俺の天使に手を出すな

 第12話 (2)
都心の一等地にして、あれだけ広大な土地を見つけるのは苦労した。
もちろん、土地の価格だけでも億を下らないし、そこに建てた完璧な和風建築を合わせれば、総計十億くらいの予算は掛かっただろう。
だが、その分ひとつひとつに、徹底的にこだわったもの。
貸し出すのは構わないが、それをいじられるのは、正直良い気分ではない。
「アクラム様、やはり建物に手を加えるのは、持ち主の方に限られた権利だと私も考えます。どうぞ、お考えを改めて頂けませんでしょうか」
イクティダールは院長の気持ちも汲んで、何とかアクラムが妥協してくれるよう、説得を続けた。
いくら給与と待遇が良くても、この主の執事役なんてごめんだな…と、友雅は思ったが、それはおそらくここにいる誰もが、同じように思っていたに違いない。
そう、何を言っても覆せない彼の気質。

「それならば、その物件を土地も含めて、倍の値段で買い取ってやる。」
「……はい?」
今、とんでもない言葉を聞いた気がするのだが…空耳だったのだろうか。
これまでも突拍子のない発言ばかりだったが、今回のはちょっと…桁外れのような気がしたが。
「いくら掛かった?20億だろうが30億だろうが、たいしたことではない。好きな金額を言え。」
……聞き間違いじゃなかった!
あの屋敷を買い取ると言うのか!しかも…目眩がするような金額で。
一体彼らの財力の底は、どこまで掘り起こせば見えて来るんだろうか。
院長でさえも、この土地と屋敷を造るための資金繰りを、長期間費やしてやっとこぎつけたと聞くのに、それをあっさり…。
まるでそこらのスーパーで、日用品を買うような感じで、そんなものポケットマネーに過ぎない、という口振り。


「しょ、承知致しましたあ!よ、喜んであちらをお譲り致します!」
「ええええ!?」
一斉に全員の目が、院長に集中した。さすがに友雅も、だ。
「ええ、結構です!どうぞお譲り致しますのでっ、お好きなように作り替えて、心地良いお住まいをお造り下さいませ!!」
おいおい…本当に良いのか?そんなあっさり引き受けて。
あんなに苦労した屋敷への愛着が、簡単に崩れさってしまって良いのだろうか?

「ふん、ならば決まりだ。イクティダール、すぐに建築担当の者に話をつけろ」
「それでは、私もご一緒して、権利譲渡などの手配をすぐに致しましょう!」
さっきまで冷や汗をかいていた院長は、既にもう上機嫌。
あっけに取られているギャラリーを残し、イクティダールを連れてうきうきしながら病室を出て行った。




「-------と、いうことがあったんだよ」
「あのー、ちょっと聞きたいんですけど…20億って、どういう金額なんですかぁ?あまりに桁が違ってて、全然現実感がないんですけどー…」
「まったくだ。私もさっぱりよく分からないよ」
帰宅した友雅から、今日の大騒動を聞いたあかねだが、スケールの大きすぎる内容には殆ど着いて行けない。
毎日1000円とか10000円を、行ったり来たりしている家計の自分たちには、億だなんて…縁遠い世界というか、SF的な金額の数値だ。

「それで、院長はすんなりお屋敷を譲っちゃったんですか…」
「何せ支払うっていう金額が金額だし。別の土地を買って、そこに新しく家を建てても、十分お釣りが来るから構わないって。」
ははぁ…なるほど。そういうことか。
「何だか、もう全然よく分かんない話ですー」
「ま、私たちには無関係の話だね。あの患者がこれからも、病院付近に居座るという嫌な事実以外は。」
横たわるあかねを抱き寄せてキスをすると、彼女からくすくす笑う声が聞こえた。


「あ、そうだ!友雅さんに見せたいものがあるんです」
ベッドから降りたあかねは、彼のシャツを一枚羽織って寝室を出て行く。
そしてすぐに戻った彼女の手には、ノートパソコンが抱えられていた。
「今日届いたメール、一緒に見てくれます?」
「私が見ても良いのかい?」
「うん。ほら…最初に私の名前と並んで、"橘さんへ"って書いてあるでしょ?」
もう一度ベッドに上がって、彼に見えるようにパソコンを開く。
メールソフトに表示されている差出人の名は、友雅もよく知っている人だった。

