俺の天使に手を出すな

 第12話 (3)
それから数日後。
最近にしては珍しいくらい、穏やかな日々が流れていた。
相変わらず、現在もアクラムの治療には携わっているが、苛立つようなことがあまりない。
すべてそれは、気味が悪いほど彼が大人しいからである。
まあ、大人しいならそれ以上の問題はない。
おかげで今日も穏便に一日が過ぎて-------------とは、今日ばかりは行かなかった。
そう、今日は特別。あかねが看護担当の日なのである。

「これまでの経過は、全く問題ありませんので…月曜から予定通りリハビリを始めても良いでしょう。」
友雅の診断に、患者よりもイクティダールの方がホッと胸を撫で下ろした。
治療を受けているアクラム本人は、いつもと変わらぬ無表情・無関心。
しかし、どんなことがあっても油断は禁物。
まるで壁を作るかのように、友雅はあかねを背後に隠しながら診察を続ける。
"ひと目たりとも、彼女を見つめさせてなどやるものか。"
そんな友雅の意識が周囲にまで伝わって来て、妙な緊張感のまま診察が終わった。


病室を出ると、イクティダールが友雅とあかねを呼び止めた。
他の看護師たちを戻らせて、勧められた応接用のソファに腰を下ろし、彼と向かい合う。
いつの頃からか、彼とは穏やかな会話が楽しめるようになっていて、主のいる場所では空気が張りつめるが、一歩外に出れば他愛もない雑談に花を咲かせる。
「院長に聞きましたが、お屋敷の工事の方は、随分早いスピードで進んでいらっしゃるようですね」
「はい。殆どの部分は維持したままですから、寝室と水廻りなどに手を加えたのみですので、近々作業は終えられるかと。」
やはり本当の話だったんだな…と、会話を聞いてあかねは思った。
10億くらいの屋敷を30億を出して買うなんて、どんな頭の中をしてるんだろう。
いくら考えても、全然価値観が追いつかないけれど、妻のためなら金に糸目をつけない、と想いに嫌悪感は感じない。

「あの、奥様の具合はどうですか?」
「ええ…何事も無く、今はお身体も落ち着いております。」
今日は安倍のところへ検診に行っているが、普段はアクラムの病室の隣に部屋を置き、息子のセフルと共に過ごしている。
「アクラム様がお側におられる事が、お気持ちを和らげたのではないでしょうか」
「そうですね。いつでも顔を見られますからね。きっとそういうのは、胎教にも良いと思いますよ」
あかねの言葉に、イクティダールはまるで自分の事のように優しく微笑んだ。

「イクティダール、オーダー内容が決まった。すぐに手配を始めろ」
病室から、主の声がイクティダールを呼ぶ。
慌てて彼はソファから立ち上がり、主のいる部屋に向かう。
「オーダーって何でしょう?また何か、とんでもないものを買って、ここに並べる気ですかね?」
「というより、むしろ屋敷で使うものでも頼むつもりなんじゃないかな」
しばらくするとイクティダールが、分厚いカタログを数冊抱えて戻ってきた。
「お屋敷で使用する家具を発注予定だったのですが、ようやく全て決めて下さったようで…」
ぱらりと彼は、友雅たちの目の前でカタログを開いてみせる。
そこに載っていたものは………何というか。

「やはりシリン様のお気持ちが安らぐためにも、自国で使用しているベッドと同一のものが良いとのことで。」
「……はあ…」
「お部屋のインテリアも、出来る限りあちらの寝室の雰囲気に近付け、家具を新調するようにと」
「はあ、そうです…ねえ…」
イクティダールは、至って普通の表情で話を続けた。
だが、カタログの中に映っている、まるで英国の王宮にも引けを取らないような誂えのベッドを見た友雅たちは、あの日本家屋とこの家具が融合するイメージを全く描けなかった。


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「しかし、あんなベッドで安眠出来るのかな?堅苦しくて、寝心地悪そうに見えたけどねえ」
「ホント!びっくりしましたよ〜。でも、自宅で使ってるものを…って言ってたから、普段使いなんですよね?信じらんない…」
どこかの国のお城か、果ては高級ホテルのスイートルームのような、豪華なベッドで寝起きって…。
一体彼らの日常って、どんなものなんだ。

