黄昏に瞳を閉じて

 第九章「しあわせの涙」(2)
「先を越されてしまったな……こっちが言おうとして覚悟を決めていたんだが…」
顔を上げると、自分を抱きしめてくれている友雅の顔がある。
少し照れくさそうにして、優しくあかねの瞳を見下ろしてる。
昔から好きだった、甘い瞳の色。
「なかなか難しいねえ…こういうことを言うタイミングは…。言おうと決心していても、その瞬間になるとくだけてしまう。恋とは本当に難しいよ。」
あかねに恋している自分に気付きはじめて、この想いをどうすればいいかと考えては自分を堰き止めて。
その度に想いは募っていくだけなのに、同じ事を何度も繰り返しては想いだけが濃密になっていくのを友雅は感じていた。

「白状するよ。私もあかねのことが、ずっと好きだったよ」
そう友雅は口にした。
自分でも驚くほど自然に、素直に言葉が滑り出した。
「う…っ……そ……」
彼の言葉を聞くと、またあかねの瞳が涙をたたえて潤み出す。
抱きしめられているせいで、その場から立ち上がることは無理だが、馴染んだ友雅のぬくもりから離れることは自分自身の本心が許さないだろう。
「本当だよ。だからあかねがここに来たとき、あんなに嬉しかったんだろうと今になって思うよ。それが私を追いかけてやってきてくれたのなら……尚更だ。」

音もなくあかねの瞳は、涙のしずくをあふれさせる。声を詰まらせて我慢しようと思えば思うほど、涙はどんどん流れてくるのだ。
「そこまで泣くということは……よほど私のことは不満なのかな?」
「そんなんじゃないっ」
「じゃ、もう泣くのは止めなさい。私は好きな女性の泣いている顔を眺めて楽しむほど、非情な性格は持っていないからね。それに、あかねには泣いて欲しくないんだよ。」
友雅は長い指先でしずくを払って、軽くそのまぶたにキスをした。
「笑顔で私を見つめるあかねが好きなんだ。幸せそうに笑ってくれるのが、私は一番嬉しいんだよ」
一瞬泣きやむか、と思ったのもつかの間で……友雅の言葉はあかねの心を更に高揚させてしまったらしく、余計にどっと涙がこぼれだした。

「今言ったばかりだろうに…」
困ったように言いながらも、友雅の声は優しい。
「別…にっ…悲しくて…泣いてるんじゃないんだから……いいじゃないっ……!」
「そうは言ってもねえ……。昔はさっきみたいに瞼にキスすれば少しは泣きやんだものだけどね…」
「もう……子供じゃないもん……っ」
くしゃくしゃになった泣き顔を見せたくなくて、あかねは両手で顔を隠した。
目も瞼も泣きすぎて赤くなっていて、本当ならそんな顔を友雅になんか見られなくないけれど。
「………そうだね、確かにそうだ。じゃ、違う方法を考えなくてはいけないな…」
顔をかくすあかねの手を、友雅がそっと開いた。
潤んだ瞳が彼を見つめると、今度は彼の瞳があかねの方へと近づいて………唇が重なった。

一瞬だけだった。すぐに離れた唇は残り香だけをかすかに残して友雅に戻る。
「キスをするなら瞼よりもこちらの方が正しいよね」
笑顔を作った友雅の胸に、あかねは我慢出来ずに飛び込んでしがみついた。
昔のように大きな鳴き声は聞こえない。あかねがあの頃の子供ではないことの証拠。曲線を帯びて伸びた手足も、甘酸っぱいシトラス系のシャンプーの香りも、大人に近づきながら友雅に歩み寄るあかねの姿だ。
「……大好き……っ……」
「私もだよ。」
「ずっと、ずっと前から好きだったんだからっ……」

いつの頃から愛しさが恋に変わったのか分からないけれど。
自分の中にずっと住み続けていたのは、この少女一人だった。

「………ありがとう。嬉しいよ。」
抱きしめてくれる手は子供をあやしていたぬくもりとは違って、今はそれ以上に優しく思える。
包み込む暖かさは同じだけれど、もっと深くて甘い恋の香りがした。

■■■

校舎の裏手にタクシーを呼んだ友雅は、あかねを乗せてから昨日と同じ方向へ車を走らせた。
二日続いてあかねの家に行ったりしたのは、もうどれくらい前になるだろう。
あかねが自分の勤める高校にやってこなかったら、交流も途絶えてしまったかもしれない。
「眠そうな目をしている。起こしてあげるから寝ても構わないよ。」
泣いたせいで赤くなった目をこすっているあかねにそう言ってから、友雅は彼女の背中に手を回して肩をそっと抱いた。
戸惑うこともなく、あかねは友雅の胸に顔を当てて目を閉じた。
ときめく鼓動は止まらないけれど、抵抗無くこうして身体を寄せていられること。
心が通じ合ったからこその穏やかさが、とてつもなく心地よかった。
毎夜起こる帰宅のための渋滞ラッシュもピークを過ぎて、車はスムーズに交差点を住宅街へと横切っていく。
既にあかねが寝息を立ててから20分ほど過ぎたころ。金木犀の香る見慣れた門の前に車は止まった。


