俺の天使に手を出すな

 第2話 (1)
次の日の朝、いつも通りにあかねは病院へやって来た。
同じ部屋に住んで、同じ病院に勤めているのに、勤務時間や帰宅時間が違う二人は、いつも自分の車で別々に出勤する。
一緒に行き帰り出来れば、ひとつの車で通えるから交通費も安く済むのに…と思いながらも、そうは行かないのは承知の上だ。
「おはよー、元宮さん。今朝は同伴出勤?」
「そういう言い方止めて下さいよー、先輩。何かまるで、夜の商売みたいじゃないですか。」
すっかり友雅との仲は病院公認で、ある程度長くいる入院患者や通院患者までにも知られている状態。
おかげで、こんな風にからかわれるのはしょっちゅう。

「あ、いたいた!ちょっと元宮さん、良い?」
ロッカールームに飛び込んできたのは、あかねより3年先輩の看護師。
彼女もまた、今回の治療チームに選ばれた看護師の一人である。
「あのね、例の患者さんが元宮さんをお呼びなのよ。」
「え?何でですか?今日の看護担当は先輩じゃなかったですか?」
1日交替で看護に当たるスケジュールのはずで、昨日はあかねの担当だった。
だから、容態の異変にすぐ気づけたのだが。
「うーん、まあそうなんだけど。何か話があるみたい。執事さんが呼んで来てくれって言うのよ。」
体調不良は時差ボケが原因だったようだし、あれから午後の検診では頭痛も和らいできていた。
夜は食事も順調に進んだと聞いたので、具合は回復に向かっているはず。

「まあ、よく分かんないけど…とにかく、行ってみて。昨日の件で検査は今日になったから、始まる前に話をしたいんですって。」
「…分かりました。じゃあ、ちょっと行ってみます。」
検査開始は10時から。今は8時。
まだ時間はあるけれど、他にも色々忙しいことが山ほどあるし、問題は早めに解決しておいた方が良いだろう。
あかねは着替えを済ませ、まずはEX室へ向かうことにした。


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関係者以外立ち入り禁止的なフロアは、話し声も殆ど聞こえてこない。
響くのは足音だけ。
「おはようございます。元宮ですが…」
ドアを開けると、受付係ではなく執事が立っていた。
「おはようございます。昨日は有り難う御座いました。」
「いえ、その後ご容体は如何ですか?」
「今朝は頭痛もなく、良い状態かと思われます。」
それを聞いて、あかねはホッとした。

執事のイクティダールは、一言二言あかねと会話を交わすと、病室に続くドアをゆっくりと開ける。
「では、どうぞ中へお入り下さい。」
「えっ…?」
病室へ来いというのか?
重要機密書類が眠る倉庫みたいに、厳重な入出許可を強いられる、その部屋へ。
それは誰の意志で?
「主よりお話がございます。」
「わ、私にお話ですか?」
何だかドキドキしてきた。
昨日は咄嗟のことで、緊張などしている余裕はなかったけれど、改まって患者と対面するとなると…。
勿論背後には執事の彼が着いていてくれるから、一対一で接することはならないが、それでも緊張は否めない。

異国の王族と、面と向かって会話をする…。
考えただけで足がすくみそうなのだが、そう思っているうちに、あかねは病室へと案内された。



彼はベッドの中にいて、二人が部屋に現れると、その瞳をこちらへ向けた。
「おまえが、看護師の元宮か。」
「は、はい…おはようございますっ!」
大きな窓から差し込む日差しに、長い金色の髪が透けて輝く。
彫りの深い顔はあかねの顔を真っ直ぐと凝視するが、その表情には感情というものはあまり見えない。
限りなく無表情に近い。動揺も微笑みもなく、西洋の彫刻みたいだ。

