Please! Jealousy

 第六話(1)---------
「ごめんね、みんなにも聞かれてるって知ってるけど…」
しいんと静かなエントランスに、ブラインドの影が足下まで伸びる。
わずかに差し込む日差しに、詩紋の金髪がきらりと輝く昼下がり。
「でもね、やっぱり聞いてみたくて。ホントにあかねちゃん、元カノさんのこと何とも思ってないの?」
「何ともって…。だって、もう終わってることを色々考えても、仕方のないことでしょ?」
誰にだって、いろいろな過去がある。
残念ながらあかね自身は、きちんとした恋愛経験なんて後にも先にも無いけれど、彼の場合はきっと違う。
地位と名誉と収入と、それに加えてルックスがあれだけ伴えば、相手に不足したことなんてないだろう。
事実、付き合ってみて分かったけれど、女性の扱いにはかなり手慣れているし…。
「元カノだって、あの人だけじゃないだろうし。そんなの気にしてたら、キリがないもの」
彼が今まで誰と付き合っていようが、それらはすべて自分と出会う前のこと。
こちらが関与する権利は、一切無いのだから。

「そう割り切って考えないといけない…んだよね?」
サンドイッチをかじろうとすると、意味深なイントネーションで詩紋が答える。
彼はまだあどけなさの残る顔を、そっと覗き込ませるようにこちらを見ていた。
「うん。だって、そうでしょ?」
「そうだよね…キリがないからだよね」
反芻される言葉に、あかねは首をかしげた。
何かおかしなことを言っただろうか?
詩紋に疑問視されるようなことを…言ったとは思えないのだけど。
「こんなこと言って悪いけど…先生、すごくモテたんだろうね」
「え?」
思わず狼狽えて、手元が滑りそうになってしまった。
「う、うん…多分。だから、きっと恋人だってたくさんいただろうし…」
「そうだよね…」
とつぶやくように言ったあと、詩紋はカフェオレのストローを啜った。


突然言葉が途切れ、静かなエントランスが更に静かになる。
耳を澄ませば、外から小鳥の鳴き声。
こんなに日差しが強いのに、元気にさえずって暑くないのかな…なんて、どうでもいいことを考えつつも、隣の詩紋が何を考えているのか気にかかる。
可愛くて穏やかな子だけれど、意外に他人の心理をつく鋭さがある。
嫌みなくすっと本心に入ってくるので、相談相手にされることもしばしば。
もしかして今も、何かこちらの心を探っているんだろうか。
……特に探られても、何もないんだけれど。

「あかねちゃんって、すごく良い奥さんだよね」
ぶっ!げほげほげほ。
飲もうとしたミルクティーが、気管支にまぎれこんでむせ返る。
大丈夫?と慌てながら、詩紋が背中をさすってくれるけれど、そんな彼の一言がこの事態を招いてしまった。
「な、何っ?詩紋くん…いきなり変なこと言うからっ…」
「ごめんねっ!でも、嘘じゃないよ。ホントにあかねちゃん、良い奥さんなんだなあって思って…」
良い奥さんなんて、そんな言葉が自分に飛んでくるなんて。
たまに友雅が冗談めいた感じで、そんなフレーズを使ったりするけれども、面と向かってそんなことを言われた覚えはあまりない。

……あれ?そういえば、つい最近同じようなことを言われた気が。
「あっ…」
そうだ、さっき彼女に言われたんだ。…彼の元カノの彼女に。
「どうかしたの?」
「え?ううん何でもない」
ハンカチで軽く口を拭き、エヘンと喉の調子を整え、改めてソファに座り直した。

「びっくりさせてごめんね。でも、今言ったことは本当だよ」
もう一度、詩紋は言う。
今度はちゃんと姿勢を直し、あかねの方をきちんと見て。
「ホントに良い奥さんだなあって思うんだ。ちゃんとお仕事してるのに、家事もしっかりしてて」
「そ、それは…出来る限度で頑張ってるだけだってば。ちょっと手抜きすることもあるし…」
こういう仕事だから、時間に余裕はそれほどない。
作りおきをストックしておいて、或いは缶詰などを使ってみたり、たまに出来合いのものを買って来ることもあるし。
一応、栄養の偏りがないようにと、考えつつ選んではいるが。
「でも、旦那さんに文句言われたり、しないでしょ?」
「う…まあ…」
文句は…言われたことはない、確かに。
逆に、もっと適当にして良いからと言われることはある。
適当に済ませて、自分を構ってくれなんて子どもみたいなことを言ったり……。
思い出したら、顔が緩んだ。

