俺の天使に手を出すな

 第2話 (3)
さて、時と場所が変わって……ここは整形外科。
午前中最後の患者の診察を終えて、やっと待ち兼ねた昼休み。
「元宮さーん、お昼どうするー?社食のカフェに行こうと思ってるんだけど。」
年令は上だが同僚のナースが、あかねをランチに誘いに来た。
「あ、私はお弁当持参してるんで、飲み物だけで付き合います。」
「じゃあ、先に行って席取ってるね。」
そして彼女たちは先にカフェへ。
あかねはランチボックスを取りに、一旦ロッカールームへと向かった。

途中、産婦人科の前を通り過ぎると、20代半ばくらいの若い夫婦が、診察室から出て来たところに出くわした。
見た感じでは、7〜8ヶ月くらいだと思われる。
妻の肩を抱いて、大事そうに夫は彼女をソファに座らせると、近くにあった自販機に飲み物を買いに行った。
もちろん自分用ではなくて、妻のためのカルシウム多めのミルク。

こんな光景を見るたびに、彼らは幸せな結婚をしたんだな、という感じが伝わって来て、ほんの少し羨ましくなる。
…いつか私も、ここに通う事になるんだろうなあ。
っていうか、ちゃんと結婚したら、一応そういうことも頭に置いて、生活スタイルを考えなくちゃいけないのかも。
一人前の看護師になるのも夢だけど、お母さんになるのも…やっぱ憧れだしー…。


「…おかしいな。あかねがここに来るような覚えは、私には全然思い付かないんだけど?」
「…え?…って友雅さ…橘先生っ!?」
相手は名前で呼んでいるのに、反射的にあかねは事務的な敬称に言い換える。
「もうお昼過ぎてますけど、まだお仕事終わらないんですか?」
「ああ、検査が終わったと連絡があってね。昼休みの前に、ちょっと放射線科まで様子を見に行こうかと思って。」
友雅の手には、見慣れた書類のファイルが抱えられている。
そこには、あの患者の名前が記載されていた。

「それにしても…いつから様子がおかしかったんだい?」
「はい?何の事ですか?」
「ここに用事があったんだろう?失敗したこと…あったかな?」
コソコソとあかねに耳うちをして、友雅は産婦人科の診察室を指差す。
「…かっ、勘違いしないで下さい!何にも変わったことなんかないです!!」
「だよねえ?。ちゃんといつも気をつけてるつもり……っ!」
咄嗟にあかねはファイルを取り返し、真っ赤に染めた頬をしてはり倒そうとするのを、彼は笑いながら軽く交わした。


ロッカールームと放射線科は、途中まで行き先が同じだ。
昼休みで若干静かになった廊下を、少しの間だけ一緒に歩いて行く。
「なんだ。ただ産婦人科の前を、通り過ぎようとしただけだったのか」
「当たり前ですよ!変に勘ぐらないで下さい!」
全く…そういうことには、やたらと反応が早いんだから。
ブツブツ言いながら歩くあかねの隣を、彼はゆっくりと進んで行く。
コンパスの長さが圧倒的に違うから、歩幅も当然の如く全然違う。
けれどこうして隣り合って歩く時、彼はいつもよりもゆっくり歩いてくれる。
互いの距離感がずれないように、と考えて…どんな時でも。

…そーいうちょっとしたトコ、優しいんだもん…友雅さん。
さりげなく、普通に優しさを見せるのがズルい。
どんなにふざけられても、からかわれたって、そんなの見せられてしまったら…嫌いになれない。足を取られて抜けなくなる。

突き当たりを曲がれば、ロッカールームに辿り着く。
そこで、一緒に歩くのはおしまいだ。
「ま、あかねがその気になった時は、私も今まで以上に頑張るつもりだから…どうぞ遠慮なく言うようにね?」
「…本気ではり倒しますよ!橘先生っ!!」
あかねが頭から湯気を出しているにも関わらず、友雅は笑いながら、足早にその場を去って行った。


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「検査の結果ですが…ま、予想通りでして。予定通りの手術で、骨の方は治療出来ると思います。」
昼食の最中であるアクラム達を前に、友雅たちはMRI検査の結果を報告していた。
担当医が検査結果を報告に来る、と連絡しておいたのだから、少しくらい待っていても良いと思うが、そういう価値観は通用しないらしい。
専属シェフの作ったランチは、病院で出されるようなものとは正反対。
スパイスの香りが鼻をくすぐる、まるでエスニック料理店で出されるメニューみたいだ(一応栄養士の許可の上で作ったメニューと言う事だが)。

