俺の天使に手を出すな

 第7話 (3)
「おまえが私の妻になることは、既に我が父、自国の王には了解を得ている。」
「でも、私は了解した覚えなんてないですよ!」
これだけ病院でも騒動になって、友雅との間までドタバタぎくしゃくしているというのに、その事件の発端となった彼の態度は…全然変わっていない。
求婚を受け入れたりしていないし、その気は全くないのに、何で彼だけが話を先に進めている?
それが許されるのか?彼の国では。
彼の国の法律は、一人の娘の自由な決断さえ許されないのか。
そんな独裁的な国の花嫁になんか、絶対になりたくない。

「勝手な話には着いていけません!サインなんかしません!」
「…ふん、この男がいるからか?」
アクラムは、あかねの隣にいる友雅を見て尋ねる。
「たかだか医者の肩書きしかない男が、私よりも優れているわけがないだろうが」
「何ですって!?」
この時、あかねの中で何かが変わった。
どんな相手だろうが、患者である限りは天使の心を忘れずに。
医師と違い、看護師に出来るのは病気を治すことではなく、文字通り看護をすることだけ。
例え患者が目の前に苦しんでいても、自分から手を出せないというもどかしさ。
だからせめて出来る限り、病で塞ぎがちな彼等の気持ちを軽くさせるため、笑顔と元気さは欠かさないように。
そう思いながら、毎日仕事に取り組んできた。
でも……今、あかねの中には、いつもとは違う感情があった。

「私は皇子だ。おまえが望むものは何でも手に入れてやる。そう言っただろう。そんな力が、この男にあるか?」
友雅の顔を見上げ、アクラムは軽く笑いを浮かべている。
だが友雅は、不思議と自分のことを言われても、腹が立たなかった。
彼と身分が違うのは、最初から百も承知の上のことだし、何もかも桁が違う。
もちろんそれに対して、憧れなどという感情は全くないが。
「金に不自由は一切ないぞ。土地が欲しければ、分けてやる。そこにおまえ専用の宮殿も建ててやろう。どうだ?」
今度はあかねを見て、彼は静かに笑う。
それは微笑みのはずなのに、全く優しさも穏やかさも感じない笑顔。
「プールが欲しければ着けてやる。それとも…油田が良いか?」
「……いりません!」
きっぱりとあかねは答える。
「私は物に何か釣られません!」
「……元宮さん、患者さんには穏やかに接するようにしなさい。」
びくっとして顔を上げると、隣にいた友雅があかねを窘めた。

本当はあかねの言い分を、止めたくはない。
彼女から思い切り、彼に本音を叩き付けてやって欲しいと思っている。
だが…相手は患者だ。
公私混同して感情を押し出さないように、とあかねに言われたのは自分だ。
だから、彼女が苛立ち始めた時は、それを阻止してやらなければ…それが彼女の上司としての自分の立場だ、と友雅は本音を歯でかみ砕いた。

しかしアクラムは、退くことを知らない。
「一体この男の、どこがそんなに良いのだ?おまえは」
呆れたような顔であかねを見ながら、彼女の反応を伺っている。
「収入や地位でもなければ何だ?顔が好みか?」
「顔っ…!?」
そりゃ、嫌いじゃないけど。
面食いではない言っても、信じてもらえないくらい彼は…レベルが高いと思っているけど。
でも、そんなことが好きな理由じゃない。
「フッ…それとも、よほど身体の相性でも良いのか?」
「なっ…!!」
露骨に嗾けてきたアクラムの言葉に、かあっと顔が赤くなった。

「見たところ…この男の顔と身体くらいなら、探せばいくらでもいるだろうが。しかし、私の持つ力はざらにいないぞ」
友雅と自分を比べながら、権力と地位の高さを自慢するようにあかねに伝える。
最初から比べる対象でもないのに、横に並べては友雅との差を強調した。
「私とこの男と、どちらを選べば得か。おまえが利口な女なら分かるはずだが?」
……得?損?そんなものを最重要視するのか?
一生を共に生きていく、たった一人を選ぶというのに。
もっと大切なものがあるはずなのに。
「さっさとサインをしろ。一生を共に過ごすには、たいしたことのないつまらん程度の男だぞ。私を選べ。」
アクラムはペンと共に、書類を更にあかねに突き出した。


