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俺の天使に手を出すな
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| 第12話 (4) |
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コンコン、とノックがしてドアが開くと、受付の男性がファイルを数冊持って顔を出した。
「イクティダール様、発注しておりましたベッドリネンですが、すべてアイリッシュリネンで納品可能と連絡が入りました。」
「ああ、了解した。それから…自国に頼んでいたものは?」
「そちらも話が付きました。来週の中ほどには、予備の分も含め、一式まとめて届くと思われます。」
男性から手渡されたファイルには、オーダーの一覧か記入されているらしい。
ちらりと見えた数字の桁は、彼らの国の通貨で書かれているので、ぱっと見では日本円に換算は難しかったが、やけに桁数が多かったので…おそらく天文学的な数字なんだろう。
「一年も住むとなると、家具の他にも揃えるものが多いようで、大変ですね」
「ええ。家具などは流通があるので、まだ手配が簡単なのですが…このアロマランプは、そうはいかないもので。」
そう言って彼は、アクラムのベッドの足元にある棚の上を指差す。
色ガラスで作られた、モスクのような形の細長いボトル。
エジプトの香水瓶かなあ、と以前あかねが言っていたが、どうやらアロマランプだったらしい。
病室は公的な場所なので焚けないが、練り香水を入れて時々香りを楽しんでいるのだと言う。
「我が国では、寝室には欠かせないアロマランプなのです。」
イクティダールの手で、友雅たちはその香りをかがせてもらった。
ムスクのような香りではあるが…どこか甘酸っぱい果実のような香りもあり、ピリッとしたスパイスのような香りもある。
あまり嗅いだことのない、馴染みの薄い香りに思えるが、何故か惹き付けられる良い芳香。
「何か…珍しい匂いっすねぇ」
「そうだね。不思議に濃厚な香りのように思えますが、日本では手に入らない香料なのかな。」
友雅が言うと、それに答えたのはイクティダールではなかった。
「初代の王から続く、秘伝の調合だ。自国でも、王族しか使えぬ。」
珍しいこともあるものだ。
まさか、彼が自らまともな会話を投げかけてくるとは…一体どんな心境の変化だ?
「それはすごい。そこまで貴重なものとなると、医学では想像出来ない効能がありそうだ」
香りを使った療法と言えば、日本ではアロマテラピーが浸透しているが、まだまだ未知数で完全なものとは言い難い。
しかし、伝統的な民間医療というものは、結果があったからこそ伝え続けられているもの。
科学では解明出来ないとしても、何かしら特別な効能があることは確かなのでは?と、医師としては寛大に捕らえている友雅である。
この、不思議に惹かれる香りもまた、王族の門外不出品として謂れがあるのかも。
「フン、物欲しそうだな」
「………?」
何となく嫌な予感がして、友雅は顔を上げる。
こちらを見ているアクラムの表情は、うっすらと笑みを讃えているが、穏やかさとはかけ離れた印象。
「まあ、一年過ぎても、未だに婚約のまま結婚も出来ないとなれば、こういうものを使って実力行使でもしたい、というところか?」
「……また何か、私と彼女のことで、言いたい事があるようで。気に掛かることがあるなら、どうぞ?」
友雅を見て、にやりと笑う整った顔。
ここのところ大人しいと思っていたが、やはりそれは一瞬に過ぎなかったか。
……ちょ、ま、また何か一悶着かよっ!?
森村の顔色が蒼白し、隣にいる源もひやりとした汗が額を伝う。
「このランプにあるオイルの調合には、媚薬成分が入っている。寝室に欠かせないという意味が、分かったか?」
アクラムはランプを手に取り、もう一度友雅たちに中身を開いてみせた。
ああ、なるほど。そういうことか。
つまり、男女の気持ちを盛り上げるためのアロマランプだから、寝室に置く意味があるのだと。
---------------待て。
ということは、さっきの言葉を重ねて考えると…あかねを手に入れるために、このランプを自分が欲しがっていると、そう言いたいのか。
「はっきり言わせてもらうけれども…未だに婚約中のままなのは、お互いに理由があってのことだよ」
「フン。とは言っても、元宮の心情は想像でしか読み取れまい。表面は仲睦まじそうにしていても、本心は分からんぞ」
だったら、自分はあかねの気持ちが分かるというのか?
そっちこそ、まだ会って間もないというのに。
出来るだけ友雅は、冷静に務めようとした。
だが、心底は既に沸騰しかけた湯のように、ふつふつと煮えたぎって来ている。
明るいインテリアの病室に、どんよりとした空気と激しい稲妻が響く。
(や、やばいんじゃないっすか!?この二人っ!)
