Please! Jealousy

 第一話(3)---------
「やっぱり、そう思うよねえ…」
午後になって、看護士たちは各自の仕事へと戻って行った。
だが、中にはステーションに待機して、面会客や患者との連絡等に関わる者も何人かいる。
そんな彼らはカウンターの隅に集まって、こそこそと小声で会話を続けていた。

「いくら、今は元宮さんべったりの橘先生だって、まさかそれまで何もなかったってわけ、ないでしょう?」
「そりゃあ、あんだけのルックスだもん。引く手数多に決まってるじゃん!」
彼女たちの話題は、もちろん友雅のことだ。
そして、さっき突然現れた謎の女性と、彼の関係についてのあらゆる推測。
「親しげ…っていうのとは、ちょっと違う感じだったよね」
女性はそういう、微妙な変化に敏感だ。
口調とか視線とか仕草とか、ほんのわずかなものさえ見逃さない。

先ほど目の前で交わされた二人の会話は、同僚同士の雰囲気とは少し違う。
信頼という感触もあったようだが、それよりもっと親密な…。
「親密っていうよりさ、理解し合ってるって感じしない?」
「分かる!そう、何て言うかー、相手のプライベートを知っているような親密さっていうの?」
「そうそう!そうだよねえー!」
理解しているから、言葉も無駄が無い。
余計なことを言わなくても、相手の考えを読めるということ。
「普通の同僚だったら、そんな風じゃないよねえ…」
ボソボソ…コソコソ…。
気付くとその輪の中には、男性看護士まで顔を突っ込んでいる。
同性である彼らにとっても、友雅の交友関係は興味をそそられるらしい。


「あのー、ちょっと良い?」
----------!!!
皆の背が、一気にぴしっと伸びる。
とたんに身体が硬直したが、おそるおそる後ろを振り向くと…そこにはあかねが立っていた。
「な、な、な、何っ!?どうしたのっ!?元宮さんっ!?」
「何って…508号室の患者さんのカルテを、ちょっとチェックしたいと思って」
「あ、そ、そうなんだっ!」
蒼白する面々を尻目に、あかねは彼らの前をするっと通り過ぎて、カルテのファイルが並ぶ棚へと向かった。

…ちょっと、もしかして聞かれた?
…っていうかさ、いつからいたの…。ヤバいんじゃないの…。
あかねは彼女のことを、知らないと言っていた。
つまり、友雅が紹介していないのであって、もし元カノであったとしたら、そんなものわざわざあかねに言うはずがない。
となると、やはり彼女は友雅の…?


「ねえ、さっきから橘先生の話をしてたみたいだけど…」
「ええっ!?」
パタン、と目を通したファイルを閉じて、あかねがくるりと振り返る。
まるで氷水を浴びたように、またはメドゥーサに睨まれたかのように、全員が石のように堅くなった。
聞き逃していてくれ!
聞かなかったことにしてくれ!
っていうか、例え聞いたとしても、しらを切ってくれ!
そうでなければ…あかねに吹聴したことが友雅にばれたら…!!!
あの、愛妻に関しては強力な執念を持つ彼…どんなことになるか、考えただけでもぞっとする。
どうかうまくやりすごせますように。
皆は心の中で唱えながら、彼女がスルーしてくれることをひたすら祈った。

が、その祈りが届く事は無く。
「ねえ、さっきの人って、橘先生の元カノなの?」

★☆!★☆!★☆!★☆!★☆!★☆!
あかねの声が、そう尋ねる。

「誰か知ってたの?」
「ししししししししっ…知らないよっ!?そそそそそ、そんなっ!わわわ…私たち、ここに勤務して数年だものっ!」
「そっか。そうだよね」
と、それだけ言ったあかねは、しらっといつも通りの顔をして、再びナースステーションを出て行こうとする。
この反応は一体、どういうことか。
感情が高ぶっている様子もないし、まったく普通と変わらない態度。
自分の夫、しかもかなりのラブラブちゅーちゅーな現状の夫婦関係の中に、突然思いがけなく現れた見知らぬ女性。
その正体が元カノだというのなら、ちょっとくらい動揺するのではないか?

「あのっ、元宮…さん?」
「はい?何ですか?」
普段通りの表情に、こちらのほうが戸惑う。
「えっと、その…私たち全然分かんないんだけど、もしホントにあの人が元カノだったら…どうするの?」
「どうするって、別にどうもしませんけど」
----------え?
かくん、と肩がずれたような虚脱感が、一斉に駆け抜けて行く。
だが、一旦力が抜けたことによって、逆に開き直った女性看護士たちが、あかねの前に詰め寄ってきた。
「どうもしないって!元カノだよ?旦那様の元カノが、急に会いに来たんだよ?」
「会いに来たって言ってもー、どうやら患者さんみたいですし。先生に会いに来たんじゃなくて、治療に来たんじゃないですか?」
わずかな時間だったが、あかねはあの女性の左足首に包帯が巻かれていたのを、しっかりと見ていた。
どうやら他のギャラリーたちは、女性の存在自体に気を取られていて、そのことを完全に見落としていたらしい。

「もし元カノだったとしたら、まあ…よく知らない先生より、元カレの橘先生に治療を頼んだ方が、何かと気楽なんじゃないですかね」
医療従事者と患者との間に必要なのは、何よりも"信頼”という一言につきる。
どれほど技術に優れた医師でも、信頼の出来ないものに治療を受けることになれば、患者の回復は遅れるものである。
だから、出来るだけ気心の知れた医師と、対等に接せることが一番だ。

「ちょっとあかね!」
あかねを呼び止めたのは、同期入社の3つ年上の看護士だった。
「あんた、少しはそわそわしないの!?」
「そわそわって…何でですか?」
「何でって、あんたねえ…、橘先生の元カノが来たのよ?わざわざここに、わざわざ先生を指名して、よ?」
それなのにどうして、こんなにも冷静でいられるのか。
どうしても心境が理解出来ず、彼女はあかねにぐっと詰め寄る。
だが、あかねと言えばそれでも変動など見せない。
「だから、それは別にーねえ?」
「別にじゃないでしょ!嫉妬とかさ、そういうのないの!?昔の女なのよっ!?」
「…だって、先生に元カノがいたって、そんなの当然じゃないですか」

ぽかーんとした面々の顔。
呆気にとられたというか、目が点になっている者もいる。
「こう言っちゃなんですけど、先生くらいだったら元カノなんて他にもたくさんいますよ、きっと」
「………」
何なんだ、この冷静さ。言葉さえ失ってしまう、あかねの態度。
「いちいち元カノを気にしていたら、キリがないですしね。私は別に何とも思わないんで、全然平気ですよ」
それじゃ、とあかねは皆に軽く頭を下げて、再び患者の病室へと戻っていく。


「マジ、どういう態度なんですか…あの元宮さん」
信じられないというような顔で、去って行ったあかねを思い浮かべながら、ぽつりと看護士がつぶやいた。
夫婦円満だから、今更元カノなんて関係ない、という自信の現れか?
いや、そういうのとは違う。何と言うか…無関心という感じだ。
もしくは、悟っているというか。
「でも、信じらんないわ。あんなに平然としてられるもんかな…」
誰一人として、あかねの態度にうなづける者はいなかった。



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Megumi,Ka

suga