Please! Jealousy

 第五話(2)---------
空っぽの椅子を目の前に、未だ二人は席を立たずにいた。
少しずつ客も減って来ているけれど、まだ昼休みは30分近く残っている。
「それにしてもさあ…重症だな、橘先生」
二杯目のコーラも、もう残り少ない。
詩紋のアイスココアは、まだ半分くらい。
食事も簡単に済んで、ドリンクで一息…というわけにも行かない雰囲気だ。
「ほんっと…あかねちゃんのことが好きなんだね…」
「よくまあ、あの先生をそこまで虜にしたもんだわ。感心するわ、オレ」
彼くらいのルックスなら、女性なんてよりどりみどりだろう。
加えてドクターとしての腕もあり、地位とそれなりの名声で将来もそこそこ有望。収入だって、文句無し。
女なら、誰でも一度は恋人の対象として挙げるものを、彼はすべて持っている。
その男を、あそこまで骨抜きにしてしまうとは…。
「女冥利に尽きるってヤツだよな」
「う、うん…そう…だよね」

森村は一緒に働いているから、普段から友雅と接する機会も多い。
逆に詩紋は、それほど頻繁に顔を合わせることもないので、そう詳しいことまでは分からない。森村たちから色々聞く程度だ。
それでも、たまに話を聞く度に思う。
彼の目には、あかねしか映っていないのだと。
「あかねちゃんさあ、橘先生があんなに思ってくれてるの、分かってるのかなあ」
「そりゃ分かってるだろ。先生のことだから、手取り足取りで教えてやってるに違いねえぜ」
どうも下世話な意味があるように聞こえるが…まあ、友雅のことだから、そういうことは抜かりないだろう。
「でもね、僕…ちょっとあかねちゃんと先生、すれ違ってる気がするんだ」
「すれ違い〜?あの二人に、そんなのあるかぁ?」
さっきだって、けろっとして惚気るくらいだ。
あかねの方もはっきりと、友雅を信じていると言い切るくらいなのに、それですれ違い?
「すれ違いっていうかね…あかねちゃんが出している答えと、先生が求めている答えとが、ちょっとずれてるっていうか」

あかねの考える"良妻”とは、どういうものだろう。
働き者?夫を支える?家事をしっかりこなす?
今の状態では、十分にそれは果たしていると思う。
看護師として夜勤などもこなすし、料理も毎日作っているらしい。
友雅には毎日弁当を作るし、夜勤の時は夜食まで作って持たせるくらいだから、夫のサポートも抜かりない。
「そういうあかねちゃんだから、先生を信じることが良い奥さんって、思ってるんじゃないかな…」
「え、違うの?」
「ううん、違わないけど…でもね」
でも、生憎彼の方はそういうわけでもないようで。
疑われるのは困るが、ちょっとは意識して欲しい…と、さっきも言っていたくらいだから。
「そうは言ってもなあ。あかねは本気で疑ってねえみたいだぞ」
……森村は言うけれど、果たしてそうなんだろうか。
もしかしたら、わざと物わかり良い風に見せかけている…ということは考えられないか?
「あいつがかぁ?そういう細かいこと、出来るか?」
「うーん……」
話しているうちに、どんどん詩紋のココアが薄まって行く。
ホイップクリームも分離してしまって、あまり美味しくなさそうな。

「ねえ天真先輩、僕ちょっと提案があるんだけど…」
ココアを飲むのを諦めた詩紋が、ふと森村にひとつの策を持ちかけた。
「…はぁ?良いのか?そんなの言っちまって」
「分かんないけど、でも悪い結果にはならないと思うんだよね」
さて、どうなることやら?
このままにしていても、らちがあかないのは確か。
ちょっとしたお節介とも取られそうだが…たまに、そんなお節介が必要になる時もある。




「おかえりなさい。暑かったでしょ」
先に帰宅していたあかねが、インターホンを押すと中からドアを開けてくれる。
適温に調節された冷房に、身体が息を吹き返して行くようだ。
「今日は、お刺身ですよー。お酒冷えてますけど、飲みます?」
「そうだね、もらおうかな」
ほんの少しだけ、酔いたい気分がする。
恋ならば、十分酔っているけれど。
「先にお風呂入って来てください。それまでに、用意しておきますから」
マグロと烏賊そうめんのお刺身に、酢の物とか箸休めをいくつか。
彼の晩酌に付き合って、ご飯はあとまわし。
お酒はあまり得意じゃないから、自分は梅酒でもいただこうか……。

「どうしたんですかー」
大葉を刻んでいたあかねの手が、ぴたりと止まって顔を上げる。
カウンター越しに、こちらを眺めている視線。
「これ、味見したいんですか?」
真っ赤な刺身をひときれ、つまんでひらひらと彼の目の前で揺らしてみたり。
「刺身は冷やしておいた方が、美味しいと思うよ」
「うん、そうですね。だから友雅さんがお風呂から上がったら、きっと丁度良く冷えて…」
急にぐっと手首を掴まれて、カウンターの向こうにまで引っぱられた。
身を乗り出すように顔が近付き、頬をすり抜けて彼の唇は耳元へ。
「全部冷蔵庫に任せて、あかねも一緒においで」
「ええっ?」
一応まだ、調理の途中なんですけど。
「そんなのは、直前でも出来るよ。こっちは、今すぐじゃないと」
「今すぐじゃなきゃって、どーいうことですかーっ」
とか何とか言っているうちに、あっという間の早業で友雅は背後に移動していて。
しかもエプロンのリボンが、するりと解けて足下に落ちる。

「さ、おいで」
あかねはふわりと友雅に担がれ、キッチンからそのまま浴室の方へ。
「んもー、強引なんだからー!」
ぶらぶら足を動かしながらも、抗う様子は見せない。
強引…。
最近とみに、こんな風に強引に浚うことがしばしばあるな、と我に返る。
見つめ合う時間が、少しでも長く欲しくなってしまうから。
邪魔が入る隙間さえない、自分と彼女しか存在しない世界を味わいたくて、つい奪い去ってしまおうと考える。
じっとしていられないなんて、本当に子どもみたいなものだ。
子どもみたいに、ひとつのことしか見えない。

「あん、ちょっと待ってっ!」
浴室の前までやって来て、あかねがはじめてじたばたと手足を動かした。
「携帯のメール、点滅してる!ちょっと確認しても良いでしょ?」
「それっきり逃げたりしては、だめだよ?」
「しませんってば!」
もうここまで来て、止めるなんて言っても仕方ない。喜んで、背中を流すくらいやってあげる。
でも、急なメール内容だったら困るから、ちゃんとチェックをしておかなければ。

取り上げて、ぱかっとモニタを開く。
『メール着信あり/流山詩紋』
…え?詩紋くんからのメールって、何だろう。
表示してみると、中に書かれていた内容は…

"明日、お昼一緒にどうかなあ。ちょっと相談したいことがあって…"
相談って、何だろう。
天真くんと今日はお昼してたって聞いたけど、今度は私じゃないとダメなことなのかなあ。
「あまり待たせると、また強引に連れ込むよ?」
「あ、はぁい!」
取り敢えず、明日は詩紋とランチの予定を入れよう。
それですべては解決する…だろうから。



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Megumi,Ka

suga