俺の天使に手を出すな

 第12話 (1)
大きな窓から、さんさんと光が差し込んでいる。
白木のパイン材を全面に取り入れた、ナチュラルな色合いのインテリアに、鮮やかな緑の観葉植物。
病室の重苦しい雰囲気は、この部屋からは一切感じられない。

「経過は順調です。思った以上に、回復も早いようですね。」
アクラムの手術痕を確認した友雅は、自分の治療方法に満足していた。
「さすが橘先生ですね。縫合もきめ細やかで完璧です。」
背後で縫合部分を見ていた源が、感心しながらつぶやく。
森村も先日の現場見学で、友雅の手術を目の前で見たのだが、器具の使い方も治療方法も的確・正確で、何しろ縫合がとてつもなく早い。
だからと言って弛みや手抜きはなく、これまで見てきた縫合の中では、一番美しい出来だった。

「源先生、リハビリはどうしますか?」
「ええと…そうですね。取り敢えず抜糸が済んでから、2日ほど皮膚の経過を見て、第一段階を始めても良いかと。」
何もかも、スケジュール通りだ。これなら2ヶ月後には、彼は退院できるはず。
だが、だからと言って彼が日本からいなくなるわけじゃない。
それを思うと、友雅の溜息は止むことはない。


「例の話は、どうなった?」
イクティダールにリハビリの予定を説明していると、背後から無機質な声が聞こえてきた。
友雅が振り返ると、上質な宝石にも似た色合いの瞳が、彼の方を見つめている。
「例の話とは、どのようなことです?」
「日本に滞在する間の、住居のことだ。見付かったのか?」
「ああ…。生憎と貴方のおっしゃった御希望に値する物件は、日本人でも探すのはなかなか無理難題でして。今、院長や教授などが情報をかき集めていますが、しばらく時間が掛かりますよ。」
どうも友雅のアクラムへの口調は、若干あちこちにトゲを感じる。
そのたびに、周りがびくびくしているのに、果たして気付いているんだろうか…と森村は嫌な汗を拭った。
だが、相手も相手で、そのトゲに痛みも何も感じない。
「早急に探せ。シリンの身体に関わる。」
「無理難題なので、時間が掛かると、今、申し上げましたけれど?」
この二人が会話すると、一瞬で空気が凍り付く。
気を利かせてイクティダールが、会話のバトンタッチを申し出た。


「…そうですか。ご無理を申しましたのに、努力して頂きましてありがとうございます。」
友雅から話を聞いたイクティダールは、院長たちの手配に対して、心から感謝と詫びを告げた。
やはり彼は、話の分かる男だ。
主なんかよりも、ずっと人間が出来ている、と友雅は思う。
「出来る限り情報を集めておりますが、やはりこの辺りは難しいんですよ。ですが、最悪の場合は…院長が建てているお嬢さん夫婦のお住まいを、一年ほどお貸ししても良いと。」
「そんなご迷惑をおかけするのは…」
しかし、その屋敷の場所は、アクラムが言っている条件に殆ど当てはまる。
病院からの距離や、周囲の交通の便など。これだけ揃っていれば…正直魅力ではあるのだが。

「やはり、せっかくお嬢様のためのお屋敷を、お嬢様方よりも先に私どもが利用するのは………」
申し訳なさそうに、イクティダールはうつむいて言う。
その時。
「院長に、その屋敷を賃貸させろ、と言っておけ」
アクラムの言葉が、それまで控えめだったイクティダールの努力を、一瞬で吹き飛ばしてしまった。

「ですが、アクラム様…。このお屋敷は元々、院長先生がお嬢様のためにご用意したもので…」
「貸しても良い、と院長が言ったのだろう。なら、借りればいい。」
相変わらず他人のことも、自分の執事の立場も全く無視した男だ…。呆れるくらいの唯我独尊。
彼に従えているイクティダールが、つくづく気の毒に思える。

「院長を呼べ。直接話を付ける。」
「………だってさ。森村くん、悪いけど院長を呼んできてくれるかい?」
突然白羽の矢を立てられた森村は、ぎくっとして飛び上がった。
何でまた、そーいう役目を放り投げられるんだ、自分は!
しかも、院長を呼んでこいっていうことは…院長室に行けっていうことだろう?
研修医という、まだまだ若輩者の肩書きしかない自分が、院長室に行くなんて…!しかも院長を連れて来るなんて…!
……何でそんなこと、俺にさせんだよぉぉ!
「森村くん、急がないと……患者さんが五月蝿いよ?」
「は、はいっ…ではっ、ちょっと行って参りますっ!」
友雅だけでも緊張が走るというのに、あの患者にまで睨まれたら…。
急いで森村は病室を飛び出すと、行ったこともない院長室へと急いだ。



それから十分ほど過ぎた頃。
院長に続いて整外の主任教授までもが、揃ってアクラムの病室にやって来ていた。
「は、はあ…それは構わないのですが…。実はこの屋敷がですね、このような日本家屋でございまして…」
持参していた屋敷の写真を、院長はイクティダールに手渡した。
「ですので、果たしてマジャウリー様の生活習慣に、合うかどうか…いささか不安なのですがっ…」
腰を引きながら緊張した面持ちで、院長たちは彼らの様子を伺っている。
何せVIP扱いの彼らのご機嫌は、この病院の評判にも関わる。
国際的にも名の知れた医師が多いだけに、海外からの患者へのアフターケアは気を遣うのだ。

「構わん。この屋敷を借りる。」
えっ!と驚きの声を上げたのは、院長と教授、そして森村。
しかし友雅や源も、声は出さなかったが予想外のことに驚いた。
「あの、ですがこんな日本家屋では……」
「我が国の王族は、代々親日家でございます。自国に滞在されている日本人の方からアドバイスを受け、敷地内にこのような和風建築の離れもございます。」
さらに、彼ら王族の女性は日本文化を嗜む者が多く、茶道・華道・日本舞踊・日本画など…の専門家から、直々に教えを貰っているという。
「シリンは茶道を嗜んでいる。我が邸宅にも、同じような茶室を設けている。かえって好都合だ。」
まったく予想外の、ピンポイント。
これでは院長も、あきらめて貸し出しするしかあるまい。

「だが、注文がある。寝室は西洋式にしろ。」
…何だって?すんなり事が進むかと思ったら、ここでまた問題が発生だ。
「日本式の布団には慣れていない。私とシリンの寝室、セフルの寝室はフローリングに改めろ。」
イクティダールは妻が日本人だし、日本文化にも慣れているから布団でも構わないのだそうだ。
とは言っても、元々院長が建てていた屋敷を、途中で自分の好みに変更しろとは…しかも借りる立場で…。
どこまでも、自分の価値観でしか考えていない男だな。
院長も気の毒に…とちらりと顔を見ると、案の定、呆然として固まっている。

「すぐに手配をしろ。早めに造り替えるように。」
「ちょ、ちょっとお待ち下さい!それはその…っ」
一応反論しようとした院長だったが、冷たい瞳の輝きに、ふたたび硬直する。
「アクラム様…それはさすがに失礼な御希望かと。あくまでもお屋敷は、院長様のものでございます。他人が手を加えることは…」
説得しようと口を出したイクティダールに、院長はすがるような思いだった。
しかし、あろうことかアクラムは、その後でとんでもない言葉を吐いた。

「ならば、その屋敷を買い取る。」

---------------はあ!?

つくづく彼の発言には、度肝を抜かされる。



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Megumi,Ka

suga