俺の天使に手を出すな

 第3話 (1)
友雅は、無言で長い廊下を歩いていた。
医師の風貌とは到底思えないような、緩くうねる長い髪を後ろで束ねて、広い歩幅で目的地を目指して歩き続ける。
その後ろを…少し縮こまった格好で天真は着いて来ている。
正直、この話題には関わりたくはないのだが、逃げるに逃げられない状況へと、運悪く足を滑らせてしまった。

"今日のランチは、私がご馳走するよ。好きなものをいくらでもオーダーして構わないよ。
……ただし、君の知っていることを、全て話してもらうからね。"

にっこりと笑みを浮かべられても、そんな風に言われて目の前に座られたら、食欲なんてすっかり大人しくなってしまう。
ま、それでもせっかくご馳走になれるのだから。
ここは遠慮無く、薄給&食い盛りの研修医では手の出せない、¥2200のローストビーフサンドのセットを頼んでもらった。
とは言っても、食事中は評判のその味さえ、ろくに楽しめない緊張感に晒されていたのだが。

問答無用で今朝の事を打ち明ける羽目になり、天真は仕方なく自分の知っていることを話した。
とは言っても、天真は途中から病室にやって来たのだし、部屋の外で待機していたのだから、はっきりとした一部始終は不明なのだ。
言えることは…アクラムがあかねを妻にしようと考え、第二夫人として自国に連れて帰ろうとしていること。
あたりまえだが、それは相手側が勝手に言っているだけで、あかねの方は全くそんな気はない。

「だからー橘センセー!別に先生が目くじらを立てて、怒るようなことじゃないですってー!」
「別に私は、怒ってなどいないよ?ただ、彼の国では分からないけれども、日本の病院はあくまで病を治療するための施設だ。結婚相手を見つける場所ではないことを、伝えに行くだけのことだよ。」
…そんなこと言うけれど。
臨床実習で世話した看護師を、ちゃっかり婚約者に仕立てたのは、どこのどいつだ?…と言いたい気持ちを、天真は押し殺す。

あかねと同じように、天真も医師になろうと幼い頃から決めていた。
それは実家が個人病院をしているため、跡を継ぐのが最大の理由でもある。
二つ違いであるが、中学までは一緒の学校。
天真は医大附属の高校へ進学し、あかねは衛生看護科のある高校へ進んでからは、あまり顔を合わせることはなかった。
今年やっと卒業して試験に合格し、一足早く看護師となった彼女が勤めるここへ、天真は研修医として配属されてきたのだが…。

久しぶりに逢ったら、上司と恋仲だと言うし!
しかも、高校の実習時からの付き合いだと言われるし!
でもって、既に婚約まで済ませちゃったとまで白状するし!
更にその相手は……国内外でも名の知れた、天真でも知ってるくらいの名医だと暴露されるし!
…そんでもってこの先生、アイツの事になると大人げないんだもんなあ〜…。
研修のために来たというのに、別の意味でここでは驚かされることばかりだ。


「失礼致します。担当医の橘ですが、患者さんにお話がありまして。」
受付の男性に、いつも通りの沈着冷静な口調で告げる。
手元の電話から短縮ボタンを押すと、病室の中から呼び出し音が聞こえて来た。
呼び出し音が聞こえるくらい近くにいるなら、単に大声で呼べばいいんじゃねーの、と天真は思う。
セレブとかいう人種の常識は、理解出来ないことばかりだ、とか考えていると、病室の中からイクティダールがやって来た。

「ご苦労様です。主に話があるとの事ですが、どんなご用件でしょうか?」
「実は、看護師の元宮のことで、ちょっとお話が。」
友雅が言うと、イクティダールは黙ったまま彼をじっと見据える。
しかし、凝視されたところで友雅も微動だにしない。
地に足をつけて、彼もまたイクティダールを黙って見返す。
…やめてくんないかなー。
こういうプレッシャーのかかる状況に、俺を連れてくんの…。
そもそも"責任を持って、君も着いてくるように"とか言われて、ここまで連行されたのだが、何の責任で自分が関わらなきゃいけないのか?