「やっぱり眠るところは、シンプルな方が良いですよね。落ち着いてぐっすり眠れなくちゃ困りますもん」
「うーん…?でも私は、あかねと一緒で落ち着いて眠れたことなんて、あまりないけどね?夕べだって……っと、ストップ!」
ベリージュースのボトルを振り上げる彼女の手を、笑いながら友雅は阻止した。


日差しが降り注ぎ、鮮やかな緑が庭園を包むように生い茂っている。
時々小鳥がやって来ては、歌うように囀りを響かせる。
今日のランチは、二人とも同じメニュー。あかねの手作りではないものは、自販機で買った飲み物だけ。
「ねえ友雅さん、明日の日曜日、付き合ってもらいたいところがあるんですけど」
「休みは、ドレス探しだろう?他に用事があるのかい?」
「あのですね、梅酒を探しに行きたいんです。ほら、こないだのメールに、書いてあったでしょ?」
そういえば彼女の両親からのメールに、梅酒を送ってくれとか書いてあった。
今や日本の飲食物は、世界各国で手に入りやすくなっている。
けれども、やはり微妙な感覚や好みになると、現地在住の者から手配してもらうのが確実性が高い。
「ついでに他にも、日本食とか送ってあげようかなーって」
「そういうことなら、喜んで付き合うよ。一応私も、いずれは義理の息子になるのだからね。」

両親が他界して、今や天涯孤独になってしまった身の上だけれど、彼女と結ばれることで、また新しい家族の絆が生まれる。
そしていつかは、新しい自分たちだけの家族が…誕生するのだろう。
出会いが数々の縁を作ってゆく。
その不思議さを、最近実感することが多い。

「さて、そろそろ行こうか。」
昼休み終了10分前。
午後の予定は、友雅は源とアクラムのリハビリについて、最終打ち合わせ。
あかねは病室を変わる患者の手伝いや、検温・測脈などいろいろ。
ただし、もしもアクラムから連絡が入ったときは…彼の方を優先せねばならない。
「呼ばれても、一人で行ってはダメだよ?」
「わかってますよ。もう、耳にタコが出来るくらい聞きましたー」
呆れたように答えて、あかねは空のボトルをダストボックスに投げ込んだ。

「今夜のおかず、何にしようかなー。友雅さん、何か食べたいものあります?」
人気の少ない廊下は、医師と看護師のビジネスライクな関係に戻らなくても良い。
行き交う人が増える踊り場に辿り着くまで、お互いは同じ目線で言葉を交わす。
「あかね、たまには外で夕食も良いんじゃないかな?」
「え、ホントですか?でも…土曜の夜だし、どこもいっぱいじゃないですか?」
「今から予約入れておけば、平気だよ。前によく行っていた和食の店とかなら、顔も利くし」
まだ、あけっぴろげに恋を楽しめなかった頃。
個室が使えるからという理由で、度々食事に出掛けた店だ。

「じゃあ、今日は一緒に帰ろう。一時間くらい、待っていてくれるかい?」
「うん、わかりました。色々雑用片付けながら待ってますね」
踊り場に辿り着いた。残念だが、ここからは上司と部下の関係。行き先も別だ。
スタッフたちが次々と通り過ぎてゆき、吹き抜けのエントランスを見下ろすと、午後からの診療を待つ患者の姿がある。
二人は事務的に挨拶を交わし、それぞれの仕事場へと歩き出した。




本日、二度目の来訪となるEXルーム。
正式なリハビリスケジュールが決定したため、担当医の源と森村を連れて、再び友雅は病室にやって来た。
「経過が良好と判断出来ましたら、あちらのお屋敷に移られて、通院する形でも良いかと思います。」
「そうですか。お屋敷の工事もほぼ完成して参りましたし、家具も揃いましたので…早いうちにそのようになれれば…」
「家具?今朝発注したものですか?」
あんなとんでもない家具が、半日足らずで納品だなんてあり得るのだろうか。
しかし、計り知れない財力と権力を持つ彼らには、不可能なことなど微量なものしかないのだろう。
「ええ。メーカーの社長に直接連絡致しましたら、日本国内に数個在庫があるとのことでしたので、明日にでも殆どが納品されるとのことで。」
背後で、源たちの溜息が聞こえる。
これくらいのことは当然か、と慣れては来たが、やはり友雅にもこればかりは馴染めない感覚である。



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Megumi,Ka

suga