俺の天使に手を出すな

 第3話 (3)
コーラとアイスコーヒーの入った紙コップを手に、友雅と天真は白いベンチに腰を下ろした。
比較的中心地にあるにも関わらず、大規模な敷地と周囲に十分な緑化を勧めているため、昼間でもこの病院内はどこも静かだ。

クラッシュアイスをかじりながら、天真は隣の友雅に視線をやる。
目鼻立ちや輪郭、唇から顎へのラインなど。男の目を通しても、非と呼べる部分はあまり思い付かない。
それでいて、名の知れた整形外科医で。
異国の王族から、直々に治療の指名をされるほどの腕を持っていて。

……そんな彼が今考えているのは、おそらく二つ。
看護師というよりも、フィアンセであるあかねのこと。
そして、患者というよりも…天敵と言っても良い異国の皇子。
彼らを巡る問題は、患者の治療よりも難しくて面倒くさくて、今の彼にはそのことで頭がいっぱいだろう。
その証拠に。
はあ、と天真が溜息をついても、全く意識など向けようとしない。


紙コップの中のコーヒーは、氷がどんどん溶けて薄まって行く。
こうやってベンチに座ってから、もう5分以上過ぎているというのに、口を付けたのは2、3回。減るわけも無い。
気持ちの良い陽気なのに、気分だけはどんよりと曇り空。
しかも、かなりの暗雲。手強い厚い雲は停滞したままだ。
うっとおしいったら。

…だいたい、何故あかねじゃないといけないんだ?
看護師は他にもいるじゃないか。
彼の部屋に行ったのが別の看護師でも、あかねと同じような処置をしたはず。
それがたまたま、あかねだったというだけだろう。
なのに、どうして目をつける?
患者の体調異変に、敏感に対処するのは看護師として当たり前だし、珍しいことでもない。
あかねはそれをこなしただけなのに、何故それが妻に選ばれる理由になるっていうんだ?


ぎくっとして、天真の目が友雅の手を捕らえた。
彼は前を向いているが、本当はどこを見ているのか分からない。
なのに紙コップを握る手は、さっきよりも力が入っていて、褐色の液体の水面をふるふると揺らしている。
長く伸びた足を優雅に組んで、少し背を後ろに倒し、一見リラックスした様子。
だが、間違いなく内面は、とんでもない混乱の渦。
……うう、機嫌悪そう。
別に自分には何の責任もないのだが、隣に座っているだけで天真はびくびくして、彼の様子をじっと伺っている。

すると、突然友雅はアイスコーヒーを一気に飲み干し、空になった紙コップをぐしゃりと握りつぶした。
………ヤバイ!このままじゃキレられるかもっ!?
普段あまり感情的じゃない友雅が、キレるというところも興味はあるけれども、この場に居合わせたらとばっちりを食いかねない。

「あ、あの、先生っ…捨ててきましょうかっ!」
「…ああ、悪いね。」
「いえいえっ!つ、ついでですから!!」
ついでにその場から少しでも離れられば、それに越した事は無い。
天真は潰れた紙コップを受け取り、逃げ足のような早さでダストボックスへと走って行った。

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「森村君!!小学生じゃあるまいし、廊下を走るのは厳禁ですよ!!」
風を切って走り抜けて行った天真を、看護師長が叱咤したのだが、振り向いた時に彼の姿は無し。
呼ばれて立ち止まるような、余裕なんて今は彼にはなかった。

どこにいるんだ?
昼休みは既に終わって、もう午後の仕事が始まっている時間。
確か今日はチーム担当ではないから、一般入院病棟の仕事に回っているはず。
「あの、すいませんけど!も、元宮さんいますかっ!?」
4人部屋から出て来た看護師を捕まえ、天真はあかねの居場所を尋ねた。
「元宮さん?確か、5階の患者さんの保清に行っていると思うけどー…」
天真は情報をゲットすると、取り敢えず彼女に礼を言ってから、くるっと来た道をまた戻って行く。
彼女にまでダッシュ禁止!と後ろから叫ばれても、天真の耳にはまったく聞こえていなかった。