(と、取り敢えず落ち着け、森村。)
小声で会話を交わす源と森村は、びくびくしながら友雅とアクラムの様子を伺う。
「案外元宮も、結婚すれば思うようにはいかなくなるが、婚約で留めておけば、いざというときにクーリングオフ出来ると思っていたり…してな」
…うわ、言いやがった!完全に先生を嗾けてやがるっ!
んなこと言ったら、ますます先生の頭に血が上っちまうじゃんよぉーっ!!
落ち着かない森村の横から、イクティダールが友雅たちの間に割って入る。
「アクラム様、先生にそのお言葉は失礼でございます。先生と元宮さんは、それはそれは心から愛し合っておられます。そのようなことは決して……」
「ありえないね」
イクティダールは、後ろを振り返る。
友雅は両腕を組んで、強い光を放つ瞳でアクラムを見下ろしていた。
「所詮、あなたは私たちにとっては、部外者だ。初対面からひと月も経たないあなたに、私たちのことを判断する力は皆無だよ。」
きっぱりと、芯の通った声。穏やかそうに聞こえるが、どこか威圧感を持つ口調。
それでもささやかに、表情は笑顔を保っている。
「確かに婚約してから一年も過ぎているが、まだ挙式も上げていないよ。でも、私は長い間あかねのことを見ていたし、彼女だって私を見ていた。お互いに気持ちを疑う要素なんて、どこにもないね」
信じているからこそ、共に人生を歩んで行くことを決めた。
それは友雅だけの意思ではなく、あかねの同意を得て、二人で決めたことだ。
赤の他人に、否定などさせやしない。
「私は、まだ諦めたわけではないぞ」
「ア、アクラム様!」
主の発言に、イクティダールが踏み込んだ。
が、アクラムは彼など見向きもせず、目の前に立ちはだかる友雅を捕らえる。
「元宮が独身である限りは、妻にすることが出来るのだからな」
平然と答える彼の言葉は、いつものように揺るぎない。
(どーして引き下がらないんだよ、こいつはーっ!!!)
困惑してじたばたする森村を、源は必死で落ち着かせようとする…が、彼も他人を宥める余裕は殆ど無い。
「奥様と生まれてくるお子様のことを、第一に考えている方だと思っておりましたが…考えを改めさせて頂きますよ」
やっぱりこの男は、そんな見上げた人間じゃない。所詮、他人の意見も聞き入れられない、価値観の狭い男だ。
「ふん、元宮は看護師だからな。夫となる私の世話だけではなく、シリンの体や生まれた子供のことも安心して任せられる。第2夫人に申し分ない。」
「それなら、看護師を雇えば良い。」
「看護師にも向き不向きがある。元宮なら、問題ない。」
はあ……と、大きな溜息がふたつ同時に吐き出される。
ああ、どうしてこう騒動ばかり起きるのか。
犬猿の仲とよく言うが、そんなレベルじゃない。
まさに天敵。顔を合わせて言葉を交わせば、バトル勃発必須。
お互いが血気盛んな若者だったら、間違いなく取っ組み合いになりそうなほど。
源も森村も、がっくりとうなだれて頭を抱える。
だが、ひときわ強い友雅の声が室内に響いたとたん、目が覚めたように意識が鮮明になった。
「あかねは、私の妻だ。挙式などしなくても、既に私の妻になることが決められているんだよ」
堂々と、はっきりと、アクラムを睨むように彼は言葉を吐く。
「君の妻になることも、他の男の妻になることも有り得ない。天使を手に入れたのは、この私だ。」
何度でも言ってやる。自分のこの手だけが、この腕だけが彼女を抱きしめる権利を得ていることを。
彼女を愛することの出来る権利は、この世でただひとり、自分しか持っていないことを。
「もう遠慮はしないよ。医師と患者の関係は、ここではナシだ。男として、君にはっきり言わせてもらうよ。」
友雅は身を乗り出した。
そしてベッドに手を付き、アクラムの顔を至近距離でじっと睨む。
「これ以上、私の天使に関わるな。もし何かあったら、その時は………」
友雅はくるっと振り返り、イクティダールの方を見た。
ぎくっとして、思わず源たちも背筋が伸びる。
「王族だろうが何だろうが、黙ってはいないよ。執事の君でも止められないから、覚悟しておいてくれるかい?」
にっこりと微笑む、その表情が逆に恐ろしい。
(マ、マジっすよ!橘先生、ついにキレちゃいましたよぉー!!)
震えながら源にしがみつく森村など気にも止めず、もう一度友雅はアクラムの方に顔を向けた。
「君がその考えを止めない限り、何回でも繰り返し言ってやるからね。耳から離れないくらい刻み込んでやるから、覚えておくと良いよ」
「…あ、せっ、先生ーっ!?」
その言葉が、アクラムに対しての最後の一言だった。
彼は何事もなかったように背を向け、病室を出ていく。
慌ててそのあとを、森村たちが追い掛けた。
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