Please! Jealousy

 第七話(1)---------
白い壁に、モスグリーンの明るいブラインド。
ベッドと机はローズウッドを使った、落ち着きのあるインテリア。
医局の無機質で事務的な雰囲気と違って、当直室は家具や色調を考慮しているのだと聞く。
数時間の仮眠でも深く休めるようにと、カラーセラピーを導入しているしい。
確かにここは、堅苦しい気分は感じられない。

「ねえ、友雅さんて…今まで何人とお付き合いしたんですか?」
あかねの声が耳に届く。
背中に彼女のぬくもりを受け、細い手が自分に絡みつく。
「それは、言わないといけないことかい?」
「うん、聞きたいから。全然聞いたこと、なかったもの」
「過去の話は……あまりしたくないんだがね。意味の無いことだし」
そう、聞かれたことがなかったから、これまで何も言わなかった。
わざわざ思い出すような内容も、忘れられないこともなかったのも事実だ。

「正直、覚えていない」
そんな答えをするしかなかった。
「誤摩化しているんじゃないよ。付き合っている、という意味がよく分からないんだ。そう言える相手がいたか…どうか」
何人の女性と…付き合っただろう?
気がつけば、いつも誰かそばにいた気がするけれども、名前も顔も曖昧で。
それが何故なのかと問われたら、今と昔の自分に明らかな違いがあるから。
「付き合ったということが恋愛とイコールならば…それこそどうだろうな。思い付かない」
あかねと出会って、二人での記憶がどんどん増えていく。
それらは薄れることもなく、鮮明なままで胸の奥に刻まれて、忘れられないものになっている。
面影でしか存在しない、過去の誰かでは出来なかったこと。
恋をしているから、だ。
だとしたら……残りもしない過去の出会いは、とても恋とはいえない。

「…あの人も、恋人じゃなかったんですか?」
あかねが尋ねたその女性のことを、友雅は思い出しながら言葉を選ぶ。
今は毎日のように顔を合わせているから、否応にも思い出されるけれども、再会しなければ彼女も、忘れかけていた一人だ。
ただし、他の女性よりは記憶に残っている。
男女の関係が印象深かったわけではなくて、仕事を共にしていた"同僚"の肩書きがあるからである。
そう思えば、あかねも例外ではないのだけれど。
「同僚だったから話も合ったし…まあ、比較的長い付き合いはしたと思う。けれど…恋…か。さあ、どうだろうね」
恋愛という言葉を出されると、やはり彼女も微妙な位置にいる。


「分かりました。じゃあ恋愛感情とかは別として、男女としてのお付き合いした人数、教えてください」
「それは-------それこそ、オフレコにしたい」
「どうして?」
「間違いなく、嫌われそうだから」
……まったく改めて自らを振り返ると、随分と適当な生活をしていたな、と呆れ果てる。
もっと早くあかねに出会えていたら、少しはマシな生き方が出来ただろうに。
なんて、今更どうにもならない希望を、思い浮かばせたりしてしまうほど。
「それだけ、いい加減だったってことだよ」
「自覚してるくらい、たくさんいたってことですか?」
「あかねの想像に任せるよ。それで構わない」
どう推測されようと、放埒な自分の過去を整え直すなんて出来ない。
悔やんでみても変えられないなら、これからの時間で形を表すしかないのだし。
ただし、一度軽蔑されることだけは、十分に覚悟して。


少しの沈黙。
そのあとで、ぎゅっと強まるしがみつく腕。
「…ほら、そんな風だから…仕方ないじゃない」
独り言のような、ぽつりとした声が背中で聞こえた。
「割り切って考えなきゃ…キリがないでしょ…っ」
「あかね?」
振り返ろうとすると、それを正すようにこつんと頭を背中に打ち付ける。
そうして、また腕に力を込める。
「いちいち、友雅さんのお相手を気にしてたら、疲れちゃうの!だから、考えないようにしたの!」

精一杯、吐き出した本音。
これまでひっそりと耐えて来た想い。
見て見ぬふりして考えぬようにして、彼の過去を振り切って来た。
「終わったことだし、今はちゃんと私の旦那様なんだから、もう心配しなくていいんだって、これでも…頑張って考えてたんだから」
彼に気付かれぬよう細心の注意を払って、笑顔でいつものように振る舞って。
相手にもあくまで患者(正確には付き添いだが)として努め、私的な感情は出さずに頑張って来た。
過去の恋人に嫉妬するなんて子どもみたいだし、大人の態度を示さなくてはと自分に言い聞かせて過ごしていたのだ。
「なのに、友雅さんてば…」
こちらの気持ちなんて知らないで、一人でため息なんてついちゃって。
嫉妬してくれていないとか、そんなことを勝手に思っちゃって。
「せっかく頑張ってたのに…全部水の泡ですよっ」
こんこん、と何度も頭を背中に打ち付けながら、あかねは友雅に身体を預ける。


腹の上で組まれた両手。
綺麗に整えられた爪は、毎晩しっかりオイルでマッサージしているから、マニキュアなど塗らなくてもぴかぴかだ。
その手の上に、友雅はそっと自分の手を重ねる。
「平気じゃなかった?」
「だから!何人いるか分からない相手を、そのたびに気にしてたら……ひゃっ!」
あかねの左手を取り上げる。
その中から指輪の光る薬指を選び、彼はそれを自分の唇へと持って行った。
「ずっと気にしていたのか…」
「ち、違いますよ!気にしていたんじゃなくて、気にしないようにしていただけでっ…!」

…………!!!
突然指先が、口の中に放り込まれた。
「ちょ、ちょっ…やだ、くすぐったいからっ!!」
嫌がるあかねに耳を貸さず、彼は指先を舐める。
舌の感触が何だかやたらに艶かしく思えて、頬も熱いし、ぶるっと身震いもする。
「あかねにとって、私の過去なんてどうでも良いのか…と思っていたよ」
愛おし気に唇で指先を弄びながら、小さな手のぬくもりを握りしめる。
自分の手のひらの中に、すっぽり納まってしまうほど小さいのに、存在感の大きさはとても敵わない。
この手ひとつで、気持ちが変わる。
このぬくもりひとつで、自分自身が変わってしまうのを、もう何度となく経験してきた。
知ることのなかった自分が、彼女の目の前で明るみになる。
それは常にどこか未熟で、頼りなくて…意外にも純粋で。
ひとつしか捕らえられない、余裕のかけらもないほど真っすぐな思いばかり。

「ねえっ、友雅さんっ…ちょっともう………んきゃあっ!」
指先の自由を奪われ隙が出来ていたのか、腕の力が緩んでいたところに思い切り体重を掛けられ、あかねはそのまま後ろに倒れた。
もちろん彼女を抱きしめるように、重なって来た彼の身体と一緒に。



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Megumi,Ka

suga