Please! Jealousy

 第三話(3)---------
エレベーターホールの向かいには、階下への階段が続いている。
吹き抜けになっているせいか、下からの声がよく反響してくるのだが、個室フロアと違って相部屋フロアは人通りも多く賑やかだ。
「それじゃあ、患者さんからのコールが来たら、余裕のある限りは向かいますね」
「ああ、よろしく。他の面々も良い子たちばかりだが、あかねとは比較にならないからね」
彼女も言っていたが、あかねの真面目さは群を抜いている。
患者へのケアやフォローも完璧だし、向上心もあるから努力も欠かさない。
ここ最近の看護師では、トップクラスだと友雅は思っているのだが、傍目から見たら惚れた欲目と言われるだろうか。
いや、そういうわけでもないだろう。
教授たちがあかねの適用を助言して来たのは、実力を認めているからであるし。
徐々に周囲や上層部も、あかねの職務姿勢を評価しているのは間違いない。
「でも、それほど優先しなくても良いからね。あかねには、あかねの仕事があるのだから」
「うん、わかってますよ。それは、臨機応変に対応しますから」
他の担当看護師と、しっかり密接な伝達網を機能させること。
急な異変にもすぐ動けるように、スピーディーな行動は看護師の必須科目である。

「ああ、それと…頼みがあるんだがね。回診の時は、出来るだけあかねに同行してもらいたいんだ」
「え、私が?今の患者さんの…?」
そりゃあ一応担当にされているから、回診に着いて行くことは構わない。
だけど、今言ったばかりじゃないか。
今回の患者に関しては、それほど優先しなくても良い、と。
だったら別の看護師に任せても良いのでは、と思うが。
「ん…まあそうなんだけれどね。でも私が回診する時に限っては、こちらを最優先にして欲しいんだよ」
詳しくは自分から師長に説明しておく、とまで彼は言う。
何故そんなにゴリ押ししたがるのか、不思議でならなかったあかねだが………。

「もしかして友雅さん、誤解されたら困るとか…思ってます?」
女の第六感と昔から言うけれど、そういうものが働くのだろうか。
普段はぽわんとした天然なところが可愛いのに、たまに鋭い直感を働かせることがある。
「私が見てないところで、元カノさんと一緒にいたりしたら、変な想像されちゃうんじゃないかとか。だから、同行するようにってことですか?」
「何を言い出すのかと思ったら…。私がそういうことを言うのは、いつだって同じ理由って分かってるだろう?」
一分でも一秒でも、一緒にいたいから。
まだ人の気配がないのを良い事に、壁に押し寄せたあかねの耳元で、吐息のような言葉を吐く。
嘘じゃないし、いつもそんな風に思っている。
だけど、この状況ではちょっとだけ強引な発言にも思えたか。
「天使様が、手厳しいルールを作ってしまったせいだよ」
「当たり前です!お仕事はお仕事、ちゃんと割り切らないとダメですよ"橘先生”」
わざと仕事場での呼び方をして、友雅の意識を切り替えさせようとする。
そんな風にしながらも、腕の中からすり抜けようとした直前で、自らぎゅっと抱きついて来たりするのだから、友雅にとっては明らかに逆効果。
さらっとこういうことをやらかすあかねに、何度困らせられてきたか。
今夜帰宅したら、その罪の重さを理解させてやろう-----。


エレベーターは混雑しているのか、なかなかフロアのランプが点灯しない。
ひとつ上がっては、しばらく待機。またひとつ上がって、一旦停止。
待ち時間ばかりが過ぎて行き、これならあかねに言われた通り、東のエレベーターを使った方が早かったか、と思い始めた頃だった。
「でもね友雅さん、さっきの話ですけどー」
いきなりまた、あかねは友雅を名前で呼んだ。
「私は全く気にしてませんから、平気ですよ?友雅さんも、神経質にならなくて良いですからね」
「………」
あかねはこちらを見ない。
エレベーターのランプだけを見上げ、そう話す。
「何か、みんな変にびくびくして勘ぐってるんですよねー。私、全然そういう気ないのに」
まるで腫れ物に触れるかのように、あかねの反応をナース仲間たちは探っている。
ナースだけではない。森村をはじめとした研修医や、薬剤師たちまできょろきょろとして。
「友雅さんに元カノの一人や二人、いたって当然じゃないですか、ねえ?そんなのいちいち気にしてたら、キリがないです」
「まあ、私はあかねよりは長く生きているから、それなりにいろいろあったけれどもね…」
「でしょ?そうですよねえ。でも、過去なんか気にしてても、先に進まないじゃないですか」
確かにそうだ。あかねの言い分はごもっとも。
終わった過去を引っぱり出して、それらに時間を費やすくらいならば、現在の幸せに置き換えた方がずっと楽しい。
そう、なのだ。
そうなのだが………妙な違和感が胸に残るのは何故だろう?

