Please! Jealousy

 第三話(2)---------
「"今までの教え子の中で、女性なら一番。男女合わせてもベスト3に入る生徒だった"って、教授がおっしゃってました」
「やあね、そんなことないわよ。あの教授は、昔から調子が良い人なのよ」
さすが、同じ時代を同じ職場で過ごしただけある。
友雅が感じている教授連への感覚は、他人の彼女も同じだったようだ。
「先生こそ、まだお若いじゃないですか。それなのに凄いです…。同じ女性として、憧れます」
きらきら瞳を輝かせながら、相手の目を見てきちんと話す。
その言葉が決してうわべではなく、偽りや世辞ではないことを、自らの瞳で相手に伝えるのがあかねだ。

それにしても…何故自分だけ、こんなに落ち着かないのか。
二人は和気あいあいと会話していて、全く荒れる気配はないみたいだし、だったら気にしなくてもいいはずが…。
「ねえ」
友雅が顔を上げると、彼女の視線が自分に向けられていたことに気付いた。
つまり今の声は、友雅を呼んでいた声か。
「この子、本当に良い子ねえ。アナタ、よく捕まえられたわね」
「…プライベートの話題は、あまり仕事場に持ち込みたくないんだが」
なんて、普段は自分があかねにキツく言われていることを、まさか自分が言うハメになるとは。
少しでもこの話題を終息させ、この場を解散に持ち込みたい友雅だったが、なかなか上手く進まない。
彼女たちの行動は、彼の予想を上回っていることばかりだ。
「良い奥様。可愛くてしっかりしてて…ねえ」
「え?あっ…ど、どうもありがとうござい…ます」
さすがにこれには、あかねもおどおどした。
看護師としてならば、誉めて貰っても素直に受け止められるが、友雅の妻としての意味となると、すんなりとは行かなかったようで。

「そろそろ行こう。元宮さんも、これから患者さんの入浴の手伝いだったろう」
「あ、はい…」
さっと友雅の手が、あかねの背中を押した。
ドアを開けてあかねを先に退出させてから、自分も病室を立ち去ろうとしたとき、彼女がつんつんと肩を叩いた。
「…何か?」
振り返ると、にっと唇を緩める彼女。
「可愛い奥さん、あまり心配掛けさせちゃダメよ?」
「君に忠告されるようなことは、一切ないと思うがね」
くるりと背を向けたまま、友雅はドアを閉じる。
白い廊下に出ると、あかねはすたすたとエレベーターホールへと向かっている。

「あかね」
先を行くあかねに、友雅はやっと追いついた。
名前で呼ぶと大概は窘められるのだが、辺りには誰もいないからセーフ。
その証拠に、友雅の呼びかけにあかねは立ち止まり、振り向いてくれた。
「どうしたんですか?東のエレベーターの方が早いですよ?」
「いや、大丈夫。約束の時間までは、もう少し余裕があるし」
しょうがないんだから…と、ぼやきながらも、あかねは嫌な顔をしていない。
ホッとして友雅は、そのまましばらくあかねに着いてゆくことにした。


病棟からあかねの戻るナースステーションまでは、長い長い廊下をいくつか渡り継いてゆく。
個室だけの特別病棟は、昼も夜も静かで人通りも少ない。
だから、こうして二人で気楽に歩いていられるし、いつもの二人で会話が出来る。
ほんのちょっとだけ、探りを入れても…平気だろう。
「そういえばさっき…教授に彼女のことを聞いた、とか言っていたね」
「うん、そうです。みんな全然知らないから、どんな人なんだろうって気になってたみたいで」
丁度教授に用事があったので、"じゃあ聞いてみようか"と尋ねたらしい。
「あかねが言い出したのかい?」
「そうですよ。私も気になったし」
"気になった"とは、どういう意味なのだろう。
単純に彼女の経歴が知りたかったのか。それとも……自分の夫が以前付き合っていた女性だから、ということだろうか。
そのどちらかで、友雅としては心構えが変わってくるのだが。

「で、色々聞いて…すごい先生だったんだなーって。びっくりしちゃいましたよ」
「そうだね。確かに教授のお世辞じゃなく、有能なドクターだったよ、彼女は」
「でしょうねー。ドクターにしては、まだお若いでしょ。なのに学会主催の論文大会とかで、何度も受賞してるって凄いじゃないですか」
おそらく彼女が今も現役で、この病院に留まっていたとしたら…教授の椅子も遠からず見えていただろう。
或いはどこかに引き抜かれ、更にエリート街道を走っていたかもしれない。
「私なんかより、ずっと真面目だからね」
「何言ってるんですか。友雅さんだって、ちゃんと学会とかそーいうの優先すれば、あっという間に出世ですよ」
あちがちな派閥争いとか、面倒くさいから関わりたくないとか言って。
そこそこ教授にも気に入られているし、いざとなればあっという間に昇進しそうなのだが。
「生徒を指導するなんて、私には性に合わないしね」
「そうですかねー?私が臨床実習の時は、いろいろ頼りになってくれたのに」
「それは、おそらく直感が働いたんじゃないかな」
伸びて来た彼の手が、あかねの手を握る。
「この子はいずれ私の天使になるだろうから、特別大切に接してあげなきゃいけないぞ…とか」
「また、そーいう冗談を言うー。ホントは面食いのくせにー」
くすっと笑う横顔と共に、歩く距離が同じになっていた。
追いかけるのではなく、先を行くのでもなく、寄り添うように一緒に同じ方向へ歩いていた。
やがて、あかねの方から手が握りしめられた…のに、ふっと友雅の手が緩んで、二人の手はほどけてしまった。

「でも、友雅さんだったら様になりますよね、あれくらいの美人さんなら」
何の変哲も無く、声の調子も全然変わらず。
表情さえもまったく変えず、あかねは彼女のことを話している。
「教授が教えてくれましたよ、元カノさんなんでしょう?」
ああ、やはりそうか。面倒くさいことをしてくれる教授だ。
こういうことがあるから、教授には顔を突っ込んで欲しくなかったというのに、こうなってはスルー出来ないじゃないか。
「……付き合いは、あったけれどね。あかねと会う前には、もう別れていた」
「え、そうなんですか?どうして?」
「まあ、簡単に言えば…フラレたんだよ」
あかねはびっくりした顔で、友雅の昔話を聞いていた。
まさか彼がフラレたりするなんて、とても考えられなかったからだ。

「と、友雅さんはあの人と結婚とか、する予定なかったんですか!?」
「最初からそういうことを考えた付き合いでは、なかったからね。彼女もそうだよ。だって彼女は"結婚したい"から関係を打ち切るって言ったんだ」
この人とは結婚できない。結婚相手として愛し合える人ではない。
だけど自分は結婚して、妻という立場を得て家庭を持って、いずれは母となりたいのだ---と彼女は最後に友雅に言った。
「ということで、おしまいになったんだよ」
「…はあ、そうなんですかあ…」
話せばいろいろ長くなる。
だけど、円満な合意の上での関係終了であったことは、間違いない。
後ろ髪を引かれることもなかったし、元々去る者を追うでもなかったし。
「長続きする間柄じゃなかったんだよ、最初からね」
「もったいないなあ、あんな綺麗な人なのに…」
こつん、と一歩足を踏み出して歩いて行くあかねの、柔らかい毛先が肩で揺れる。
白で覆われた廊下に、淡いピンクのナース服は、花びらが舞っているかのよう。
はらり…と宙を踊るそれを手に捕まえるのは、至難の業。
友雅にとっては読み解けないあかねの心も、それらと同じくらいに難しい。



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Megumi,Ka

suga