廊下だけでなく階段まで一気に駆け上がり、ようやく5階に辿り着いた。
さすがに別棟を行き来したあと、2階から5階へ駆け上がっては息も続かなくなる。
しばしホールで深呼吸をして、やっと顔を上げてみると…。
グッドタイミング。洗髪用具を抱えたあかねが、個室から出て来る姿が見えた。
「あっ、あかねっ!おおい!あ、あかねっ!!」
「…天真くん?どうしたの、息荒いよ?」
突然目の前に現れただけでも驚いたのに、目の前でハアハア息を乱している天真を、彼女は不思議そうに眺めている。
「ちょっと、少し落ち着いたら?」
「お、落ち着いてられっかっ!」
急に天真はあかねの手を掴んで、足早にエレベーターホールの方へ歩き出した。
…いくら下りは楽でも、階段でまた移動するのは…ちょっとしんどいので。

「ほっ、保清終わったんだろ!?頼むから、ちょっと着いて来てくれ!」
「来てって、どこに!?私、まだ他の患者さんの保清があるんだけどっ!」
通りすがりに、別の病室から保清を終えて出て来た看護師が、天真に引きずられて行くあかねの姿を、何事かというような顔で見ている。
天真は、そんな彼を呼び止めた。
「頼む!元宮の残りの患者、おまえ、代わってくれ!」
「え、俺もまだ、予定の保清終わってないんスけどー…」
急に言われても困る、と表情からも訴えている彼に、天真は耳うちをする。

「……橘センセのご所望だぞ。逆らったら、後々ヤバいぞ?」
その名を聞くと、さすがに彼も背筋がピンと伸びた。
整外の看護師である彼には、友雅は尊敬に値する憧れのドクターであり、上司。
もちろん、その友雅の未来の奥方になるのが、あかねであることは百も承知。
更に、友雅がかなり彼女にご執心であることも、医局及びステーション内では知らない者もいない。

「わ、わかりましたっ!元宮さんの残りの分は、俺が責任持って引き受けさせて頂きますっ!」
警察官でもないのにぴしっと敬礼をすると、あかねの手から洗髪用具を受け取る。
「んじゃ頼むなー!」
「ちょ、ちょっと!?」
取り敢えず話はついたので、一安心。
そしてあかねは、ズルズルとまた天真に引きずられて行くのだった。



一人になった友雅は、向かい側の緑をじっと見ている。
疲れた時には植物を見ると、リラックス出来ると言うから、こうした場所が作られたのだが…自分にはまったく効き目が無いな、と溜息をこぼす。
空を仰いでも、清々しい青空と白い雲が浮かんでいても…全然駄目だ。
せめて解決の糸口でも見つかれば、少しは気楽になるのだが。

彼を退けるための、致命的な何かがないだろうか?
「今すぐ家族を増やそうと思っても、こればかりは上手くは行かないしねえ…」
産婦人科の安倍にでも、相談してみるか?…なんて、我ながら情けないったら。

こんなつまらないことで、じたばたして動揺して。
更に、相手をねじ伏せる策を練ってみたり。
まったく…大の大人の男がやることじゃないだろう。
もう少し堂々と胸を張って、威張ってみても良いはずなのだ。
それなのに、気付けばムキになって、対抗心をメラメラと燃やしている自分。

……つまらないこと、なんかじゃない。
誰にも、触れさせたくないのだ。
独り占めしたいのだ………天使を。
「はあ…情けないねえ…いい年して。」
初めて恋をした思春期の少年じゃあるまいし、明らかに嫉妬心が全開。
男として、そんな自分が本当に情けなく思えて来る。
それと同時に、こんなにまで彼女に捕われているんだな、という事実。
意外に自分は独占欲が強いのだな、と改めて客観的に気付かされる。


カサ、とソフトな足音が背後で聞こえた。
そういえば、森村がゴミを捨てに行ったきりだったが、戻って来たのか?
姿勢を起こして振り返る。
すると緑の垣根の向こうに、一人の天使が姿を現していた。



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Megumi,Ka

suga