俺の天使に手を出すな

 第9話 (3) ※今回はR-15相当かもしれません…★
今、何時になるだろう?
……いや、そんなものどうでもいいか。
好きなだけ自由に、甘い感覚に浸ることのできる空間なのだから、それでいいじゃないか。
お互いがそこにいるだけで、抱き合って、求め合うことができる。
幸せを感じるためには、それだけで十分……。

だが、あかねが顔を上げて言った。
「友雅さん…お腹、すいてないですか?」
溶け合ったあとで聞く台詞としては、とても色気があるとは思えないけれども。
「テーブルの上の料理、全部中途半端につまんでただけでしょ。まともにご飯、食べてないでしょ?」
「んー、まあね。でも…別に空腹でもないよ。」
食が太いわけじゃないし、仕事上規則的に食事が摂れるのは稀だ。
だから、例え食いっぱぐれたりしても、次の食事時間までやり過ごすことに慣れたのだ。
「駄目ですよ。食べられる時は、ちゃんと食べる習慣つけなきゃ。…そうだ、私アンチョビ買ってきたんです。」
あかねはむくっと起き上がり、ベッドから抜け出した。
脱ぎ散らかされている服を探り、そこから彼のシャツを取り上げて羽織る。
サイズも丈も大きいので、ちょっとしたワンピース代わりになる。

「ちょっと待ってて下さい。友雅さんの好きなサラダ作って、オープンサンドにして持ってきてあげますね。」
適当にシャツのボタンをはめて、あかねは慌ただしく寝室を出ていった。
廊下に消えてゆく足音に耳を澄まし、友雅はベッドの中に潜り込む。
彼女が戻るまでは、しばらく時間が掛かるだろうから、少し仮眠でも取って時間潰しでもしよう。
隣に残った、あかねのぬくもりを抱き締めながら。



それから30分ほど過ぎただろう。
ぼんやりしているのも退屈になって来たころ、ようやくあかねが戻ってきた。
サンドイッチを持ってきたあと、ぱたぱたともう一度キッチンに戻って、今度はグラスポットにカップをふたつ持ってきた。
甘酸っぱい香りが、ポットから漂う。
優しくて爽やかな…林檎の花のような香りだ。
「何だ、隣に来ないのかい?」
「だって、ベッドの上にお茶こぼしたら大変ですもん。」
ぺたりと床に座り込んで、引き寄せた椅子の上でハーブティーを注ぐ。
透き通った綺麗な色のカップを、友雅に手渡してあかねは言った。

軽くトーストしたバゲットをかじると、良い歯ごたえと音がする。
「はい、お茶です」
湯気から香るカモミールの匂い。
友人の詩紋の家で作っている、新鮮なハーブティーだから香りが違うのだ、といつもあかねは説明してくれるが、正直よくは分からない。
だが、香りはとても良いと思うし、眠る前の暖かい一杯は、寝付きを良くさせてくれる気がする。
「あかねも食事してないだろう。少し食べると良いよ」
「んー…でも、もう時間遅いから、あんまり食べると太るし」
別にちょっとくらい、太っても構わないのに。
まあ、そういう僅かなことが、女性は気になるのだろう。
「じゃあ、ほんの少しだけ食べなさい」
友雅は一口かじった半分を、あかねの口元に差し出した。
少し考えて、あかねは黙ってそれを食べる。
にっこり無邪気に笑みを浮かべて。



「明日は…あかねは夜勤か。」
「うん、そうですね。だから、夜は友雅さん一人になっちゃいますね」
そう言われて、友雅は深く溜息を付いた。
「退屈だな…明日は独り寝か。」
ごろんとベッドに寝転がって、つまらなそうに彼はつぶやく。
その表情が、やけに素直そうに見えて、思わずあかねは笑いそうになった。
……何か、みんなが言ってたの…分かる気がする。
友雅を"可愛い"だなんて思ったことなかったけれど、こうも明らかに不満を顔に出されると、微笑ましいというか何というか。
でも、それもすべて自分が原因になっているのか…と考えてみると、胸の奥がきゅっとなった。

