俺の天使に手を出すな

 第4話 (4)
「森村君、何だって?」
たまりかねて友雅が、あかねの肩を叩いた。
すると彼女はびくっとして、蒼白した顔でこちらを見る。
「あ、あの……例の患者さん…の…ことで…」

ぴくり、と動いたのは、友雅の目。
………何?
ここは自分たちだけの、レトロな言い方をすれば"愛の巣"であるのに、そこにあの輩の話を持ち込むなんて。
「ちょっと、電話を貸しなさい」
「え?あ、あのっ……」
あかねがわたわたしているにも関わらず、友雅は携帯を取り上げた。


『つーかさ、何せあの患者ってば、普通の会話が通用しねえじゃん。その割に、睨み利かせてくるしさぁ。』
向こう側で森村の声が聞こえている。
どうやら通話相手が変わったことに、気付かず話しているらしい。
『俺も、あまり関わりたくないんだけどさ。橘先生の機嫌もおっかねえしさー』
森村はぺらぺらと、自分で気ままに話している。
まさか、その相手が友雅であるなんて知りもせず。
『だからさ、まあ一応ごまかしておいたけども、明日になったら何か言われるだろうし。先におまえの耳に入れておこうかと思って………』

「ご丁寧に感謝するよ、森村君」
……え?
とたんに森村の声が止まる。
「で、あの面倒臭い患者は、今度は何をほざいているのかな?あかねだけじゃなく、私にも教えてくれるよねぇ?」
電話が途切れたのかと思うほど、全く音が聞こえてこなくなった。
硬直して身動き取れず、立ち往生している森村の姿が目に見えるようだ。
そして、こちらではあかねが友雅の隣で、ハラハラしながら様子を伺っている。

「森村君?聞こえているかな?」
『は、はいっ!!な、何でしょうかっ!?』
友雅の声は穏やかなくせに、一瞬で森村の背筋をぴんと伸ばさせる力がある。
ただし、それに加えて冷や汗もついてくるけれど。
「話の続き。例の邪魔な皇子様のふざけた言い分は、何だって?」
『あのっ…えーと、明日のオペに、元宮さんを立ち会わせろって言ってきまして』
「無理だね。オペには手術室の看護師しか頼めない。」
『そ、そうです!そう言っておきました!』
はい、分かりましたなんて言えるか。
このドクターの下で働く者として、そんなこと言ったら…それこそ空気が固まる。

だが、相手も強者なのだ。そう簡単に引き下がってくれない。
『で、でも…ですね?それなら…オペ後の看護は、元宮さんにさせろと言い出しましてー…』
「却下」
『はいっ!そ、そう返事しておきました!』
正確に言うと断ったのではなく、"それは担当医に了解を得てから"と、お茶を濁して逃げたのだが。
ま、友雅に話が通れば、間違いなく彼が払い除けるであろうと思ったし。
『でもですね、そのー…ああいう相手ですからー…そのぉ、あとあと面倒臭いことにならないようにと、取り敢えず元宮さんには話しておいた方が良いかと思いましてー…』
「なるほど。馬鹿げた話とは言え、気を回してくれて感謝するよ、森村君。」
『は、はあ…』
相手の表情は見えないのに、口ぶりはいつもと同じ穏やかさなのに。
ここんところの事で、その口調に潜む微妙な彼の感情変化が、何となく分かるようになってきた森村だった。

「この話は、明日にでも私が処理するから、君は安心して良いからね。今夜は準夜勤だろう。頑張るようにね。」
『は、はいっ!ありがとうございましたぁっ!!』
そう返事をして、森村は逃げるように急いで電話を切った。



ふざけている。
手術に立ち会え?術後の看護をしろ?
どこまであかねを、自分の言いなりにしようと企んでいるんだ、あの男は。
目の前でフィアンセが文句を言ったというのに、ひとつも懲りていないのか。
例え何を言おうとも、担当医の自分がそれを許可すると思っているのだろうか。
……あるわけがないだろうが!

「あの、友雅…さん?」
あかねの携帯を握りしめ、何やら苦み走った目をしている友雅の腕に、そっと彼女の手が伸びた。
「あのー……私の携帯…」
「…ああ、ごめん。勝手に電話切って悪かったね。」
「いえ、別に良いんですけども…」
森村から、話の一部始終は聞いただろう。
まったく…あれだけ召使いや執事やらがいるのだから、そんなこと彼らに任せればいいものを。
こうもいちいち指名してこられたら…その度に友雅の機嫌がよじれてしまうじゃないか。

私だって、そんなのに関わってなんかいられないわよっ。
看護師は私一人じゃないんだし、一人で担当なんて元々出来っこないじゃない。
だから、こんなに大がかりなチームを組んでいるんだから…。
そりゃあ看護師だから、ちゃんとお世話はするつもりだけど、こんな状況が背景にあったら、こっちだって対処に困っちゃうのに…。
はあ、とあかねは溜息を付く。
普通に患者と接していたいのに、これじゃ気まずいばかりで、マトモに看護も出来そうにない。
何か騒ぎを起こせば、今度は友雅の気が荒れそうだし。
尊重したい相手は、間違いなく友雅の方なのだけれど、看護師である立場を忘れることは出来ないし。
どうしてこんな面倒なことになったのか…。
願わくば、早く治療を済ませて怪我が完治し、自国に戻って欲しい…それだけだ。


「えっ!?ちょ、ちょっと!友雅さんっ!?」
あかねの手から、携帯がコロンと床に転げ落ちた。
友雅が急にあかねの身体を抱き上げたせいで、手元がすべったのだ。

「ごめん。食事より、二人きりの時間の方が欲しくなった。」
「え、ええっ!?ちょっと待って…えーっ!?」
テーブルの上には、まだ殆ど手を付けていない料理が並ぶ。
けれども友雅はそれを尻目に、あかねを抱いて部屋を出ていこうとする。
行く先は……隣のベッドルーム。

「と、友雅さんっ!?ま、まだいくらなんでも、寝る時間には早すぎますって!!」
時計の針は、やっと8時をまわった頃。
子どもじゃあるまいし、そんな時間から布団に潜るなんて…。
いや、大人には大人の寝室の使い方があるけれども、こんな時間じゃあ…ソレにもまだ早すぎ。

しかし今の友雅は、時間にこだわる余裕がなかった。
「早ければ、それだけ君を独り占めする時間が長くなる。」
「ちょ、ちょ、ちょっ…!」
彼女が有無を言わぬうちに、友雅はあかねを抱いて部屋に入り、寝室のドアをパタンと閉めた。


そしてその夜-------。
結局二人が、寝室から出てくることはなかった。


*****

Megumi,Ka

suga