「昨日の件は、おまえが気付いて医師を手配したそうだな。」
「あ…はい。その、ご容態は…如何ですか?」
「昨日よりはかなり良い。今のところ、今朝は頭痛はない。」
あかねはそれを聞いて、ホッとして少し緊張が和らいだ。
さっきイクティダールに聞いた時もそうだったが、本人の口から聞くのはまた安心感が違うもの。
相手が例え王族でも、普通の人でも、容態が良いという言葉は何よりも嬉しい。


「気に入った。」
…………………?
あかねは彼の言葉を聞くと、すぐに顔を上げた。
彼は宝石色の瞳で、こちらを見つめたままだ。
「機転の早さ、処置の判断、申し分ない。」
「…は、ありがとうございま…す…?」
急に何を言い出すんだろう。もしかして、遠回しの御礼のつもりだろうか。
または、看護師としての自分を評価してくれているとか。それなら嬉しいのだが。
しかし彼の言葉には、あかねの全く予想もしない意味が込められていた。

「おまえは結婚しているのか?」
「…は?いえ…その…まだ…ですけど…」
一応"まだ"結婚はしていない。
準備中の段階の婚約期間であって、入籍も挙式もまだだ。
ただ、同じ部屋に住むという生活をしているのは、結婚生活とは殆ど変わらないわけで…かろうじて"まだ"独身。
入院生活の長い患者に知られてしまったのは仕方無い。
けれど、新しい患者に友雅とのことを説明するのもアレだと思うので、こういう場合はまだ独身と切り抜けている。
彼の場合も、いくら友雅の担当とは言え関係ないことだし。
改まって言う必要はないと思うのだが、何故彼はそんなことを聞くんだろう?
一人の看護師の未婚・既婚なんて、どうでもいいだろうに…。
セレブが考えていることは、さっぱりよく分からない。
…と考えていた時だった。


「私の妻になれ」

「は?」
「私の元に嫁げ。おまえに、第二婦人の座を与えてやる。」
「……話が全く見えないんですけど?」
確か彼には妻がいて、しかも結構大きな息子がいたんじゃなかったか?
「当国の王族は、正室の他に第四婦人まで認められております。」
おそらく頭の中がこんがらがっているであろうあかねに、背後で待機していたイクティダールが説明をした。
が、説明したところで、そんなこと理解できるものではない。

「何ひとつ不自由ない生活を約束してやる。欲しいものなら、宝石も別荘もドレスも、何でも用意してやる。」
「ちょ、ちょっと待って下さい!何でそこで、私がそんなことを言われなきゃいけないんですか!」
異国のプリンスが、一般の娘に一目惚れしてプロポーズ…なんて、そんなものは恋愛小説の世界だ。
それに、彼の様子や口ぶりを見ても、ロマンチックな雰囲気が全くないのも気に掛かる。

「おまえは私の容態に、いち早く対処することが出来た。機転の早さは見事だものだと、イクティダールも言っていた。妻になる者の条件として相応しい。」
そう、これだ。無機質な口調。
立場を思えば上から目線なのは仕方がないけれど、全く心が感じられない言葉だけを紡ぐ声。
こんな声でプロポーズされたって、その気になんかなれなっこない。

「妻となる女は、夫の異変に敏感に察知出来る能力が必要だ。おまえならそれに気付き、適切な対処をすることが出来る。夫が常に健康でなくては、家系を安定に保てぬ。おまえが妻になれば私は安心だ。」
「勘違いしないで下さい!あれは、看護師として当然のことをしただけです!別に、個人的なことでは…っ」
「言っただろうが。だからおまえは私の妻となり、その力を私個人のために働かせろと言っているのだ。」
…彼には、全然話が通じない。
日本語を綺麗に話しているのに、通じているようで通じていない。
こちらの都合なんかおかまい無しで、自分の意志だけを突きつけてくる。

看護師として、当たり前のことをしただけ。
なのに、その結果が妻にならなきゃいけないのなら、これまで何百人もの患者の妻にならなきゃいけないじゃないか。

  
*****

Megumi,Ka

suga