俺の天使に手を出すな

 第4話 (1)
「どうしたんだい?もう昼休みは終わってるだろう?」
「はあ、終わってます…けどー…」
あかねは辺りをきょろきょろ見渡し、周りに人の気配がないのを確認してから、足早に友雅のところへやって来た。

頭上を雀が通り過ぎて行く。
ゆっくりと流れる白い雲と、時折吹く風にさわさわと揺れる緑の音。
静かな庭園内に、二人。何故か…どちらともなく、言葉が出て来ない。


天真に引きずられながら、あかねはこれまでの経過を簡単に教えられた。
アクラムが天真や友雅のいる前で、あかねを自分の妻になる女だと公言したこと。
自分があかねの友人であることを知って、連れて来いと命令されたのだが、そこを友雅に捕まって状況説明を要求されたこと。
その後、彼がアクラムに直談判しに行くというので、それに何故か付き合わされたこと。

『橘先生ああ見えて、かなりキレかかってたぞ。相手も曲者だしよー、大人しくしてられねえじゃん?』

現場に居合わせた(というか無理矢理同行させられた)天真は、その時の友雅の様子を、そう話した。
そして天真は、あかねに嘆願した。

『頼む!先生の機嫌取り繕ってくれよ。俺、一緒に仕事する立場として、気まずくてさあ…』

おまえしか出来ないんだから!と、彼は土下座しても良いというような顔をして、あかねにそう頼み込んだ。

……そんなこと言っても、私だって全然その気なんかないのに、あんなこと言われて戸惑ってるんですけどっ!
その話を昼休みにでもしようかと、友雅が戻ってくるのを待っていたのに。
実は、もっと面倒な展開になっていたのか…。
はあ…一体何なの、この状況…。
出て来るのは、ためいきばかり。

「そういえば森村君、見なかったかい?」
「え?森村君は、何か急に用事を思い出したとかで、研修室に行きましたけどっ」
友雅と一緒は気まずくて、もうやってらんない!と言い残して逃げて行った、とは言えない。
しかも、すべて後釜をあかねに押し付けて。
「研修医は忙しいからねえ。私用のことに付き添わせて、時間を無駄にして悪かったな。あとで、謝っておいてくれるかい?」
「は…あ、会ったら言っておきます…」
普通の友雅さんならまだしも、こんな状況じゃあ天真くん、さぞかし息苦しかっただろうな…。
私だって、何て説明しようか迷っていたくらいだもん。
慌てふためいていた彼を思い出し、災難だったなとあかねは思った。


「というわけで、ちょっと修羅場を演じて来たわけなんだけどね。」
足を組み替えた友雅は、あかねの肩に手を掛けた。
「話は大体、森村君に聞いたよ。それで、直談判に行って来た。」
「でもっ、直談判しても、すんなり聞き入れる相手じゃないでしょう?」
「ああ、全然退きもしないね。自分から引き下がるってことを、知らずに大人になったんだろう。」
王位継承の確率が低い第四皇子であろうと、一般庶民とは全く違う感覚で日常を生きている。
自ら動かずとも、その一声で周囲がすぐに動き、思う通りの結果を作り上げてくれるのが、普通であって、自然であって。
自分の上に存在するのは、王と三人の兄皇子。
そして王妃くらいしか、いないと思っているのではないか。
だから、それ以外は何でも思い通りになる…と。

「わ、私だってびっくりしたんですよ!?い、いきなり"妻にする"なんて、何言ってんの!?って感じで!」
「まったく、常識じゃ考えつかないね。」
それで相手がYESと答えると、本気で思っているんだろうか。
まだ会って二日くらいで、しかもろくに会話さえもしたことがない相手に。
「こっちなんて、プロポーズしてからOKを貰うまで、どれだけ時間を費やして粘ったことか…」
「あ、えっ?」
急にそんな事をふられて、戸惑うあかねを見つめる友雅の表情は、いつもと同じ笑顔だった。

学生の頃に実習で出会って、少しずつお互いの距離が狭まって行って。
看護師合格と共に、ひとつ階段を上がった二十歳の時…初めてのモーション。
「それからOKをもらうまで、2年近く粘って迫ってたんだよ?。それなのに、簡単に話が通るなんて思われたら、私の立つ瀬がないじゃないか。」
「…はあ、まあそのぉ……」
ぽりぽりとあかねは頬を掻く。返事をじらした方としては、少々気まずい。

「それに、君が自分の求婚を断るはずがない、と思っているところが何とも憎たらしいね。」
ひゃっとあかねが声を上げる。
肩を引き寄せられて、身体が友雅の胸へと傾く。
「自分の地位と財力があれば、君を手に入れることが出来ると、彼は思っている。正直、腹が立つ。」
「と、友雅さんっ?」
「君が金や地位で、簡単に振り向くと思ってる。それが何より、気に食わない。」
天真の言っていた言葉が、もう一度頭の中に浮かび上がって来る。

"橘先生ああ見えて、かなりキレかかってたぞ。"

これまで結構長く一緒にいたけれど、機嫌が悪くても感情的になることは殆どない友雅だったが、今回はちょっと違うような。
強く力を込めて肩を握る、その手。
"憎たらしい"とか"腹が立つ"とか"気に食わない"とか、少なくとも患者に対して口にしたことはないのに。

「あ、あの、友雅さん落ち着いて下さいね?別に、私は全然そんな気はないんですし!あっちが勝手に言ってるだけのことで…」
「それが気に入らない。勝手に私の天使を妻に仕立てるなんて、言語道断だ。」
うっ…私の天使…かあ。
一瞬、彼の言葉にぽっとなってしまったが、そんな惚けている場合じゃない。

「ともかく、患者と医師の立場はきっちりこなすけど、それ以外では敵だな。」
敵ってまた…物騒な表現を。
「本当なら、執刀の依頼もキャンセルしたいくらいだけど。」
「ちょっと待って下さい!そ、そればいくら何でもマズいでしょ!」
治療方法はさほど難しくはないが、異国の王族から直々の指名なのだ。
院長やら教授蓮も腰を低くして応対しているし、オペの目前でそんなことしたら、友雅だけではなく、下手すりゃ病院の信用にも関わる。
それに、何故キャンセルしたいかと理由を求められても、こんな個人的理由では…呆れられるだけだろうに。

「ま、それは冗談だけどもね。」
友雅はあかねの肩から手をどけて、普段通りにニコリと笑みを浮かべる。
本当に冗談なんだろうか…。
半分くらいは、本音が交じっていそうな気もするが。


そろそろ仕事に戻る時間だ。
いくらアクラムの治療チームのリーダーとは言っても、彼には元からの担当患者がいる。
回復状態をチェックする必要のある患者も多いし、これから回診を兼ねてリハビリ科と打ち合わせに行かなくてはならない。
「あかねの顔を触れて確かめられて、少し落ち着いたよ。午後からは、ちゃんと仕事が出来そうだ。」
「私はそうは行きませんよっ。他の看護師さんに、仕事押し付けて来ちゃったんですよっ。」
早く戻って、仕事を戻してもらわなきゃ。
彼には彼の分担があるのだし、ただでさえ看護師不足のご時世に、二人分をこなさないといけないのは可哀想。

「さ、早く仕事に戻りましょう!」
友雅の手を引いて、あかねは庭園の入口へと向かう。
生い茂る緑の間には、小さな蝶がぱたぱたと舞っていた。



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Megumi,Ka

suga