|
完璧なフォローをしていたおかげで、朝の目覚めは文句無しだった。
声もちゃんと出るし頭もスッキリ。カーテンを開けると清々しい青空と朝日が部屋に差し込む。
顔を洗って簡単なメイクを終えて、朝食を摂りに部屋を出る。
レストランにはビジネスマンのような男性が数人、家族連れが二組、あとは女性同士やカップルのような客。
こういうところで一人の朝食は、初めてかも知れないな…と考える。
一人旅の経験もなく、社員旅行などではいつも誰かがいたし、それ以外は常に彼がいた。どちらかが夜勤だったり休日だったりで一人の食事は度々あるが、自宅と外食とでは全然違う。
新鮮なようで、どこか物足りないようで、何だか不思議な気分だ。
そういえば、しばらく旅行していないな。
休日が重なることは多々あるけれど、殆ど近場で過ごしている。
そんな日常に文句はないし、たまにデート気分で外出するのも楽しい。
でも、がらっと環境を変えて過ごすのも時には良いもの。
年末年始…予定合わせられそうかな。
芸能人みたいに海外旅行は無理でも、ゆっくり一年の疲れを落として新しい一年への活力を得る旅の計画。
帰ったら友雅さんに相談してみよう。
あかねは食事を軽めに済ませ、いつものカフェオレではなくアメリカンの苦みで背筋を伸ばした。
午前11時。
母校の講堂前には立て看板が掲げられていた。
"第○○期卒業生、元宮あかねさん講演会”
「先生、これやりすぎじゃないですかぁ?」
「立派な先輩のお話を聞く会なんだから、これくらいアピールしても良いのよ」
笑いながら恩師は言うが、こうも自分のフルネームを大々的に書かれると…。
在校生、つまり後輩たちは話をきちんと聞いてくれるだろうか。
あかねも学生だった頃に、同じような経験がある。こんな風に何人かの卒業生の話を聞き、そこから色々なことを学んだ。
今度は自分が、彼らに実りのある言葉を伝えられるか。
目の前に本番が迫ってきたら、急にまた緊張感が押し寄せてきた。
講演内容をまとめたファイルを抱きしめる。これを見ながら話せば良いし、何度も練習してきたけれど…。
「あと10分ね。もう殆ど集まってるかな」
舞台袖から客席を見る恩師の肩越しに、ざわざわと人の声と顔が見え隠れする。
落ち着かなきゃ。冷静に、しっかりと。
でも…。
「緊張してる?手のひらに人の字書いたら?」
様子に気付いた恩師が、わざとくだけた口調で話しかけた。
「おまじないって結構効くのよ。あがらない呪文を唱えたりとかね」
呪文の言葉。落ち着かせる言葉。
「…Take it easy」
「ああ、良いじゃない。そう、気楽によ」
夕べスマホに届いていた言葉が、あかねの脳裏に蘇る。
気楽に行こう。集まっているのは敵じゃなく愛すべき後輩たち。
堅苦しい内容ではなく、励ましの気持ちで話せば良いのだ。
あの時、自分が先輩の言葉で背中を押されたように。
『間もなく講演会を開始致します。スマートフォンは必ず電源をオフに----------』
会場に響くアナウンスは、幕が上がるカウントダウン。
ぽんぽんと背中を叩く恩師の手のぬくもりを感じながら、あかねは一歩ずつしっかりと足を踏み出して舞台へと向かった。
講演会がスタートして20分ほど過ぎた頃、一台の車が教員用駐車場へ入ってきた。
裏口では数人の教師とスタッフが、車の中から出てきた男性を出迎える。
「ようこそお越し下さいました。お話はよく伺っております」
「突然の連絡と訪問になり、大変失礼いたしました」
「いえいえ、とんでもございません。どうぞご遠慮なく」
ダークグレーのコートを軽く羽織り、長い髪をゆるめに束ねた長身の姿は誰の目にも華やかで、思わず見とれてしまう者もちらほら。
「まだ講演中のようですね」
「見学なさいますか?ご案内致しますよ」
「ご迷惑でなければ是非」
恩師と会話を交わし、彼は講堂へと歩いて行く。
「…ホントにお医者様、ですよねえ?」
後ろを着いて行くスタッフの小声は、彼の距離ではおそらく届かないだろう。
平日ならば生徒たちで賑わう昇降口は、今日は人の気配もなく閑散としている。
休日に校内へやって来る者は部活動の生徒くらいだが、講演会があるので今日の部活は全て休みらしい。
ここが、あかねの過ごしていた学校か。
初めて見る校舎、植栽、グラウンドや校内の設備。
特に変わった学校ではないのだけれど、彼女が今と変わらず真っ直ぐに生きていた場所だ。
看護師になる夢を叶えるため、ありとあらゆるものをすべて吸収し学んできた結果が、現在の彼女の姿だ。
この学校に通っていなかったら、果たして私たちは出会えたかな?