「だからね、良い奥さんだなって思ったんだ。仕事も家事も頑張ってるのに、旦那さんを良い気分にしてあげられてるんだもん」
「それは…だって、友雅さんのお仕事は大変だもん。だから、家にいるときくらい、リラックスさせてあげたいでしょう?」
ドクターは患者の命を預かるという、常に緊張を解くことを許されない仕事だ。
軽度の傷だろうが、生死に関わる病であろうが関係ない。
常に最良の診察と治療を求められ、それに応えなければいけないのだから、ストレスもプレッシャーも半端じゃないだろう。
そんな彼を夫に選んだのだから、自分は妻として彼をサポートするのも仕事のひとつだと思っている。
「いろいろ考えてるんだよ。ほら、詩紋くんが前に教えてくれたでしょ、アロマのこととか…」
疲れに効くハーブ、安眠できるハーブ、気分をすっきりさせるハーブ…etc。
お茶にしたり、ベッドにポプリを置いてみたりと、工夫しながら使っているのだが、効果はどうなのか分からない。
でも、あらゆることを取り入れて、それが少しでもリラックスにつながるのなら。

……と、くすっと小さな笑い声が。
「ほら、そんな風にいつも旦那さんのこと、考えてるんだもん。先生が惚気ちゃうの、何だか分かるなあ」
「の、惚気っ?友雅さん、どんなこと言ってるのっ!?」
たまに調子に乗ると、恥ずかしいくらいの台詞もさらっと言ってしまう人だから、果たして何を口走っているやら、気が気でならない。
すると詩紋は手をかざして、笑い声を少し抑えた。
「言うっていうか…何かいつもね、あかねちゃんのことばっかり話してるんだ。だから、本当にあかねちゃんが好きなんだな〜って思って」
真っ向からそんなこと言われたので、かあっと頬が熱を吹き出したのが分かる。
外の暑さとかじゃなく、体内からの熱。
体温ではなくて、震えた心からじわりと浮き上がった熱に、頬がきっと赤くなっているはず。

「でも、あかねちゃんの話聞いてて分かったよ。先生がそんな風に好きになっちゃうの、当然だなあって」
詩紋はどこか楽しそうに、カフェオレをすすった。
もしも自分がいつか結婚して、奥さんがこんな風にしてくれたら…と考えてみる。
疲れて帰って来ても、リラックス出来る空間を整えてくれているなんて、素敵だなあと思う。
「今まで以上に、どんどん好きになっちゃうよね」
好きだから一緒になったんだろうけれど、そんな一面を見せてくれたら、ますます気持ちは高まる。
彼女が自分のことを考えてくれているように、自分もまた彼女のことを考えずにはいられなくなるほどに。
まさに、友雅はこの状態なんだろう。
「だから…きっと、あかねちゃんにも、いつも自分のこと気にかけていて欲しいって、思ってるんだろうな…先生」
「え?どういうこと?」
どこか遠くを見ている詩紋の目は、何かを思い浮かべているよう。
実感のこもった口振りは、思い当たる節があるということなのだろうか。

「先生にとって一番辛いのって、あかねちゃんが無関心でいることなんだろうね」
無関心?あまり実感のない言葉が、詩紋の口から飛び出した。
「わ、私ってそう見えるの?詩紋くんから見ても?」
友雅のことに自分が無関心だと…他人はそう感じているのか?
仕事場ではきっちり立場を踏まえて、上司と部下の関係を貫いているのだけれど、それが無関心に見えるんだろうか。

…だって、逆に友雅さんが遠慮ないんだもん…。
うっかりしたら押し切られそうなほど、人目をはばからず本能に忠実な彼だから。



***********

Megumi,Ka

suga