「少々お待ち下さい。ただいま主に聞いて参りますので」
「直接御会い出来ない場合は、ここから聞こえるような声で、お話ししても構いませんよ?」
一旦引き下がろうとしたイクティダールだが、有無を言わさぬ友雅の発言に足を止め、わずかだが眉を顰めた。
「……こちらでお待ち下さい。後ほど、お呼びに伺います。」
イクティダールが病室に姿を消す。
友雅は変わった様子も無く佇んでいるが、天真はどうやったらここから逃げられるか、それしか考えていなかった。

+++++

「も、元宮さん?ちょっとちょっと」
昼休みが終わって、仕事に戻ろうとしたあかねを呼び止めたのは、外科の男性看護師。彼もまた、今回の治療チームの一員である。
「何ですか?これから患者さんの保清に行くんですけど。」
「いや、あのさあ、歩きながらで良いんだけど、聞きたいことがあって」
一体何だろう?
そういえば、今日のアクラムの検査には、彼が参加していたはずだけれど…。
まさか、何かあったんじゃ…と、あかねの中に一抹の不安がよぎる。
別にこっちは全くその気はないし、相手が勝手に言っていることなんだから、そうびくびくしなくても良いのだ。
けれど…どうも何故か、気が気でならない。

「実は、さっきMRIの検査結果を伝えに行った時にさあ……」
彼が小声で話を始めた時、目の前から駆けて来た者がいた。
「ちょ、ちょっと元宮さあーんっ!!!!」
まるで飛びかかって来そうなスピードで、近寄って来たのは同僚の看護師二人。
今までずっと探していたのだと、息切れしながらあかねたちの前で立ち止まった。
「ど、どうするつもりなの!?」
「え?な、何の事ですか……」
「何の事って!!……あの患者さんからのプロポーズ!!」
二人は両側からあかねを取り囲むように、そして耳もとでコソコソと"例の話"を告げた。

しかし、尋ねられたあかねの反応の方が大きかった、
「な、なんでみんな、その話知ってるんですか!?」
「だってその、検査結果を話に行った時にね……」
三人は顔を見合わせてうなずく。
ああ、そういえば今日はこの中の一人が、看護担当だった…。
「患者さんが森村君を呼び止めて、"元宮さんを呼んで来い"って言ったって。」
「でもって、橘先生が"今日は担当じゃないから駄目"って言ったら…ね…」

あかねの額から、冷や汗がたらりと滴り落ちた(ような気がした)。
友雅がその場所に…居合わせたのか。まあ、担当医なのだから当たり前なのだが。
だけど、そうなれば必然的に…。
「か、患者さんが…"自分の妻になる女だから呼んで来い"って、突然森村君に命令して…」
「何ですってぇーーーーーーっ!!!!」
聞 か れ た か 。
あの、狂言とも言える発言を。

「森村君、探しに来なかった?元宮さんを連れて来いって言われて、飛び出したきりだったんだけど」
「…全然。姿も見てないけど…」
「じゃ、橘先生は!?そのあと、一人でどこか出て行ったけど…」
「…………」
どこに行ったんだ?あの二人。
どちらにしても、まずはあかねのところに状況を尋ねに来そうだけれど、全く彼らの姿は見えないし。
昼休みも既に終わっている。
けれど、依然として二人を見かけた者は誰もおらず。

「元宮さん、取り敢えず先生とはしっかり話し合った方がいいよー」
「そうそう。こっちもとばっちり受けると、困っちゃうしさー」
三人に取り囲まれて、あかねは困り果てた。
「橘先生、元宮さんのことになると人が変わるからー。苛ついて治療ミスったら大変だよ?」
「そ、そんな大袈裟なっ…」
「大袈裟じゃないってば。とにかく、今夜はちゃんと納得行くまで話し合ってよ?頼むから!」
そんな真剣に嘆願されても…。
言い出されている本人が一番困っているんだが。


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Megumi,Ka

suga