「夕方までは一緒じゃないですか。夜なんて、寝ちゃえばあっと言う間ですよ。」
「だけど、明後日私が出勤したら、あかねは夜勤明けで帰ってくるんだろう?すれ違いになってしまうよ。」
……まったく、そんなこと愚痴ったりして。
しょうがないんだから…橘先生は。
綻んだ顔で笑いを堪えながら、ベッドに伏せる彼の髪に手を伸ばす。
ホント、わがままな子どもみたい…。
そう思いながら、柔らかい髪を指ですくった。
「だから、早く隣に戻っておいで」
きゃ、と驚いてあかねは声をあげると、両手を引っ張られて、そのままベッドに引きずり込まれる。
そして、さっきと同じ体勢で抱きすくめられた。

「また彼から、あかねを呼び出すコールが来るんじゃないか、と不安でね…」
頬と首筋に顔を擦り寄せながら、友雅は強く彼女を抱き締めて言った。
「大丈夫ですよ。そんなことあっても、無視しておきますから。」
そうなった時は、"担当である先生の許可なしに、看護師の勝手な行動は禁止されてます"とか言って、誤魔化してやろう。
しつこければ、周りの看護師たちやドクターにフォローしてもらって。
「私はそんな気は、全然ないんですから。友雅さんが心配する必要ないです」
大好きな人は、世界中探しても一人だけ。
今、抱き締めてくれている一人だけしか…好きになれないことを十分自覚してる。

「でもね、それでも不安なんだよね…」
あかねの肩を抱き、友雅は天を仰ぐ。
比較的高さのあるアイボリーカラーの天井。
クラシカルな薔薇のエンボス模様を、ひとつずつ目で追う。
「結構私は嫉妬深いらしくてね。他の男が、あかねのことを"女性"として見ていると思ったら、何だかちょっとムカツクというか」
独占欲が強くて、嫉妬深くて。
他人が自分の恋人を、異性として見ていることさえ歯がゆくて許せない。
どうしようもないほどの、ジェラシーの塊。
それらはどんどん大きくなるばかりで、彼女の瞳に自分以外映したくなくなる。

「ね、女性というのは、嫉妬深い男は…嫌うものかい?」
「うーん、限度によります。あまり度が過ぎるのは、かえって嫌われるんじゃないかなーと思います。」
束縛を嫌う人はたくさんいるし。
あれもこれもと不満を言われては、窮屈だし。
「……そうか。果たしてどうすれば、これを緩和出来るかねえ…」
ある程度の医療知識は把握しているが、治療薬など思い当たらない。
これは、かなりの難病レベルだ。

「でも、友雅さんだったら…私は平気です」
あかねは彼の指に、自分の指を絡める。
そして、幸せそうに微笑んで目を伏せた。
「私だって、君を束縛しようとするよ?その証拠に、今までいろんなことをして来たから」
彼はそう言ってから、これまでのことを思い付くまま打ち明けてみた。

あかねを驚かせた、突然の薔薇の花束。
別に記念日でもないのに、持ち帰ってきたケーキ。
患者や院生の青年たちが、彼女にプレゼントしたとの噂を聞けば、そうやって記憶を上書きしてしまおうと考えて。
「えー?そんな理由だったんですかぁ?アレ…」
呆れたように言うあかねに、友雅は苦笑した。
本当のところ、彼等にどんな意図があったのは、すべて明らかになっているわけじゃない。
好ましくない噂を実際に聞いたものもあるけれど、そういう感覚が身に付いてしまったせいで、すべてが敵に見えてきた。

「情けない男だろう?こんな私でも平気かい?」
くすっ…と笑う彼女の声。
「他の人なら困るけど、友雅さんなら…良いです。」
顔を上げ、あかねは彼の背中に腕を伸ばした。
「言ったでしょ?ワガママも嫉妬も………好きだから平気。」

束縛も、愛してくれているからこそのこと。
その代わりに、自分を一人の人間として見てくれて、意志を尊重してくれる大きな優しさが彼にはあるから。
自分らしく生きながら、甘い恋も共に味わっていける。
彼の隣なら、きっと誰よりも幸せに生きていけると…信じてる。

「大好き」
「…そういう可愛いこと言われると、またその気になってしまいそうだねえ…」
再び目を遣ったデジタル時計は、もうすぐ午前一時になろうとしている。

大好きだから、ずっと離れずにいたいの。

小さな声で囁いたあと、重ねられた友雅の唇からは、カモミールの香りがした。



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Megumi,Ka

suga