毎日がValentine's Day

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車通勤であろうと、外の寒さを感じずにはいられない。
例えば、家の玄関を出て駐車場までの間は外気に触れるし、勤務先に着いても駐車場から屋内への間は外を通らなければならない。
小雨だったり小雪だったり、風の冷たさは数秒でも身が引き締まる。

「あ、おかえりなさーい。外、雪降ってませんでした?」
「いや、かなり冷え込んでいるけれど…降る予定なのかい?」
「もしかしたら、明け方に少しちらつくかも、とか予報で言ってましたよ」
ドア一枚の仕切りだけなのに、身体に感じる温度はあからさまに違う。
やわらかな適温に暖められた室内は、じんわりと優しく身体の芯まで浸透してきて、やがて全身を包み込む。
その空気に乗って漂うのは、野菜が煮詰まる甘い香り。
「寒いですから、今夜は野菜たっぷりのポトフです。あったまりますよー」
冬の献立は、たくさんの具材を入れてじっくり煮込む、熱々のスープが良い。
一度に色々なものを食べられるし、何より汁物はそれだけで体内から暖まる。

-------ぎゅ。
後ろから伸びて来た両手が、あかねの身体を抱きすくめる。
「ふふ…確かにこれは暖まるな」
「ちょっ、何するんですか、もうー!」
料理中だというのに、構わず絡み付いて来る腕。
ぴったりと背中に重なるぬくもりと、肩にのしかかる彼の顎。
「夕飯の支度の邪魔ですっ。先にお風呂入って来てくださいよっ」
「でも、まだおかえりの挨拶を貰っていないからね」
甘やかに微笑み、顔を近付ける。
"おかえり"のキスを強請るようにして。

と、あかねの手が伸びて来て、軽く頬をぺちっと叩いた。
「ダメです!外から帰ってきたら、まずうがいと手洗いをしてからです!仕事場でも言われてるじゃないですかっ」
年明けから冷え込みが一層厳しくなったり、雨の少ない乾燥した日々が続いてることもあってか、インフルエンザや風邪が一気に流行り出した。
隣県の総合病院では、院内感染で重症患者が出たとかニュースで報道されていた。
そのため、あかね達の病院でも毎日のように、厳しく予防策を徹底するように繰り返されている。
こまめな手洗い、除菌ジェル、そしてうがいとマスクを出来るだけ着用。
あとは、日頃からの免疫強化を心がけること。
「はい!洗面所に行って下さいー!」
友雅の背中をぐっと押して、サニタリールームへと向かわせる。
院内でも腕利きの整形外科医が、風邪でダウンした!なんてことになったら、患者からブーイングが沸き上がり兼ねない。
夫の健康管理をサポートするのも、やはり妻の役割…だと思うし。

そうそう、ビタミンCもちゃんと摂らないとね。
毎朝野菜ジュースは欠かしていないけれど、もうちょっと増やした方がいいかな。
「そうだなー…あとミネラルとかも……ひゃ…んっ!」
またも後ろから飛び出して来た手が、今度はしっかりとあかねの顔を掴んだ。
そのまま、やや強引に後ろへと引き寄せて。
文句を言えぬ間も与えずに、その唇を塞ぐ。
「改めて、ただいま」
「…おかえりなさい」
勤務先でも割と遠慮はないけれど、家に帰ると本当に容赦無し。
迫り来る彼の猛攻には、さすがに勝てる自信はない。



夕飯を終えて、しばらく何だかんだと他愛も無い時間が過ぎて、あっという間に一日の残り時間が少なくなっていく。
後片付けを終えたあかねは、バスルームを使用中。
先に寝るのも何だか味気ないし、彼女が出るまで医学書の一冊でも読んでみるか。
物置兼書庫から適当に選び、一足お先に友雅は寝室へと向かった。
既にスイッチONにしてある加湿器からは、蒸気と共にラベンダーの香り。
安眠効果がある香りなのだと、あかねがオイルを選んでセットしているのだ。
「……ん?」
脱いだガウンを椅子の上に掛けようとすると、その足下に大きめの紙袋が置いてあった。
あかねの仕事用バッグの隣に、寄り添うみたいに置かれているそれは、彼女の荷物だと一目で分かった。
「ハンドメイドショップ……?」
印字されている店名を読んでも、友雅には全くピンとこない。
ハンドメイドと言うのだから、手作り関係の店なのだろうけれど…はて?

「友雅さん、これ」
ドアが開いて、あかねが寝室に入って来たと同時に、ラベンダーの香りの中に甘い匂いが混じった。
ピンクとアイボリーのマグカップから、白い湯気が立ち上る。
あかねの作るホットミルクは、ジンジャーシロップで少しスパイシーな味がする。
「どうしたんですか?」
「いや、見慣れない紙袋があったから、何なのかなと思ってね」
彼が指差した荷物を見て、ああ…とあかねはうなづいた。
「手芸屋さんの袋ですよ。患者さんの代理で、買い物してきてあげたんです」
袋を手に取り、中から毛糸玉を取り出す。
ふわふわのモヘアの毛糸に、長い編み棒が二本。
「編み物か。そういえば冬場になると、編み物をしている患者が増えるね」
「そうですねー。でも、今の時期は尚更ですよ」
あかねが言うと、友雅は首を傾げている。
女の子が編み物をしたくなるピーク時期は、まさに今。1月末から2月上旬に掛けての、この時期だ。
大切なイベントのために一目一目ずつ、花占いのように心を紡いでいく。


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冬とは思えないほど、清々しく晴れた青空が窓の外に広がる。
大きな窓から射し込む日差しは、室温を春の気配に変えてしまう。
「では、回数を増やすということで良いですか」
「そうだね。この経過とリハビリの結果では、週の回数を増やしても平気だろう」
紙コップのインスタントコーヒーを手に、友雅はリハビリ科の源とカルテを挟んで向き合っていた。
患者はまだ小学生だが、しばらく前に複雑骨折で入院している。
しかし友雅の執刀で骨の調節が上手く行ったおかげか、回復は順調で現在はリハビリを続けている。
子どもであるが故に体力は弱いが、逆に若いので治りが早いメリットもある。
順調にリハビリも進んで筋力も付いて来たため、そろそろスケジュールも第二段階に進めても良いと判断した。

「では、回診ついでにその事を、彼女に伝えてくるよ」
やや冷めてしまったコーヒーを飲み干して、紙コップを丸めゴミ箱に放り投げる。
さて、午後の仕事再開だ。
会議と打ち合わせを兼ねた会食のおかげで、今日はあかねと昼食を摂ることが出来なかった。
天使からのパワーチャージが出来ていないから、ちょっとだけ気力は衰え気味ではあるけれど、気を引き締めねば天使からのお小言が待っている。

ま、天使様の怒った顔も良いものだけどねえ。

なんて、そんなことを言ったら即座にそっぽ向かれてしまいそうだから、背筋を伸ばして気分転換に深呼吸してみて。
「さ、定時まで頑張ろうかね」
ひとりごとをつぶやいたあと、友雅は患者の病棟へと向かった。



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Megumi,Ka

suga