「だから、別にあの人と話したりとか、一緒にいたりしても構いませんから。私、気にしてないんで普通にお仕事してくださいね」
「ああ、そうだね。私も特には意識していないし」
「私も意識してませんから。普通にしましょー!いつも通りに」
にっこりと明るく、穢れない太陽みたいな笑顔であかねは友雅を見る。
この笑顔の眩しさにくらみそうになりながら、背中に居心地の悪い重苦しさを覚えている。


やって来たエレベーターに乗り込み、友雅は3階、あかねは2階のボタンを押した。
ゆっくり下降していく箱だが、上昇していた時よりもすぐに移動する。
「それじゃ、教授によろしくお伝え下さいねー」
3階で一旦ドアが開き、友雅が外に下りると別れ際の声が掛かった。
再びドアが閉まる寸前まで、ぱたぱたと手を振り続けていた彼女は、あっと言う間に彼の前から姿を消す。

「……全然気にしていない…か」
まだそこに見えるあかねの残像を眺めながら、ぽつりと独り言が口から出て来る。
あかねが彼女のことを、どう考えるかがずっと気がかりだった。
こちらには全く後ろめたいこともないし、あかねさえ妙な誤解をしていなければそれで良かった。
あかね本人から、気にしていないと答えを貰ったし。
これで一安心。ホッとするはずだったのに…どうしてだろう、この空しさは。

「ああ、橘先生…既に教授が向こうでお待ちですよ」
友雅の姿を見付けた管理栄養士の永泉が、足早にこちらへやって来た。
これから入院患者の食事について、簡単な会議が行われる。病状や治療の内容に基づいて、病院食の改善を計るための打ち合わせだ。
「皆さん既にお集り頂いておりますので、急がれた方が良いかと」
「申し訳ありませんでした、ちょっと担当の患者でいろいろ時間が掛かってしまいまして」
エレベーターホールから見て、3つめの小会議室。
目的に向かって、友雅と永泉は並んで歩いて行く。
「そういえば橘先生……その、今回担当されている患者さんの、義理の娘さんというのは…」
普段はあまり他人の噂や何やらに参加しない、常に穏やかな性格の永泉なのだが、珍しく彼が友雅に声を掛けて来た。
しかし、まさかこの話題に永泉が反応してくるとは思わなかった。
それだけ、自分と彼女のことは院内で噂になっているということか?
「ええ、まあ…昔のことですが」
「そ、そうですか…。そうですね、先生は元宮さんと大変順調な関係でいらっしゃいますし」
自分でも少し出しゃばり過ぎたと思ったか、恥ずかしそうに永泉は顔をそらした。
「私はあかねに、変な疑いをかけられなければ、それで良いんですがね」
「あ、そうですね…。も、元宮さんはどのようなご様子で?」
「むしろ、取り越し苦労だったようです。本人から"全然気にしていない"と、言われたばかりですよ」
「そうですか…。それは良かったですね。やはり、元宮さんも先生を信頼していらっしゃるのでしょうね」
「…そう、ですねえ…。それは有り難いんですがねえ…」


歯切れの悪い友雅の反応に、永泉は首をかしげた。
あかねに誤解されていないなら、それで十分喜んで良いのではないだろうか。
それなのに、どこかまだ気がかりな様子。
どこか重苦しい友雅の足取りに気を取られながらも、永泉は会議室のドアをそっとノックした。



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Megumi,Ka

suga