Private Angel

 004---------
「可愛い看護師さんに憧れるのは、同じ男として同調出来なくもないけどねえ…」

外はカンカン照りの夏日和なのに、その声を聞いたとたん、森村の身体が一瞬のうちに凍り付いた。
後ろから伸びた大きな手が、二人の肩を同時にぽん、と叩く。
そして、さっき通り過ぎたばずの艶やかな顔が、彼らの顔を覗き込む。
「残念ながら、病院はどこも慢性の人員不足なものでね。看護師も選り好みが出来る余裕はないのだよ。すまないね」
「あー、あ、どうもすいません…」
何と言うタイミングの悪さ。
すっかり通り過ぎてしまったと思っていたのに、すぐ後ろに彼がいるということは、今の会話を間違いなく聞いていたはずで。
つまり、あかねがどうのとか、あかねが可愛いとか、赤の他人の第三者の発言を耳にして、それでいて…この笑顔。
ああ、おそろしい。この、平然とした態度が逆におそろしい。
この笑顔の裏で、どんなことを腹の中で思っているやら。
間違いなく彼の中では、こいつの首根っこを掴んでいるにちがいない。
「その代わり、森村くんに何でも頼ると良いよ。君も気が知れているし、話しやすいだろう?」
「あ、はあ…」
事情を知らない親友は、友雅の言葉にうなづいているが、後々こちらにどんなしわ寄せが来るか。
考えただけでも、頭が痛い。

「天真〜?どした?」
壁に額を押し付けている森村の背中を、親友がちょんちょんと叩いた。
「おまえ、面倒な種を撒きちらしやがってぇ…」
「はぁ?何言ってんの」
きょとんとした顔で森村を見ると、はあ、と大きなため息をついて顔を上げた。
「…あのな、橘先生なんだよ、あいつの旦那って」
「……は?」
「さっき走ってった、幼なじみの看護師。あいつは、橘先生の奥さんってこと」
「---------------ええええ!!」
男の絶叫が廊下に響き渡ったとたん、ナースステーションから看護師長が飛び出して来た。
「ちょっと森村くん!何を廊下でぎゃーぎゃーと騒いで……って、どうしたの」
病院のスタッフなら、この状況がどんなことかは分かるはず。
特に、あかねと同じ女性看護師なら尚更…友雅の本性は周知の事実。


「あらら…やっちゃったわねえソレ…」
事の状況を話すと、彼女もまた苦笑しながら頭を抱えた。
長期入院の患者ならともかく、入って来たばかりの患者には分かるまい。
さらっと何気ない一言が、いかに友雅に悪影響を与えるか。
「先生はねえ、ああ見えてホンット愛妻家だからねえ」
「いや、あれは愛妻家ってレベルじゃないっしょ!」
「…そうねえ。やきもちやきだしねえ、あかねに絡む相手は全員目の敵だしねえ」
「独占欲強いっつーか、誰も近寄るなオーラ発動っつーか」

森村と看護師の会話を聞いていて、彼は言葉を失った。
さっきの彼女と夫婦だというのにも驚くが、この二人が言っているのは、本当にあの医師のことなのか。
むしろ一般の想像では、逆の立場ではないかと。
つまり、妻の方が夫に執着すると。
だってあの容姿じゃあ、他の女性が放っておくまい……。
「おまえ、信じられないとか思ってるだろ」
ぎく。
こちらの憶測を見破られたか、と彼は森村に向き合った。
「信じられないかと思うがなー…事実なんだよな、これが」
「そ。簡単に言えば、奥さんが好きで好きでしょーがないヒトってこと」
「あ、それが一番分かりやすい表現っすね」
二人で納得し合っているが、あの医師がそこまで愛妻家(と言えば聞こえが良いが)だなんて…。
「人って見かけに寄らないんですねえ」
思わず、自然とそんな言葉が口から飛び出した。


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地下の駐車場に停めた車から下りると、籠った外気の熱が身体に絡み付く。
重苦しい空気を避けるようにして、足早に館内へと向かった。
フロアは空調が行き届いているので、中に入ってしまえば丁度良い涼しさ。
5階へのエレベーターボタンを押し、そのまま自室へ。

「おかえりなさーい」
この時間に帰宅すれば、大概あかねがキッチンから顔を出して迎えてくれる。
友雅は、手に持っていた紙袋をカウンターの上に置いた。
「何ですか?これ」
「お裾分け。医局で余った分を貰って来たんだよ」
中を開けてみると、フルーツを絡めたクラッシュゼリーが、グラスの中できらきらと輝いていた。
「美味しそう〜。デザートまで冷やしておきますね」
冷蔵庫のドアを開けて、そのまま袋ごと中に入れようとしたあかねを、友雅がカウンターの向こうから呼び止めた。
「せっかくだから、今食べてしまったらどうだい。保冷剤のおかげで、まだ冷えているし」
「え、でも」
「夕飯はゆっくりでも良いよ。あかねだって、デザートの方がメインより気になっているんじゃないかい?」
それくらいのことは、友雅にはすっかりお見通しだった。
幸い今日は火を使う料理は少ないし、下ごしらえはもう終わっているし。
前菜のつもりで、ちょっと早めに食べちゃっても良いか…な?
「私はシャワー使うから、先にいただいておいで」
「はあい。じゃ、いただきまーす」

シャワーをさっと浴び終えた友雅は、洗い立てのバスローブに袖を通した。
リビングに戻ると、あかねはソファに座っていて、さっきのゼリーを味わっている最中だった。
そのテーブルの上にはゼリーではなく、レモンイエローのミニボトルが汗をかきながら置かれている。
「ゼリーより、こっちの方が良いだろうと思って」
「さすがは天使様。私のことをよく理解して下さっているね」
手に取ると、きいんと冷たいスブリッツァボトル。
日中の夏の暑さと、シャワーの熱で暖まった身体を、のどごしから体内へと冷やしてくれる。
「では、しばらく夕涼みでもさせてもらおうかな」
一口だけスプリッツァで喉を潤し、そのままごろりとあかねの膝の上へ。
家でくつろぐ時は、彼女の膝枕が一番心地良い。
いつものことだから、あかねも文句ひとつ言わず膝を差し出してくれるし、ほのかに甘いゼリーシロップの香りが漂う。

以前は独り暮らしだった部屋だけど、今はもう二人の住まいだからね、ここは。
邪魔者が入る心配のない、プライベートスペース。お互いに、素のままでいられる唯一の場所だ。
だから、いくらでも彼女を独占できる権利がある。
心のすべても、身体のすべても、何もかも。
「…きゃあっ!何するんですかいきなり!」
膝小僧に柔らかな感触が触れて、びっくりしたあかねはスプーンを落としそうになった。
友雅の唇が、何度も繰り返しキスをする。
左右の膝の当たりを、悪戯するような感覚で。



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Megumi,Ka

suga