俺の天使に手を出すな

 第9話 (1) ※今回はR-15相当かもしれません…★
ランプの明かりがボトルを通り抜けて、グリーンの影をテーブルに映している。
クイーンサイズのベッドの中へ、沈み込むように二人分の体重が倒れ込む。
「普通なら先に帰ってるはずなのに、何時間経っても戻らないし。電話しても通じない。どれだけ不安だったか…分かるかい?」
淡々と話す、友雅の声。ひとつひとつ、言葉をかみ締めながらつぶやく。
抱き締める腕と、広い胸から聞こえる心音。
声と重なって、溶けていく。

「困るんだよ、まったく…。ただでさえ…病院でも心配で仕方なかったのに」
「…病院?」
皓々と照らされる明かりの下では、何となく顔を見合わせづらいと思っていたが、薄暗いベッドルームなら気にならない。
友雅の腕の中で、あかねは彼を見上げる。
「あんな顔で飛び出していくからだよ。急いで追いかけたけれど…もう仕事に入っているから、どうにもならなくてね」
諦めて仮眠を取ることにしたが、それでも頭から離れてくれなかった。
そんな風にして1時間ほどを持て余し、身体が疲労に耐えきれなくなって、やっと意識を横たえることが出来たのだ。

「午後になって診察室で会っても、向き合ってもくれないし。」
「だって、仕事中……」
「はいはい、分かってる。仕事場では調子に乗っちゃ行けないんだろう?」
くいっと友雅は、親指で自分の頬を指さして見せる。もちろん、夕べあかねが痕を付けた側の頬だ。
「あかねの言い分は分かる。でも、あんな風に泣き叫んでいた顔を、忘れることも出来ないし、無視も出来ないよ」
普段は絶対に患者に見せない、天使の怒り。そして涙。
相手が誰であろうと、患者であれば優しさだけで接し続けていた彼女が、初めて真っ向から跳ね返した感情の放出。

「いつものあかねらしくないよ。これまでは、どんな悪態をつかれても、スルー出来ていたのに。」
仕事場では、自分の立場を忘れないようにと、厳しく言っていたのは君の方だよ、と友雅は言う。
「だって…あの人が、あまりに酷いこと言うから…っ…」
ぎゅっと友雅のシャツを握りしめて、あかねは顔を埋める。
ほんの少し思い出しただけでも、歯がゆくて苛立ちが沸き上がってきそうだ。


「あのね、私のことなんかどうでも良いんだよ。」
背中に伸びていた手が、優しく髪に触れて。そっと指先をくぐらせて撫でる。
「私がどうのこうの言われたことで、あかねがあんなにムキになって怒ることもないし。ましてや、泣く必要もないんだよ。」
アクラムが口にした言葉は、すべてが嘘ではない。
一国の王族と、たかだが日本国内の一ドクターに過ぎない自分では、生活水準も地位もまるで違う。
雇われている立場の自分と彼とでは、将来の安定率は雲泥の差だろう。
ただし、それらを比べてどちらが劣るとか勝るとか、そんなものにはこだわりもないけれども。

「それに、あかねにフォローされるほど、私は立派な人間じゃないよ。」
友雅は静かに微笑んで、そう口にする。
「私は何言われても気にしないし。別に、そう高い評価をされるほどの人間でもないしね。」
こういう仕事をしていれば、クレームというものに慣れが出て来る。
もちろん常に100%を目指し、取り組むのがプロであるが、結果はそれに付いて行かないのが、難しいところだ。
苦情や文句は日常茶飯事のこと。
真摯な対応も必要だが、立ち止まっているばかりではいけない。
そう考えるようになってから、他人からの言葉が
好意であろうと、適当に交わせるようになってしまった。
…あまり、良い傾向とは言えないのだが。

「そ、そんなことっ…ない…!!」
ぽかん、と小さな手が友雅の胸を叩いた。
「友雅さんはっ…そんな人じゃ…ない…」
絞るような声をして、何度もあかねは彼の胸を叩く。
うつむいて、肩を震わせながら、か細い声をして言葉を詰まらせながら。
「ほら、またそうやって泣く。だから、気にしなくて良いんだよ。言いたいこと言わせておけば良い。」
「………やだ!」
なだめようと背中を撫でてやるが、あかねは腕の中で拳をばたつかせる。
「…友雅さんのこと、あんな風に言われるの…やだ…っ!」
小さな身体が更に強張って縮こまり、そのまま彼女は友雅にしがみつく。