眠ったままのあかねを起こすことを止めた友雅は、彼女を抱きかかえてベッドへと運んだ。
「まるで眠りの森のお姫様のようだね」
乱れて顔にかかる髪をはらいのけて、あかねの寝顔を見た。そっとキスをしようとしたが、目覚めさせても可哀想だろうと思い直して、友雅は部屋を後にした。

ドアを開けると、丁度階下からあかねの母が上がってくるところだった。
「良かった。お茶が入ったから呼ぼうと思っていたのよ。あかねは?」
「ああ……よく眠っていますから、わざわざ起こさなくても良いでしょう」
「そう。じゃ、こっちにいらっしゃい」
彼女はそう言い残して、友雅よりも先に下に戻っていった。


あかねの父親はまだ帰宅していないようだ。
新しい事業所が出来たと話を聞いたので、おそらくその雑務で毎晩帰りが遅いのだろう。
「二日も続けてお邪魔してしまって、申し訳ない」
アールグレイのカップが、白い湯気をうっすらと立ち上げている。ソファに腰を下ろしている友雅の向かい側に、あかねの母が腰を下ろしていた。

「友雅くん、せっかくだから昨日の返事、聞かせてもらいたいわね。」
カップを傾けようと手を伸ばすと、唐突に目の前から声が上がった。
「随分急かしますねえ…。そう即行で決められるものでもないでしょうに。一生の問題ですよ?」
「それはそうだけど、あなただってそんなに悠長に構えていられる年令じゃないでしょう。だから、どうせならね…と思ったのよ。とにかく、まずはあなたの気持ちが知りたいのよ」
友雅の言葉に圧力をかけるように、彼女は何度も強く問いつめた。
正直なところ、気持ちはついているとは言っても…内容が内容なだけに、すぐにYESと返事は出来ない。

「……今すぐ返事、必要ですか?」
「出来ればねえ。こっちは親として色々と気持ちの整理が必要なのよ。」
ためいきをついてから、彼女はベルガモットの香りの立つ紅茶を口にする。
友雅は苦笑して、髪をかきあげながら目を伏せた。
「あかねの気持ちは……良いんですか?」
そう友雅が尋ねると、彼女は笑いながら二階を指さした。
「いやねぇ…そんなのは聞くまでもないでしょ。あなた以外にあの子が好きな人なんているはずがないわよ。苦労してわざわざあなたのいる学校にまで入ったんだから。」

あかねはあからさまに友雅への想いを表現していたわけではないだろう。だが、おそらく彼女の持つ素直な感情が、自然に友雅に抱く恋心を周囲に気付かせてしまっていたに違いない。
「それとも他に、約束でもした人がいるの?」
「……あかね以外に、私が幸せにしたいと思う人はいませんよ」
好きだからこそ、幸せであって欲しいと。
愛しているからこそ、幸せな笑顔をいつも浮かべていて欲しいと。
「じゃ、もらってくれるのね?」

-------欲しくないわけがない。今すぐにだって、連れて帰りたいくらいなのに。

「……私にあの子を幸せに出来ますかねぇ?思っているように上手く行きますかねえ……」
笑いながら友雅が言うと、あかねの母はそれを簡単に直球で彼に返した。
「あなたのそばにいれば十分に幸せでしょ。だからこれからはあの子の幸せじゃなくて、あなたとあの子の…二人の幸せを考えるようにしなさいよ。」
うなずかずにはいられない言葉を、どんどんと跳ね返されていく。その度に友雅の中で、強い何かが生まれては弾けて、心に広がっていくのを感じる。

「もらったら……一生帰しませんよ?」
友雅は笑いながら言う。そしてすぐに答えが戻ってくる。
「こちらこそ、返品はお断りですからね。」
答えはもう悩む必要は無さそうだ。
心のままに、差し出された恋を抱きしめればいいのだ。そうすればきっと…二人の幸せにつながるだろう。



さて、これからもう一つの問題が誕生してしまった。
心を打ち明けたあと…………どうやってこのことを切り出そうか?
-----想いを打ち明けたとたん、今度は結婚の約束を…なんて、少し急ぎすぎな気もするけれどね…。

でも、今度こそは自分から打ち明けてやろうと思っている。

いつ言おう?
いくらなんでもまだ早すぎるだろうか。タイミングというものは本当に難しいと再認識する。

あかねの寝顔を思い出しながら、友雅は微笑んでこれからの計画を練ってみることにした。
彼女が幸せになるように。自分が幸せになるように。二人の幸せがずっと続いていくために……。
とびきりの言葉を考えてみよう。
それは今までと違って、楽しい作業となるはずだ。




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Megumi,Ka

suga