Private Angel

 003---------
「ごちそーさまでした。すいません、調子に乗って食いまくって」
「構わないよ。そのつもりで連れて来たのだし」
昼食を終え、友雅が支払いを済ませると、二人は本館に向かって歩き出した。
今日は本当に良い天気だ。まだまだ残暑が厳しそうな青空。
久しぶりに満腹な昼下がり。
時間はもうしばらく余裕があるし、医局でごろ寝でもしていようか。
などと、友雅の後ろを歩いていた森村だったが、その背中が突然壁のように立ちはだかり、足がぴたりと止まった。

「あかね?」
彼の視線が捕らえたそこには、こちらに向かって足早に駆けて来るあかねの姿があった。
その手には、看護服よりちょっと濃いめのピンク色をした、小さなバッグが握られている。
「どうしたんだい?そんな急いで」
「ちょっと売店に…。ストッキングが伝線しちゃって」
ほら、とあかねはスカートの裾をつまんだ。
ふくらはぎから膝に掛けて、白いストッキングの表面がつーっと線を描くように解れている。
「替えのストッキング持ってないから、買ってきて履き替えないと!」
あかねはそう答えると、二人の前を走り抜けて行った。

「あーあ、大変っすねえ…女って」
一塵の風のように駆け抜けたあかねの残像を、思い起こしながら森村が言う。
「うちも妹がいるんで、あんな風によくストッキングがー!とか騒いでるんスよね。でも、あれっぽっちで使い物になんないんじゃ、コスパ悪い気がするんですけどねー」
「森村くん」
「はいー?」
名前を呼ばれて、森村は振り返った。
すると友雅が、妙な顔をして自分を見ている。
…え、俺…何かヤバいこと言ったか!?
彼が様子を変えるのは、間違いなくあかねに関することだと安易に予想はつくが、発言を思い返してみるけれど、彼の逆鱗に触れるようなことは言っていない気が…するのだが、どうなのだ。
「いや、何でもないよ。行こうか」
こっちが軽いパニックを起こしているにも関わらず、友雅は何もなかったかのようにまた歩き出す。


「なんだよー、こっちにはスカートの看護師さん結構いるじゃん!」
あかねとは反対の方向から、若い男性の声がした。
松葉杖を付いた青年が、ナースステーション近くに立っている。
「何おまえ、ウロウロしてて良いのかよ」
「午後からリハビリ。その為に、ちょっと足慣らし〜な感じで散歩がてら、ふらふらっとね」
気付いた森村は、すぐに彼の方へ駆け寄って行った。

患者との会話とは思えない碎け口調に、友雅は二人の様子をしげしげと眺める。
年の頃は同じくらいだし、この雰囲気からすると…友達同士かな。
「あっと…そうだ!ええと…この患者さん、俺の学生時代からの友人で…」
「やっぱりね。どうりで親し気な感じだと思ったよ」
普通の患者なら考えものだが、友達ならこういう接し方も良いだろう。
ただでさえ気が滅入る入院生活だ。親しい者がスタッフにいれば、患者の精神面には効果がある。
そんな風に考えている友雅を、今度は森村が彼に紹介した。
「えーとな、整外の橘先生。おまえの担当じゃないけどな、国内でも腕利きの先生なんだぞ」
「あ…ど、どうも…お世話になります」
「どうも。リハビリ大変だろうけど、早く退院出来るように頑張るんだよ」
差し出された手で、ぎゅっと握手をする。

外科医は器用だから指先が綺麗とは、都市伝説くらいにしか思っていなかったが、彼の指先は確かに長くてしなやかだ。
それでいて大きくて、握力はしっかりありそうな気もする。
だが、そんなことより…もだ。
……このヒト、マジで医者?と、問い質したくなるような、この見た目。
長い髪を後ろで編んで束ね、いちいち表情が艶っぽく、それでいてすらりと長身で日本人離れした容姿。
どう見ても医者というよりは、違う場所で稼いでいそうな雰囲気。
こりゃあさぞかし院内でも、女性ファンが多いんだろうなあ…とか、客観的にそんな羨望の目で見てしまう自分がいる。

「おい、リハビリ室に連れてってやろーか?」
森村の声が近くで聞こえて、はっと彼は我に返った。
あまりにも場違いな雰囲気の人物に遭遇し、思わずぼうっとしてしまったようだ。
「リハビリ室なら、逆のエレベーターを使った方が近いぜ?こっちはナースステーションしかないしさ」
「あ、いやそれはほら、わざとってことで」
彼は急に表情を緩ませると、森村にこっそり耳うちをする。
「スカートの看護師さん、眺めに来たに決まってんじゃんよ」
「なっ、おまえっ!」
午前中に話していた戯れ言を、まだ覚えていたのか。
しかも松葉杖までついて、実力行使でお目当ての看護師をチェックに来たと。
まったく、彼の異性に対する情熱には頭が下がる。
そういえば、学生時代もコンパ王と言われていたくらいの男だし。
とか呆れつつも、森村も全否定出来ない立場であることは、自他ともに認めるが。

「ふふ、それだけ元気なら回復も早そうだね。じゃ、私は先に行くよ」
「あ、はいー!ごちそうさまでしたっ!」
手のひらを翳して、友雅は彼らの前から立ち去った。
数歩離れても、彼らの賑やかな会話は耳に入って来る。
親友と一緒だと、まだまだ彼も学生と同じ。
その若々しさが一層引き立つというか、それがまた微笑ましくもある。
さて、あの森村が一人前のドクターになるまで、あとどれくらい掛かるだろう。
もしも彼が整外を選ぶことになったら、その行く末をじっくりと観察するのも面白そうだ。

「でさあ、さっき走ってった看護師さん可愛いじゃん」
………………ん?
エレベーターホールに向かっていた友雅の足が、ぴたっとそこで止まった。
背中の向こうから聞こえて来た声は、さっきの患者のものだ。
思わずその場に立ち止まり、耳が自然と彼らの声を捕らえようとする。

「おまえ、さっき親しそうにしてたけど、知り合いだったのか?」
「あー…あいつはその、幼なじみみたいなもんで、古い付き合いなんだよ」
さっき走って行った看護師なんて、一人しかいない。
バッグを手にして、階下の売店にストッキングを買いに走ったあかねのことだ。
ほぼ99%間違いなく。
「あの子、可愛いな!俺の担当にしてよー」
「はあ?バカ言ってんじゃねーよおまえ…」
森村は呆れながら、親友の顔を横目で見た。
何でまた、あかねに目をつけるかなあ…コイツ。
他にも女性看護師(しかもフリー)はいるのだから、そっちに目を向ければいいものの、どうしてあかねが目につくのだ。
「あいつはね、もう人妻なの、残念ながら」
「ええええ!?旦那いるのぉ!?あれで!?」
こちらがびっくりするほど、予想外にリアクションが派手だった。
ということは、あかねが既婚者だとは全く思っていなかったのだろう。
まあ、実際自分たちよりは年下だし、高校を出てから看護学校経由の看護師たちよりは若い。
自分たちがこんな独り身だから余計に、彼女が既婚というのには驚きもあったのかもしれない。

「そっかあ。でも、別に人妻だからって、男の患者を担当しちゃいけないってのは、ないんだろ」
あたりまえだ。そんな規則がどこにあるか。



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Megumi,Ka

suga