俺の天使に手を出すな

 第11話 (4)
院長室から戻って来た友雅は、アクラムの看護スケジュールの打ち合わせをしようと、本日担当のスタッフを呼び寄せた。
看護師は男女各一名ずつ。リハビリの開始時期を確認するために、リハビリ科から源も今回参加することになった。
そして、もう一人。
「…森村くんは、まだ来ていないのかな?」
「いや、そんなことはありませんよ。今朝、看護師長から怒鳴られてたのを見ましたから。」
今朝もまた、小学生の男子生徒のように廊下を走り抜けて、師長に怒られていたのだろう。
見ていてこっちが爽快になるほど、パワフルな青年だ。

「確か、ナースステーションの方に向かってましたよ」
今度は女性看護師が、森村の目撃情報を話した。
「私がこちらに向かうところだったので、すれ違いざまに"打ち合わせに遅れないように"って言ってはおいたんですけど」
「何か急用でもあったのかな?」
病棟に入院している患者の中で、容態が急変した者が出たというのなら、先に友雅へ連絡が来るはずだし。
それがないということは、個人的な用事か?
…あかねはもう、帰宅してるはずだけど。
時計は既に午前9時半。
夜勤終了は8時半だし、彼女が院内に残っているわけがない。

「ちょっと待っていてくれるかい?私が様子を見て来よう。」
整外の医師である立場上、もしもの時のため顔を出した方が良いだろう。
友雅は、自分の代わりにスケジュール表を源に手渡し、整外病棟へと向かった。



情報通り、森村の姿はナースステーションの中にあった。
しかし、彼を看護師たち数人が取り囲んで、何やらひそひそ話。
友雅がここにいることさえ、誰一人として気付かない。
「だ、だってカフェの店員らが、昨日も今朝も聞いたって言ってんだぜっ!?」
「だけど、別に元宮さん…具合悪そうなところもなかったよ?」
ひとつの名前に反応した友雅は、そっと彼らに近付いた。

「気のせいかな?今、天使の話をしていたように聞こえたのだけど?」
「う、うわぉっ!せっ、先生っ!!」
突然の登場にパニックを起こした森村が、椅子から転がり落ちた。
くすくす笑いながら、友雅は彼に手を差し伸べて引っぱり起こしてやる。
「今日は患者の看護担当だろう。打ち合わせは、もうとっくに始まってるよ?」
「げ!す、す、すいませんでしたっ!!今すぐ行きますっ!!」
土下座並みにペコペコと森村は頭を下げ、即座にナースステーションを飛び出そうとした。

「待ちなさい、森村くん。打ち合わせの前に、大切な話をまだ聞いていないよ」
森村を呼び止めた時、彼の背中がぎくりと震えたような。
それらを見ていた看護師たちもまた、妙にドキドキした緊張感に包まれている。
「さっき、彼女の名前を口にしていたよね?一体、どんな話題をコソコソ話していたんだい?」
「え、えっと…それはっ…」
口をごにょごにょ濁している森村と、だんまりのギャラリーたちに痺れを切らした友雅は、にっこりと微笑んで全員を見渡す。
「私が話を聞く権利は、あるはずだよねえ?」
一種の威圧感が、彼らに強力なプレッシャーを与える。

「あっ、あの…元宮さんは、妊娠してるんですかっ!?」
………突然、大声で疑問を投げかけたのは、あかねの同期生の看護師。
蒼白する森村と、周囲一同。
問い掛けられた友雅はといえば……さすがに唖然として立ち尽くしている。
まさか、そんなことを尋ねられるとは思わなかったんだろう。

「ちょっと待ちなさい…。あのね、どうしてそんな話題が……」
「もっ、森村くんがっ……!」
全員の視線が、一気に森村に集中する。
や、やばい!オレが噂ばらしてるって思われるじゃん!
(↑実際、そうなのだが)
「森村くんがっ、も、元宮さんが妊娠してるって話を聞いたって…!」
「誰に?」
森村に尋ねてみたが、彼は混乱しているようで返事もない。
「森村くんが…元宮さんと先生が、安倍先生を交えて妊娠検査の話をしていたって言ったんです!」
…そんなこと、あったか?全然覚えがないんだが。
「森村くん。打ち合わせに戻る前に、この話の一部始終を、きちんと聞かせてもらわないといけないねぇ…」
友雅に肩を掴まれて、問答無用で森村はその場に引き止められた。


それからしばらくした頃。
「……というわけなんですよ」
噂話の発端から、簡潔に内容を説明してくれたのは、森村ではなく看護師の一人だった。
言い出した森村はカチカチになって、黙ったまま聞いているだけ。
仕方なく彼女が、聞いたことをすべて話してくれたのだが、よくまとめられていて分かりやすかった。
「で、どうなんですか?先生…元宮さんのこと。」
「もしも妊娠してるんだったら、身体も気をつけてあげなきゃいけないし。教えて頂いた方が有り難いんですけど…」
みんな戸惑いながらも、神妙な面持ちで友雅の答えを待っている。

「クッ、ククッ……」
一応すべて話を聞き終わるまでは、と思って我慢してはいたのだが、さすがにここまで来たら限界だった。
声を上げて大笑いし始めた友雅に、誰もが驚いて声を失う。
「…悪かった。いや、まさか…そんな勘違いが生まれてるなんて、思ってもみなかったんでねっ…フフッ」
--------勘違い!?
「あのね、その話は…あの患者の奥方様のことだよ」
「え、ええーっ!?」
看護師全員が動揺する中、発端の森村だけがぽかんとしている。
そうか、彼は昨日講習会で病院にいなかったはず。
だから自分と同じように、患者の妻が妊娠した話を知らなかったのだ。
「とは言っても、まさか…ククッ…あかねが妊娠してると思うなんてね…」
アンタだから、有り得ると思ったんじゃないか。
…と、思っていても口には出せない、気まずい状態の森村である。

「とにかく。それはすべて勘違いだから。一応計画的に考えてるんで、まだその予定はないよ」
「何だー!もう、森村くんてば、早とちりすぎだよー!!!」
「は、ははは…そーですかぁ…」
拍子抜けしたとたん、頭の中がくらっとして、森村はその場にへたり込んだ。


「さっきの騒ぎ、あかねが聞いたら何て言うだろうね」
未だに笑いが止まらない友雅の後ろを、バツが悪そうに天真は着いて行く。
「昼休みにでも、電話してみようかな。きっと驚くと思うよ。」
「か、勘弁して下さいよーっ!俺、あいつにはり倒されちまいますっ!!」
そんな風に勘違いしただけで、多分あかねの逆鱗に触れるのは間違いない。

「でも、そういうことが有り得るように、見えるのかねえ…私たちは」
何を今更言ってるんだ。
まだ婚約した状態で、正式に籍を入れて結婚したわけじゃない。
一緒に暮らしているのに、同じ職場に来てまで惚気るのを見てたら、誰だってそんな想像する。

スタッフルームのドアを開ける前に、一度友雅は立ち止まる。
そして、背後にいる森村の方を振り向くと、満面の笑みを浮かべて一言。
「まあ…出来ない方法を使ってるだけで、何もしてないわけじゃないけどね?」
「…も、もうその話は結構ですーっ!!!」
森村は友雅を押し退け、慌ててドアを開けて部屋に逃げ込んだ。



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Megumi,Ka

suga