるだろう。
「これで私用の忙しさはおしまいだけれど、これからは卒業式のことを考えないといけない。なかなか落ち着かないな、この時期は」
友雅の言葉に気がつくと、カレンダーはすでに二月の終わり。もうすぐ卒業シーズンなのだ。
三年生がこの学園を旅立っていくと、あかねたちは最上級生となる。そして受験と真っ向から向き合わなければいけなくなる。忙しくなるのはあかねたちも一緒だ。
「受験かー……ホントに大丈夫かなあ、私…。ホントに合格できるかなあ…?」
遠くを見るようにためいきをついたあかねの髪を、友雅は撫でながら言う。
「ま、私は教なければいけないことは教えたからね。どこまでそれが身に付いているかは、あかね次第だから何とも言えないがねぇ」
「あっ!先生がそんな投げやりなこと言っていいのー?あたしが落ちたらどうする?ともちゃん責任取ってくれるのっ!?」
「うーん…責任、か。やはりそうなると、私が責任を取らなければならないか」
そう言って、友雅は笑った。
「じゃ、これで私は講義を下りるとしようか。」
「ええっ!何で!それこそ無責任すぎるじゃないっ!本気でこのままあたしが音大になんか受かると思ってるのっ!?」
突然の責任放棄に、あかねは焦って友雅の腕を掴んで引っ張った。
そう簡単に音大など入れるとは更々思っていないが、ここで諦めて棄権するなんてことは今までの努力を棒に振るというものだ。
そんなあかねに、友雅の方は比較的冷静にいつもの微笑みを浮かべている。
「だから、そうなったら責任を取るって言っているだろう?」
「どうするって言うのよーっ!」
そのとたん、それまでポケットの中にあった友雅の手が、何かを掴んで外に出てきた。
その拳が静かに開かれると、中には真っ白な真珠の指輪があった。
友雅はそれを、あかねの手のひらにそっと載せた。
「これで約束するから。」
「うわー…綺麗な真珠の指輪だー!」
あかねの手のひらに乗っている真珠は、ぼんやり染まる黄昏の光に反射して、少しだけ虹色を表面に映し出しているが、それでも真っ白なパールホワイトの美しさはしっかり確認出来た。
丁度人差し指くらいのリングサイズだろうか?あかねはそれを、そっと自分の指にはめようとした。
そのとたんに友雅がリングを取り上げた。
「…そこじゃないだろう?ちょっと手を出しなさい。はめる場所を間違えている。」
「ともちゃん……?}
そうしてあかねの手を取った友雅は、リングをあかねの左薬指にしっかりとはめ込んだ。
そしてその指先に軽くキスをして、あかねに向けて微笑んだ。
「約束の指輪は、左の薬指にはめるものだ。さっきの式でも見ただろう?」
「そ…それ……って……っ!」
あかねは今にも心臓が飛び出しそうな鼓動に、自分で驚いていた。
「こういうものはダイヤモンドが通説かもしれないが…あかねにはまだ早いからね。だから一番綺麗なものを選んできた。反射する光がまろやかで綺麗だろう?」
そっと指先で、艶やかな真珠の粒を友雅はなぞる。
「ダイヤのリングはね………もう少し大人になったら必ず贈ってあげるよ。それまでの約束の印だ。」
真珠の指輪は、約束の証。永遠にこの恋を続けていく、約束の指輪。
清楚で大人しい印象がするが、どんなものよりも鮮やかに見える。
「本当は来年の卒業式の時にあげようかと考えていたんだけれども……どう言い出そうかと思っていたら気持ちが早まってしまってねぇ。なかなかプロポーズというものは難しいものだね。一体教頭先生は、どんなことを言ったんだろう…アドバイス受けておけば良かったよ」
友雅は苦笑しながら、あかねの指先をそっと両手で包んだ。
「ああ、でも…もしも約束を破棄したいのなら、そのまま指輪を返してくれれば良いよ?」
「そんなこと考えるはずないでしょっ!!」
小さい頃に、何度も言っていた呪文のような言葉を忘れていない。
------------『おおきくなったら、ともちゃんのおよめさんになってあげる』
こどものままごとごっこのようなものだけれど、それを今までずっと忘れられずにいたこと。
もしかしたらいつか…と、捨てきれなかった子供の頃の言葉。
こんな瞬間を、ずっとどこかで夢見ていたから。
「もう大学落ちてもいいや……」
あかねが少し気を抜けたような声で、そんなことをつぶやく。
「今からそんな諦めたことなんか言っていいのかい?」
「だって………」
………大学なんか行かないで、ずっと友雅のそばにいたい、と言ったらやはりたしなめられてしまうだろうか?
「……そうだねえ。もし駄目だったら……いっそうちに来て、花嫁修業でもしてみるかい?」
「………そんなこと言うと、今すぐ進路変更しないといけないじゃないっ!!」
薬指にはめられた指輪をしっかりと手のひらで包んで、あかねは友雅の胸に飛び込んだ。
「してくれた方が良い、なんて言ったら…教師として失格かな?」
そう言って友雅は、あかねの身体を包み込むように抱きしめて引き上げると、その唇に何度もキスをした。
「……私にとっては、ともちゃんは…もう教師じゃないもん………」
あかねの声がそうつぶやくと、友雅は再び抱きしめて彼女の唇を塞いだ。
たまに唇から涙の味を感じることもあったが、しばらくするとそれも気にならなくなった。
「良かった。教師じゃ生徒に『愛してる』なんて言えないからね……」
甘い友雅の言葉が、耳元をくすぐった。
重なり合う二人の影を、黄昏がそっと包み込む。
オレンジ色に染まる夕焼けは懐かしい色をしていて、遠い記憶を呼び起こしてくれることもあるけれど、今は瞳を閉じて、その場で感じる相手のぬくもりだけを探してる。
常に何かが時間の中で変わり行くけれど、その中にある大切な何かは、本当はあの頃のままで。
背伸びして抱きしめて、その腕で抱えられるとき。
思い出すときめきは、まだあの頃のままで、ここにある。
--------THE END-------
※お読み頂きまして、ありがとうございました!
あとがきのご挨拶がありますので、よろしければ先にお進み下さいませ。