「そういうわけで、検査は1日ズレてしまいましたが、手術は予定通りの日程で進めようと思います。問題は手術ではなく、その後のリハビリですから、そちらの時間を長く取った方が良いですしね。」
「承知致しました。では、アクラム様をよろしくお願い致します。」
イクティダールは、深々と友雅に頭を下げた。
患者本人は…相変わらず、ただ聞いているだけ。
動かしているのはナイフとフォークのみである。

「それでは、お食事中失礼致しました。」
必要事項だけを告げて、友雅たちは部屋を出て行こうとした。
その時である。
「そこの若い男、待て。」
感情の薄いその声に、全員が足を止めた。
担当医の友雅、女性看護師2人、男性看護師1人、放射線医師1人、研修医1人…の合計6人。
"若い男"という肩書きの似合う者は…大目に見てもたった1人。
キャリアからすればまだ若い友雅ではあるが、人から"若い"と言われるほどでもないし。看護師も友雅より2つ下の、20代後半。しかも妻子持ち。
放射線医師は40代だし……そうなると、残るは研修医だけだ。

「おっ、俺に何か…御用ですかっ!?」
急にアクラムから呼び止められた天真は、声を上擦らせながら、カチカチになって振り向く。
「今朝、元宮と親しそうにしていたな。友人なのか?」
「はっ!?は、はいっ…小さい頃からの幼なじみです!」
何で俺に話し掛けてんだ、コイツはっ!
しかも、俺にあかねのことなんか聞いても、しょうがないってのー!
…………っていうか、やば!後ろに橘先生がいるじゃんか!
やべえ!今朝の話を知られたらっ……!!!

「元宮を呼んで来い。」
「…は、はあっ!?ちょ、ちょっとそれはっ…」
振り向く勇気がないのだが…後ろで立ち尽くしているだろう友雅は、一体どんな形相をしているのか。
目の前のアクラムと、背後の友雅と。
何とも言えない圧力が、天真を押しつぶそうとしている。

「申し訳ありません。本日は、元宮は看護担当ではございません。別の仕事に携わっておりますので、こちらには連れて来られません。」
やけに硬質な声が、後ろから聞こえて来た。
その主は…友雅である。
普段、患者には穏やかな口調で話すのだが、この声の調子は……。
そうだ、こないだの花束事件の時みたいな。

…やべえよ〜。絶対橘先生、頭に血が上ってるよ〜!どうすんだよ〜!
っていうか、俺はどういう立場にいるんだっ!?
逃げたい衝動に駆られながらも、足が硬直して動かない天真に、更に追い打ちを掛けるような声が、今度は目の前から聞こえてきた。

「そんなことは知らぬ。元宮は、私の妻になる女だ。早く呼んで来い。」

------------沈黙。
この、無音の空間が何よりコワイが、いっそ時が止まってしまえば、この後のことも考えずに済むか。
ああ頼むから、時間よ止まってくれ!
でもって、そのうちにここから退散させてくれ!
…と、よく考えれば辻褄の合わないことにも気付かないくらい、天真の頭はパニック状態にあった。

「おまえが行かぬのなら、イクティダールを行かせるぞ。」
アクラムは懲りずに、冷ややかな目で天真を睨む。
「はっ!?わ、わかりましたっ!探して参りますーっ!!!」
…つい迫力に負けて天真は答えてしまい、病室から全速力で飛び出して行った。



看護師長に見つかったら、多分「廊下は走らない!」と怒られること必須なほど、息を切らして天真は走って来た。
エレベーターホールに辿り着き、乱れた呼吸を整えようとしたのだが、どうも上手く行かない。
………どうする?
このままあかねを探しに行って、連れて来る方が良いのだろうか。
しかし、友雅の方はどうしよう。彼に相談してからが良いか?
どっちを優先するべきか。
想像を絶する異国の王族か。
それとも…整形外科でも名医中の名医の先輩医師。
しかも彼はあかねの婚約者で、彼女のことになるとかなりの負けず嫌い…というか、ジェラシー持ち。

どうする!選択肢はどっちが正しい!?正解はどっちだ!?


「……森村君。ちょっと話があるんだけれど、ランチを一緒にどうだい?」
急に後ろから肩をつかまれて、びくびくしながら振り向くと…そこには口元を引きつらせながらも、にっこりと微笑む友雅が立っていた。



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Megumi,Ka

suga