ここの生徒だけを実習に受け入れているわけではないから、会える機会はないわけではないのだけれど。
「どうぞこちらからお入り下さい」
恩師が案内してくれたのは舞台袖。
最初は舞台が見える講堂の後ろを勧めてくれたが、もしあかねに気付かれたら動揺しそうなので裏から見えるこちらにした。
「きちんとお話して下さっておりますよ。ご安心なさいました?」
「やっぱり気になりましてね。過保護な上司でお恥ずかしい限りです」
「上司であり旦那様であり…気にかけるのは当然のことですよ」
私も教え子の一人として配はしていましたから、とあかねの恩師は笑う。
歴代の中でも特に優秀だった彼女への信頼は厚いが、本番で緊張しないか少し不安もあったが取り越し苦労だった、と。
視線が向けられた舞台では、客席に向かってはきはきと話すあかねの姿がある。ピンと背筋を伸ばした姿勢で、時々場内から柔らかい笑い声がして空気が和む。
「今回の講演について、随分と協力して下さったとか」
「アドバイス程度ですよ。あの通り、元々真面目で優秀な女性ですから」
真面目な故に考え過ぎてしまうのが彼女の長所でもあり短所。
それを短所にしないように、肩の力を抜く言葉を掛けてあげただけ。
まあ、彼女が少しでもリラックスして挑めたのなら本望。
「ありがとうございました。もう下がらせて頂きます」
あまり居座ると気付かれる可能性もあるので、後は裏で待たせてもらいます、と友雅は舞台袖から下りた。
講演会は40分、その後質疑応答が10分程度の予定なので、もうしばらく終わるまでは時間が掛かる。友雅は教職員たちに応接室へと案内され、お茶と共に彼女の恩師と歓談することになった。
こんな機会は滅多にないのでと、卒業アルバムや文集も取り出して見せてくれた。
「ふふ、本当に全然変わっていないんですね」
看護師を目指す理由や、これからの医療と看護について、医大生の論文にも負けず劣らずしっかりとした内容。どこをとっても、どの時代も、彼女には一切ブレがない。もちろん、現在も。
出来るかぎり笑顔を保つように心がけている彼女は、アルバムの中でも殆どが笑顔。若い頃は悩みも多かっただろうに、時には泣いたこともあったはずだろうに。
---------そう、二人のきっかけとなった臨床実習。
この時も、絶対に彼女は泣かなかった。
歯を食いしばり自身のミスを猛省しながら、誰よりも集中して看護を学んでいた。
真面目な生徒は大勢いるが、学生であれほどプロ意識を持っている子は珍しいと、当時の看護師長は一目置いていたほどだ。
看護師試験に合格して就活する前に、うちでスカウト出来ないだろうかと冗談のような本音も聞かされた。
結果的に、彼女はうちの病院で看護師のスタートを切った。
就職先を選んだ理由について、自分が少しは影響しているのかなと自負はあるが。
|