俺の天使に手を出すな

 第6話 (1)
会議室の明かりは、午後8時を過ぎても消えなかった。
中にいるのは、リハビリテーション科の源と理学療法士。
話し合いの内容は、円卓の中央に友雅がいることで分かるだろうが、今日手術治療を終えたばかりの、あの患者のことだ。

「というわけで、無事に手術は終えたから、あとは君らの腕に掛かってる。2〜3日様子を見て、リハビリが開始出来るようになったら、さっきの話通りに治療を進めてもらいたい。」
「了解致しました。しかし、その…」
「何かな、源先生。」
渡されたカルテとメモを見ながら,少し困った表情の彼に友雅は尋ねる。
「リハビリについては問題ないのですが、その…噂ではこちらの患者様、かなり融通の利かない方だとお聞きしているものですから…」
あれだけ職員総出でお出迎えし、あのEX室に長期滞在するくらいの患者だ。
どんなにプライバシー完全保護の病室だろうが、人から人へと噂で情報は広まる。

「かなり手強いね。まったく融通なんて利かない曲者だよ。」
バサッとカルテをテーブルの上に無造作に置き、腕と足を組みながら椅子にふんぞり返ったり。
『やっぱこっちも、噂通り機嫌悪そうッスね』
友雅の様子を見た療法士が、コソコソと源に耳打ちした。

「こちらの指示に、従順にして下さるでしょうか?」
「人の話を聞かない相手だからね。どうにもならないようなら、執事の男性に話すと良い。主はアレでも、彼はきちんとした人間だからね。」
"アレ"って、どういう意味だろう…。
少なくともそれは、好意的な言葉ではないことは間違いなさそうだが。
「そういうわけだから、君らも苦労するだろうけれど…さっさと完治して帰国してもらわないと困るんで、よろしく。」
……さっさと退散してくれ、という事か。
噂通り、医者と患者の敵対関係は最悪状態らしい。

+++++

ようやく1日が終わったか。
簡単な手術なのに、別の意味で疲れがどっと来る1日だった。
だが、その疲れと緊張感というものは、今日で終わることではなくて、明日からも続くもの。
彼がここを退院し、帰国するまでは油断は出来ない。
「…そういう時に限って、当直か」
静かになった廊下を、友雅は独りとぼとぼと歩いて行く。
かすれた足音だけが、ホールに響いていた。

「あ、先生。しばらく当直室でお休みになってて良いですよ。」
ナースステーションに顔を出すと、何故か開口一番でそんな事を言われた。
「何だい?私がいては困るようなことでもあるのかな?そこにあるお菓子の取り分が減るとか?」
誰が持って来たのか知らないが、可愛らしい形のマドレーヌがテーブルの上に並べられている。
別に菓子など、欲しがったことなどないはず、だが。

「良いから少し休んでて下さい。手術で疲れているでしょう?」
「そうそう!僕が待機してますから、先生は遅くなってからお願いしますよ!」
同じ今夜の当直医であるドクターまでもが、何やら友雅を遠ざけたいような言い方をする。
「じゃあみんなのお言葉に甘えて、家に帰れないストレスもあるから、少し閉じこもって休んで来るよ。」
「はーい、どうぞごゆっくりー」
友雅がそう言って立ち去ると、スタッフたちはホッと一息ついた。

「あとは彼女にお任せしましょう…」
彼の斜めに傾いてしまった機嫌を元に戻すには、彼女に頼るしか手段がないのだ。



顔も見たくない相手と、一日中付き合わせられたせいで、無性に甘いものを求めたい気分が高まる。
甘いものと言っても、さっき看護師たちがほおばっていた菓子とかではなくて、もっと甘くて優しいもの。
夕べ随分と味わったのだけれど、あの患者のせいで充電が既に切れそうだ。
「部屋から電話して、声だけでも聞こうかな」
そんな事を考えつつ、彼は当直室のドアを開けた。


「あ…おかえりなさい、友雅さん。」
一瞬、ここはどこだ?と思った。
今夜自分は当直で、明日の朝まで病院にいる予定。
なのに、ドアを開けたら彼女がいるなんて、どういうことだろう。
もしかして、どこでもドアでも開けてしまったか?などと戯言を思いつつ周囲を見ても、自分の部屋とは似ても似つかない、狭い部屋。
無機質なベッドと机。ほのかに漂っている、独特の消毒液の匂い。
……間違いなくここは病院、のはずなのに。

「今日の手術大変だったでしょう?お疲れさまでし……きゃうっ!!」
立ち上がったあかねは、友雅の白衣を脱がせてあげようと手を伸ばしたのだが、それを彼につかみ取られて、一気にベッドの上に押し倒された。
「ちょっ…ちょっと友雅さんっ!重いっ!どいて下さいよぅっ!!」
完全に体重を上から押し付けられて、身動きが取れなくなる。
見た目はスレンダーな感じだが、意外と彼は筋肉がついている方なので、こう見えても結構ウエイトがあるのだ。

「……本物のあかねだ」
「当たり前じゃないですかっ!んもー、どいてー!」
友雅の下でじたばたするあかねだが、強く両腕で抱きしめられてしまって、起き上がろうとしても起き上がれない。
「会いたかったよ、すごく」
「今朝まで一緒だったじゃないですかー!そういう台詞は、何日も会えない時に言うもんですっ」
「そんなもの関係ないよ。一秒後でも一時間後でも、離れていればそれだけで、会いたくて仕方なくなる。」
顔を寄せて来て、深い瞳の色に甘さを添えて。
そんな風に言いながら唇を求められたら…抗えなくなるのを分かってるくせに。



「オペがあったのにそのまま当直じゃ、いつもより疲れてるだろうなあと思って、だから、お夜食作って来たんです」
机の上に視線を向けると、大きめのランチボックスとポットが置いてあった。
「眠気覚ましになるように、コーヒーは少し濃いめにしましたよ。苦すぎるようなら、ケースにシュガーとミルクも入ってますんで。」
「苦いくらいが丁度良いよ。あかねの匂いが甘いから」
「ひゃあ〜っ!くすぐったいから、やめてくださーいー!」
さっきからずっと、彼は離してくれない。
時々後ろから吐息を掛けられたり、耳朶を舐められたりと悪戯ばかりで、遊ばれているこっちはたまったもんじゃない。

…でも、こんなことでも、友雅さんには気晴らしになるのかなあ…。
弄られるのは困るけど、今回は仕事と別のことでメンタルダウン気味の彼だから。
ま、友雅さんの悪戯には、もうさすがに慣れたけどもっ。
長く付き合って一緒に過ごしていれば、それは日常的なものになる。
とは言っても。
「きゃあうあぁ!!」
思わずあかねは、耳に手を当てて後ろを振り向く。
「変なことしないで下さいよう!」
「…柔らかくてマシュマロみたいだったから,美味しそうだなあと思って」
「普段マシュマロなんか食べないじゃないですか!もう!」
また甘噛みされたらたまらないと、あかねは両手で耳を塞いだ。
調子に乗ると、どこまでエスカレートするか読めないのが、彼の困るところだ。

「悪戯で気分転換するのも良いですけど,少しは落ち着いて休んで下さい!自分で思ってるより、疲れてるものなんですからっ」
次の悪戯を思索している彼の手を、軽く叩いてあかねは言った。
「じゃあ、あかねの言う通りにするから、甘えさせてくれる?」
はあ、と彼のお強請りに溜息をつき、仕方が無いなあ…と諦めて、あかねは姿勢を直す。
まったく…二人きりになると、どうしようもない我侭な人なんだから。



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Megumi,Ka

suga