「---------いい加減にしてくださいよ!!」

病室に響いたのは、あかねの声だ。
感情を押し殺さずに、すべて吐き出したような強い声。
天使が話す声とは全く違う。
「さっきから何だかんだと、友雅さんのこと酷く言って!!あなたに何が分かるんですか!?あなたは…友雅さんと会ってまだ数日なのに!」
「元宮さん…落ち着きなさい」
友雅は何とか冷静を保ちつつ、あかねの腕を押さえ込もうとしたが、彼女はそれを振り払ってアクラムを睨み続けた。

「あなたに、何でそんなこと言える資格があるんですか!確かにあなたは立派な家柄だと思うし、すごい権力を持っている高貴な方だと思うけど…でもだからって、友雅さんがあなたに劣るなんて、どうして決めつけられるんですか!?」
止まらなかった。
もうこれ以上我慢が出来なかった。
相手が患者だということを、見失ってしまった。
「ブランドとか宝石とか、召使いのいる生活なんかに私は憧れてない!そんなもの押し付けられたって、買ってくれたって…嬉しくありませんっ!!」
「おまえが欲しいものなら、何でも私は用意出来るのだぞ?」
「どんなものだろうと、好きな人が私を思って選んでくれたものが、一番大切なものです!!かけがえのない…大切なものです!」
それを…友雅さんは私にくれる…。
指輪という形の、暖かくて優しい想いを私にくれた。


「少しは利口な女かと思ったが、勘違いだったか。私よりも、こんな医者ふぜいの男を選ぶとは……」
「……黙ってよ!!それ以上友雅さんのこと見下すようなこと言ったら…皇子様だろうが、承知しないからっ!!」
「あかね!患者にそんな口調は…っ」
止めようとした友雅の手を、あかねはもう一度振り払った。
ようやく分かった。友雅が、彼に抱いていた敵意が。
好きな人を咎められることが、こんなにも悔しくて腹が立つことが分かった。

「友雅さんはっ…ずっと昔から…私が学生の時から…看護師になれるように励ましてくれて…」
喉の奥から思いが込み上げ、潤んだ瞳の奥から、ぽろりと涙が溢れ出した。
「今だって…私のこれからのこと、ちゃんと考えてくれて……。それで励ましてくれて…っ…」

試験に合格したとき、自分のことのように喜んでくれた。
いつか専門看護師になって、もっと患者さんや家族の人の為になりたいという夢を、彼はずっと応援してくれている。
ただ、恋人として想ってくれるだけじゃなく、一人の人間として見てくれて、その意志を尊重してくれている。
正反対だ、何もかも自分が勧めれば良いと信じて、こちらに耳を傾けない、この男とは。
「人の話も都合も聞かないあなたなんかにっ…友雅さんのこと、あれこれ言われたくないっ!!」
さっき溢れ出した涙は、既に頬全体を濡らしていた。


「あかね…もう良いから。そこらへんで止しておきなさい」
友雅は、あかねの身体をそっと抱き寄せた。
包み込んでやれば、少しは落ち着くだろうと思って。
でも、その腕から彼女は身を乗り出して、もう一度アクラムを睨み付ける。
「…あなたなんかよりっ…ずっと…友雅さんはっ…すごく…すごく優しいんだから!だから…大好きなんだから…っ!!」
頬から顎に雫が流れる。
友雅の手が、あかねの涙で濡れる。

「これ以上友雅さんを見下したら、絶対に許さないからっ……!!」

「あかね!待ちなさい!」
腕の中から飛び出したあかねは、病室から逃げるように走り去っていった。
友雅が呼び止めるのも聞かずに。
彼のその手に、涙を残して。



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Megumi,Ka

suga