俺の天使に手を出すな

 第3話 (2)
病室に入ることを許されたのは、友雅だけだった。
天真は友雅に、話が済むまで外で待つように言われ、仕方なく受付の男の視野に入るソファに腰掛けた。
だが、落ち着かずに何度も立ち上がっては、辺りをウロウロする。
そしてさりげなく病室へのドアに近付き、背を向けつつ壁に耳を押し当ててみた。
修羅場に引きずり込まれるのは困るが、中の状況が気にならないわけもない。
果たしてこの正面衝突。吉と出るか?それとも凶と出るか…。
うっすらと響いて来る会話に、天真は耳の神経を最大限にフル回転させた。


「元宮のことで話があるそうだが、何だ」
友雅が目の前に現れると、アクラムは開口一番に、そう口を開いた。
こめかみの奥あたりが、ピクリと引きつる。
"何だ"とは、こっちが聞きたいことだ。
他のスタッフはろくに名前も呼ばず、担当医の自分への反応も鈍いくせに。
なのにあかねだけは平気で名字で呼んで…面白くない。

「…研修医から聞いたのですが、どうやら貴方は、日本における病院の意味を、少し取り違えてらっしゃるようなので、少しご忠告しなくてはと思いまして。」
出来るだけ呼吸を落ち着かせ、いつも通りに平静を装った。
「病院は、怪我や病気を治療・回復させる為の施設です。間違っても、配偶者選びをする場所ではありませんよ。」
広い病室の空気に、一瞬ピリッとひびが入ったような。
同席しているイクティダールと、部屋の外で耳を峙てている天真は、そんな緊張感を覚えた。

「ですので、当院に在籍している女性…医師、看護師、栄養士、ヘルパー、研修医、薬剤師…大勢おりますが、彼女達は貴方の妻に選ばれるために、ここにいるのではありませんので、お間違えのないように。」
友雅はぴしっと、それでも笑顔を浮かべて言い放った。
まあ、女性陣の中には、ほのかな期待を寄せている者も、少なからずいるだろうが…標的をあかねに定められては黙っていられない。
「そういうわけで、元宮にへの求婚も認めるわけには行きませんので。」
こんな冗談みたいな展開を、見過ごしてなどいられるか。


友雅の話を黙って聞いていたアクラムだが、それが終わると彼は軽く鼻で笑うように、宝石の瞳をこちらに向けた。
「ふん、求婚ではない。元宮には、私の妻になることを"許した"のだ。」
うっすらと浮かべる笑いは、にこやかという印象はまるでなく。
その視線は、自分の言葉を理解出来な者を、見下しているかのような顔つきだ。
「お美しい奥様とご子息が、ご一緒に来日されてらっしゃいますでしょう?」
「正室は一人だが、我が王族は四人まで妻を娶ることが出来る。元宮には、第二婦人の座を宛てがったのだ。」
宛てがった、と勝手に決めつけるな!
まだあかねは、YESの返事なんかしていないじゃないか(おそらく)。
自分が決めれば全て実現する…なんて、独裁的もいいとこだ。

「残念ながら、彼女は無理です。既にフィアンセがおりますから。」
もう黙っていられなかった。
自分だけの天使を、突然横から顔を出して来て、"これは自分のもの"と決めて連れ去ろうとする男。
いくら担当患者であろうが、この暴挙を見過ごすわけにはいかない。
「まだ婚約の状態なら、解約出来るはずだ。」
「無理ですよ。そのつもりはありませんから」
「…おまえには関係のないことだろう。これは、私と元宮の問題だ。」
「そうはいかないんですよ。私はそれに、意義を唱える権利がありますのでね。」
この状況に、真っ向から抗える権利を友雅は持っている。
「自分のフィアンセを、他人が勝手に妻にしようとしているのを見て、黙っているわけがないでしょう?」