「御両親から…か。まだ帰国の予定はないのかい?」
「まだみたいですね。ほら来年の3月までは余裕がなさそう、って書いてあるし」
あかねの父は銀行員で、一年前から夫婦でバンクーバー支店に赴任中である。
一人娘を日本に残すのは不安だったようだが、友雅と一緒に暮らすと決めたところ、安心して旅立って行った。
「ほんの数日でも、帰国出来る機会があれば良いんだけれど…難しいかな」
彼女の両親が日本にいる時に挙式を…と、ずっと考えているのだが、こういう状況なのでなかなか進まない。

「そうそう、それで思い出したー。ここ、読んでみてくれますか?」
あかねがカーソルを合わせた一文は、丁度メールの中間あたりの部分。

"そういえば、ウェディングドレスは、気に入ったのが見付かりましたか?
決まったのなら、是非写真を送ってください。お父さんも楽しみにしています。
もし、日本に気に入ったものがなかったら、こちらからカタログを送ります。
または、素敵なドレスのサイトを見つけたので、参考にしてみて下さい。"

「そうか…。そろそろ、ドレスくらいは決めた方がいいかな」
二人が同時に休みを取れる日曜日は、ここのところずっとドレス探しを兼ねたデートが続いている。
ブライダルフェアはもちろん、ドレス専門店やホテルに併設されているウェディングショップなど。
これまで何十着と身に付けてみたけれど、まだコレというものは決まっていない。
「だって一生に一度のドレスだし、納得できるものが良いんですもん」
良いな、と思ったものが見つかっても、また別のものに目移りしてしまう。
だけど、例えあかねが気に入ったドレスを見つけても、そういうものに限って友雅が駄目押しすることも多い。

「こないだだって、私が良いなーって思ったAラインのドレス、ダメ!って言って断っちゃって!」
「あれは、胸元が広すぎ。男の招待客だって多いのに、そんなところであんな格好はダメだよ。」
確かに襟ぐりは広めだったけど、すっきりしていてスタイルも良く見えるかなあ、と思っていたのに…彼の意見は却下。
「そのあとに見たミディドレスだって、可愛かったのにー」
「あんな膝上まで見えるようなドレスも、許可出来ないね」
ふんわりたっぷりのシルクタフタで、妖精みたいに可愛くて。
お店の人も似合うって言ってくれたから、これなら…と思ったら、やっぱりお許しが出なかった。
………と、延々こんな調子。
花嫁本人のあかねより、新郎の友雅の方が注文は五月蝿い。

「もう!いい加減に、そのやきもち焼きなところを直して下さいっ!」
唇を尖らせて、ぺちっと軽く額を叩くあかねの手首を、友雅は笑いながら掴んだ。
「いっそあかねのご両親だけで、招待客なしで挙式しちゃおうか?」
それならどんなドレスでもOK。
他の男の目がなければ、ちょっとセクシーなデザインでも大歓迎。
「やーですよー!みんなにめいっぱい、見せびらかすつもりなんですからねっ!」
思いっきり舌を出して、ごろりとあかねは友雅の胸の中に寝ころんだ。

なんやかんやと忙しい日々に流されて、婚約したのは良いけれども、結婚準備はまだ殆ど進んでいない。
ドレスはもちろん、挙式のスタイルや日程も白紙。入籍だって…いつになるか未定のまま。
おかげで、自分たちよりもあとに婚約発表したのに、さっさとまとまってしまった同僚が…なんと3組。
「もう恨めしくって、仕方なかったー!」
何で人の幸せな瞬間を、先に見せつけられなくちゃいけないのか、と。
「だから、絶対に素敵なドレスを着て、みんなに思いっきり見せつけてやりたいんだもの!」
「そういわれると…私も見せつけたい気持ちになってくるね」
天使を独り占め出来る、世界一の幸せを私は手に入れたんだ、と。

「誰よりも幸せになっちゃうよ!って…みんなに自慢するの」
「他人には邪魔なんか、させないよ、ってね。例えどこかの皇子でも…邪魔は出来ないよ、って?」
「まーた、あの患者さんのことになると、そんなことばっかり言うんだから」
笑い声と身体とが、絡みあいながら倒れ込む。
抱きしめる肌のぬくもりを確かめて、今は二人だけの幸せに浸りながら、夜は更けてゆく。



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Megumi,Ka

suga