Please! Jealousy

 第七話(2)---------
BGMも何もない、静寂だけがそこにある深夜の当直室。
そんな無音の世界だからこそ、しっかりと聞こえるものがある。
とくん、とくんと動く心音。
ぴく、ぴく、と流れて行く血流の音。
そして、じわじわ染み込んで行くぬくもりさえ、音になって聞こえて来そうなな。

「んもー…重いんですけどっ」
自分よりも大きな身体が、どっしりと重なっている。
上半身だけは何とか起こせたが、こうも全身預けられたら身動きが取れない。
「自分で分かってます?友雅さん結構重いんですよっ。思いっきり乗っかられたら、潰れちゃう」
「そうか。じゃあ、これからはあかねが上になるかい?」
「また!すぐにそっち方向の発想するんだから!」
軽く肩を叩いて文句を付けたが、そんなこと気にもしない友雅は、更にぎゅっと腰に手を回して、胸に顔を押し当ててくる。

「こうして顔を埋めていると、気持ちが良いんだよ。柔らかくて」
「イヤラシイ…」
呆れ気味につぶやくあかねの声に、くすくすと友雅は笑う。
ふわりと香ってくるフローラルのコロンは、近付かないと分からないほどかすかなもの。
こうして触れられる距離じゃなければ、彼女の香りには誰も気付かないだろう。
「ずっと同じ香りだね」
「そーですよ。友雅さんがくれたんじゃないですか」
看護師試験に受かったお祝いに、プレゼントでもらったコロンは、未だに使い切っていない。
何やら結構なお値段の代物のようで、勿体なくてほんの少ししか使えない。
「でも、医療現場のお仕事ですからね。あまり強く香るんじゃ、患者さんたちに迷惑でしょ」
「そうだね。こうして触れなきゃ気付かないくらいが、丁度良いよ」
そう言って、また彼は顔をすり寄せてくる。

まったくもう…子どもみたいなんだから。
自分なんかよりずっと大人で、地位も人生経験も豊富なくせして、二人きりになるとコロッと変わる。
どんどん接近してきて、その腕で抱きすくめて。
身体をぴたりと密着させては、甘えさせて欲しいと態度で示す。
ただし、彼が大人であることは変わりないから、常に大人のやり方を心得ているところが侮れない。
惚れた弱みを巧みに利用して、抗えないように迫るなんてお手の物だ。

……惚れた弱み、かぁ〜…。
どっちが先だったのか、未だに謎のままだけれど。
でも、好きになってしまっているのは、間違いなく真実であるから。
だから彼の過去だって、いつでも気にはしていた。

過去の恋人が押し掛けて来て、彼に復縁を迫って来たらどうしよう?とか。
または自分に対して、略奪愛の宣戦布告をされたりしたら?とか。
彼が流されてしまうなんて信じていなかったし(信じようと努力した部分もあるけれど)、何よりそういうことにこだわってグチグチするのは、子どもっぽいしみっともないと思っていた。
もしもそんな時に遭遇してしまったら…絶対に動じたりしないように心がけよう。
毅然と大人の態度で、相手の女性と向き合おうと。
こちらが揺らぐ必要はない。
彼の妻である自分が、過去の相手にこだわる理由はない。
過去は過去で、現在は現在。
堂々と胸を張って、相手に隙を見せず接するように努めよう。
「そう思ってましたから。ずーっと前から」
「やれやれ…。そんなに昔から、天使様の気を揉ませていたのか。どうやって詫びれば良いんだろうねえ、私は」
指先が伸びて来て、あかねの顎をなぞるように触れる。
胸元から膝の上に身体をずらし、友雅は下からあかねの表情を覗き込む。

「そうですねえ、どんなお詫びしてもらおうかなー」
顎に触れた彼の指先に、あかねはそっと自分の指を重ねた。
さらりと頬に掛かる髪の毛を掻きあげ、とぼけたように少し考えてから、くすっと笑う声。
「よそ見したり、昔を思いふけったりしないなら、許してあげても良いですよ?」
他の誰かに目を奪われたり、過去の誰かを思い出したり。
一瞬でも、自分以外の女性のことを考えたりしないでくれたら。
「奥さんしか相手にしないって、約束してくれるんだったら……これまでのことは全部忘れてあげます」
「ふうん…。でも、それじゃ今と変わらないな。現状維持に過ぎないだろう」
友雅の両手が頭を静かに包むと、ゆっくりとした力でこちらへ傾けさせる。
さらさら…柔らかで素直な細い髪。
引き寄せる、唇。

「維持する必要はない、か。更に努力をすれば良いんだね」
今よりもっとこの想いを膨らませて、育てて。
不安に思う余裕なんてないくらい、『愛されている』と常に実感させてみせる。
「では、これからまた気を引き締めて、今まで以上に天使様へ愛情を注がせて頂きましょうか…ね?」

見下ろしているあかねの唇が、艶やかに輝く。
毒々しい紅ではなく、ほんのりと色づく程度のカラーリップ。
こんな色が、あかねにはよく似合う。はにかんだ時に染まる、頬のような桜色。
彼女の魅力が、いっそう引き立つ。
「ほら、もっと顔をこっちへ」
「あーん、ちょっとっ!首が痛くなっちゃいますってば」
一度くらいのキスで済むわけもなく、離れた唇を戻すようにと友雅は急かすけれど、この姿勢で背中をずっと曲げてはいられない。
でも、重なり合いたい気持ちは同じ。
だから、何とかして触れ合おうと試みる。
「やっぱり、隣においで。その方が何かと都合良い」
「どーいう都合ですか、それって」
手を取る友雅の誘導に逆らう事なく、苦笑しながらもあかねは身体を横たえた。


いつものように、隣同士寄り添って、ひとつのベッドで。
寝室のサイズよりずっと狭いシングルベッドだが、その分互いは距離を狭めざるを得ない。
「何だか私、ここに来るといつもこうしてる気がするんですけど」
「ふふ…そうだったね」
某国の皇子と一悶着起きたときも、彼のご機嫌伺いに当直室に忍び込んだ。
「あの時も、膝枕して欲しいとか一緒に寝て欲しいとか言ってー」
「仮眠というのは、精神的な癒しも必要だからね。なら、あかねに触れるのが一番だろう?」
はあ、とあかねのため息がこぼれる。
毎回そうやって、艶やかな笑みで応えられてしまうと、答えの選択肢がなくなってしまう。
「分かりましたよ。大人しく抱きまくらになりますから、少し眠ってください」
諦めて、ごろりと身体を彼の方へ傾ける。
両手がそのまま、あかねを包み込むようにしっかりと抱きかかえて、静かに友雅は目を伏せた。
「おやすみ、天使様」
「はいはい。ゆっくりどうぞ」
満足そうに少し笑って、彼はすうっと呼吸を整えた。



***********

Megumi,Ka

suga