「…元宮のフィアンセとは、おまえのことか」
じろじろと、アクラムの目が品定めをするように友雅を見る。
担当医として何度も顔を合わせているのに、こんなに会話するのも顔を見られるのも、これが初めてだ。
よく見て、その頭の中に焼き付けるが良い。
おまえが妻にしようとした女性が、本当に選んだ男の顔をしっかりと。

しかしアクラムは一通り友雅を眺めると、至って平然としながら、ベッドの背もたれに身体を伸ばした。
「ふん、おまえはたかだか医師だろう。名医かもしれんが、元宮を満足させるまでには及ばん。」
なんだと?
さすがに冷静に務めていた友雅だったが、その言葉にはカチンと来た。
「私には、元宮が求めるもの全てを用意するだけの地位も財力も権利もある。何一つ不自由などさせぬ。おまえには出来ぬだろうが。」
「…元宮は、物欲に流されるような、優柔不断な女性ではありませんよ。」
「ふっ…物欲だけではなかろう?男と女の間にある欲というものは。」
この男、どこまで図々しいんだ。
既にあかねを自分の妻にして、その生活を頭の中で作り上げている。
それが例え他人のシミュレーション上であっても、別の男の妻になっているあかねなんて…。
「妙な妄想に、彼女を連れ込まないでもらいたいですね。」
「妄想ではない。これは近い将来の、精密な想像図だ。確実にリアルな憶測だ。」

………本気で私と張り合うつもりだな。
それならそれで構わない。
相手が異国の皇子だろうが、そんなの知ったことか。
理不尽な事ばかり突きつけ、挙げ句の果てに最愛の天使までもを、当然のように奪おうとする男なんかに負けてたまるか。
「渡しませんよ、"あかね"は私のものですから。誰にも譲りませんよ。」
後には引けない。真っ向から勝負に出てやる。
表向きは患者と医師だが、色恋沙汰ならライバル…なんて甘いものじゃない。
あきらかに敵だ。

「ふん、たかがドクターごときが、我ら王族に勝てると思うな。」
「負けるとは思っていませんよ、私は。」
向こうに汲めども尽きぬ財力があるなら、こちらには長い間に培った信頼がある。
数年に渡って大事に育てて、実った恋はどんなに高級な果実より、甘くて優美な味がする。
どんなに大金を積まれようが、一口だって味見なんかさせてやらない。
二人だけの、二人だけにしか味わえない、とっておきだ。

友雅はそこで話を終えて、病室から出て行こうとした。
ノブを捻ってドアを開けかけて、一度だけ振り向いてアクラムを見る。
「…あなたには、彼女は扱えないよ。天使を抱きしめるのを許されたのは、この私だけだからね。」
最後に、置き土産のように言い残した友雅の言葉は、まさに捨て台詞と言って良いような口振りだった。

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「森村君、これから一服付き合ってくれるかい?」
病室から出て来た友雅は、ドア越しに縮こまっていた天真を見つけると、やけに穏やかな作り笑いをして、そう声を掛けた。
一部始終を聞いていた天真は、全身冷や汗でびっしょりである。
しかし、まさか誘いを無視するわけにも行かず、引き続き友雅の後を着いて行く事にした。

やって来たのは、特別室のある入院病棟と本館を繋ぐ渡り廊下。
ここからは、空中庭園へと出ることが出来る。
緑が多く植えられた静かな場所で、患者やスタッフたちの憩いの場でもあり、自販機のコーヒーもここでなら美味いと感じられる。
「私が奢るよ。何が良い?」
「あー…そのー…えーと…コ、コーラで良いッス!」
「ホットとアイス、どっちが良い?」
「あっ、えっと、つ、冷たいヤツで良いッス!」
「了解」
普通コーラなんて、ホットもアイスもないだろうに。
そんなことも分からないほど、緊張している天真が何だかおかしくもあり、自然な笑みがこぼれた。

頑なに笑顔を保持するのは心底疲れたから、こんな些細な笑みも今は気を和らげてくれる。



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Megumi,Ka

suga