俺の天使に手を出すな

 第6話 (3)
「…悪いけれど、元宮のことで話したいことなどありません」
あかねは自分の名前を聞いて、びくっとして振り返った。
もしやこの電話の相手は、あの患者…本人が掛けてくるはずはないだろうから、もしかして執事のイクティダール?

『先生、その…お話を聞いて頂くだけでもよろしいのです。』
「何の話を?また、私からあかねを奪うと言い放つだけでは?そんな馬鹿馬鹿しい話には、これ以上付き合ってはいられませんよ」
友雅さん、そんな口調でまた…。
比較的あちらは紳士的な人なのに、そんな蹴飛ばすような言い方じゃ可哀想な気もする。
…なんて言ったら、かばっていると思って機嫌悪くなるだろうか。

「何度話そうと、あかねは誰にも渡しません。明日、貴方の主がお目覚めになられたら、そうお伝え下さい。」
『申し訳ありません。先生のお気持ちは、十分私は理解しておりますが…』
「貴方が理解してくれていても、彼が理解していなければ何にもならない。今朝も言いましたよね?あちらが患者でなければ、気持ち的には殴りたいくらいの気持ちだと。」
その言葉を聞いたとたん、あかねが慌て出した。
…とっ、友雅さんっ!?そんなこと、あの人に言ったの!?
殴りたいだなんて、そんな暴力的なこと…そんなに腹が立ってた…の…!?
機嫌が悪いのは分かっていたけれど、そこまで彼が苛立っていたなんて思ってもみなかったので、あかねは驚いた。

「とにかく。術後の管理として容態を見に伺いますが、あかねは連れていきません。もちろん彼が、あのバカな話をすべて却下するというなら、別ですがね。」
『あ、先生……』
イクティダールの話は、その先も続きそうな感じだった。
生真面目な性格の彼であるから、主の意見が受け入れられるまで粘る覚悟だっただろうが、そこまで付き合ってはいられない。
半ば一方的に、友雅は電話をこちらから切った。


「友雅さ…ん…」
毛布の中から起き出して来たあかねが、友雅の腕にそっと手をくぐらせた。
彼は諦めたのか、再度電話を掛けてくる気配はない。
閉じたPHSをソファの上に放り投げ、頭を抱えながら友雅は溜息を付く。
……大人げないとは思っているが、我慢も限界が来ていた。
何度文句をつけても、変化のない結果。それどころか、相手はこちらが諦めてひれ伏すまで、攻め立てる刃を引っ込めない。
苛立ちばかりが積もり続けて。
それでもギリギリのところで、患者という肩書きを忘れないようにと、セーブを掛けている。
だが、それが更に苛立ちに拍車を掛けるという、悪循環ばかりが続いている。

あかねがそっと、友雅の肩にもたれてきた。
「ねえ、落ち着いてくださいよ。あまり物騒なこと言わないで?」
こつんと額を当てて、寄りかかりながら、少し上目遣いにこちらを見る。
「ね、さっきも言ったじゃないですか。私、変わらないから、だから…」
あかねの背中に友雅は手を伸ばし、抱き寄せると淡いコロンが香る。
看護師試験に受かった時に、プレゼントで選んであげた軽めのコロンを、ずっと彼女はリピートしている。
それは既に、彼女の香りとなって肌に馴染んでいた。
「そうだよね。あかねは、私だけの天使だものね」
「……そ、そうです…よ。う、うん…そう、そう…です…」
顎を指先でなぞると、恥ずかしそうに彼女はうつむいた。

コロンだけではなく、髪から漂うシャンプーの香りも、肌を洗い流すシャワージェルの香りも。
何もかも知っている…自分一人の天使の香り。
「君に触れられるのは、私だけだもの」
「…はぁ、まあ…その…っ…」
甘い眼差しは、近付くと見えなくなる。
その代わり、唇に柔らかなぬくもりだけが重なる。

…誰が何て言ったって、気持ちは変わらない。
友雅さんのことが、一番好き。誰よりも大好き。
ずっといつまでも、一緒にいたいって思うくらい…大好きだもの。
どれだけ邪魔されたって、変わらないんだから…絶対。
………本当に大好きなの。好きになるばかりなの。


「……ん」
どちらが離そうとしないのか分からないけれど、唇はずっと重なり続けて。
抱き締める手の感触が、互いの背中に伝わる。
「……んっ!?友雅さんっ!?」
唐突に、それはやって来た。
さっきのような、全身に重なってくる彼の体重。
キスも止まらぬまま、ベッドに押し付けられて、逃げ場を遮られる。
「ちょっと!何するんですか!」
指先がニットブラウスの下に入り込んできて、その冷たさと感触にびくっとした。
「友雅さんっ!ちょっと!友雅さんてばっ!!」
彼の指は後ろから前にまわって、くびれから上に向かおうとしている。
柔らかな膨らみを目指しながら。

冗談じゃない。こんなところで…これ以上進められたら、大変なことになる!
どうにかしなきゃ!いくら何でも、だめ!!
「駄目!駄目ですってば!友雅さんってば!」
「………あかね…」


-------------------ばちーーーーーーーん!!!

一瞬の隙から飛び出してきたあかねの手のひらが、勢いよく友雅の頬を叩く音。
衝撃と、突然の展開に唖然として、友雅の暴挙もそこで止まった。
…初めてだった。彼をこんな力でひっぱたいたのは。

「なっ、何考えてんですか!?ここ、どこだと思ってるんですか!?病院ですよ!?仕事場ですよ!?」
友雅を振り払い、暴れたせいで乱れた服を整えながら、あかねは彼を睨んだ。
「常識外れですよ!そういうことは、家に帰ってからで良いじゃないですか!」
「…ごめん…悪かった」
「時と場所を考えて、そこは我慢するのが大人でしょう!!ワガママも度が過ぎちゃ、私だって付き合い切れません!」
頭ごなしに説教をされながら、自分が情けないやらで呆れてくる。
まったくもって、あかねの言うとおりだから、反論出来ない。どうしようもない。

あまりに彼等の横暴な姿勢に腹が立って。
十分に分かっているくせに、その証が欲しくなってしまって…我を失った。
抱き締められるのは、彼女に受け入れてもらえるのは、自分だけなのだと、何度も確かめたくなってしまって。
約束を誓い合った二人に、戸惑う必要などないのに…。


「私、もう家に帰ります!」
すっと立ち上がってベッドから降りたあかねは、友雅の白衣の横に掛けてあったジャケットを手に取った。
「駐車場まで送っていこうか」
「良いです!一人で十分です!」
あかねはぷいっと友雅の手を払って、トートバッグを肩に掛けてドアを開けた。

「……バカ!」
部屋を出ていく時、一度だけ振り向いたあかねが言った捨て台詞。


…バカか。ごもっともだよ、天使様。
君のことが好きで仕方なくて、君のことしか考えられなくなってる。
本当に…バカな大人だね。

友雅は一人残された部屋の中で、自分の情けなさを乾いた笑いでごまかした。



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Megumi,Ka

suga