「だいっ嫌いっ…あんな人っ…大嫌いっ…」
「…あかね」
「嫌いっ!許さないっ…!だいっ嫌……」
顔を埋めたシャツの表面に、じわりと涙が移り行く。
それはわずかな量で、シャツが冷たく感じるほど濡れるわけが無い。
なのに、何故だか友雅には、徐々に広がっていく感触に気付き始めていた。
冷たくない。むしろそれは……暖かい。
「良いから、もう落ち着きなさい。」
何度言ったところで、しばらくその涙は止まらないだろうけれど…それを受け止めて熱くなる心。
彼女のぬくもりと良く似た、その穏やかで優しい暖かさに、友雅は酔っていたいと思った。



友雅に抱きしめられているうちに、この部屋に入って来た時のぎこちなさは、いつのまにか消えていた。
いつものように触れ合っていることに対して、もう違和感も何も感じない。
そう、いつもと同じ。何ら変わらない…二人の距離。
気持ちが落ち着くまで、黙って彼は背中や肩や、髪をずっと撫でてくれていて。
鼓動に耳を澄ましていると、意外に早く動揺は治まった。

……単純だ。
どれだけ顔を逸らそうと、距離を置こうと、そうすればそうするほど心は乱れる。
なのに、抱きしめられたら…あっという間だ。
たったそれだけで、こんなに落ち着いてしまう自分。
彼の存在は、これほどにも大きい。

「ふふ…。でも、そんな風にあかねに言われるのは、悪い気はしないな。」
片腕をあかねの背中に回し、枕に背を預けながら友雅は笑う。
「病室での大演説、ちゃんと頭に残ってるよ。」
「えっ……嘘」
まだ赤みの残る目で、あかねばびっくりして顔を上げる。
「ホント。じゃあ、言ってあげようか?」
つん、と悪戯するように、彼の指が唇を弾いた。

"あなたなんかよりずっと、友雅さんはすごく優しいんだから。"
「急にそんなこと言われて、正直少しドキッとしたよ」
あかねは気まずそうにうつむいて、友雅から顔を逸らした。

泣きながらそんな風に言われたのは、後にも先にもこれっきりのような気がする。
言葉を選びながらの作り事じゃなくて、感情をあからさまにあんな風に言われたのは…少なくとも初めてのことだ。
他人に優しくした事なんて、今まで思い当たる節が無い。
穏やかに勤めようという義務感が、当然のように染み付いているせいで、人当たりが良いとか優しいとか、そんな形容詞を公私でも耳にしたことはあったが。
あかねに対しては、どうなんだろう。
優しくしているという自覚は無い。
けれども……大切にしてやりたいとは思っている。
その想いが、彼女にとっては"優しさ"に重なるのだろうか。

「……あの…」
こっそり上目遣いをして、あかねが友雅の顔を伺う。
急に何故黙り込んだのか。不思議そうな目をしている。
「ああ、ごめん。あかねの演説のリピートの途中だったっけね。」
「い、良いですよ…もう思い出さなくてもっ…」
「思い出すんじゃないんだよ。忘れられないんだ。」
だから、一言たりとも忘れていない。
その、想いが詰まった声さえも、はっきりと。
「こう言ったんだよ。」

------だから大好きなんだからっ!!………ってね。

「『これ以上見下したら、絶対に許さない』って叫んで…泣きながら飛び出して行って。」
恥ずかしそうに目を逸らすあかねの顎に、友雅は手にかけた。
涙こぼして、感情を吐き出して。
午後にやっと会えたとき、至って普通の顔をしていたけれども、あの時の顔が忘れられなかった。
涙をぬぐって、抱きしめてやりたいと思った…今みたいに。


「でも、嬉しかったよ。」
触れた頬は涙でしっとりしていて、まだ瞳は少し潤む。
「とも………」
あかねが名前を言い終えないうちに、彼はその唇を塞いだ。
強く、彼女を抱きしめながら。



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Megumi,Ka

suga