俺の天使に手を出すな

 第11話 (1)
室内の照明よりも眩しい光が、窓の外から入り込んで来る時間になったとたんに、病棟は一斉に慌ただしくなる。
整外にいる入院患者の数は、内科には到底及ばない人数ではある。
けれども、起床した患者とのコミュニケーションや、朝食の準備に申し送りのまとめなど…その他もろもろ。
夜勤明けにとっては結構なハードワークが、終了時間まで目白押しだ。
「ねえ元宮さん、今日は直帰しちゃう?どっかで何か食べて行かない?」
「うーん…どうしようかな…。」
夜勤の時は、一応弁当のようなものを持参している。
それを5時〜6時くらいに早めに摂って、忙しい朝に備えるのだが…実際仕事が終わった頃になると、空腹感が少し沸き上がる。
帰宅しても、彼は普通に日勤で出勤済みだから、部屋では誰も待っていない。
病院近辺にある公園沿いには、早朝から営業しているカフェもいくつかある。
天気も良いから、池に面したテラスでモーニングなんて、心身ともに疲れを癒してくれるかもしれない。

「あ…あれっ!?先生っ!?」
片付け中のあかねの背中を、同僚がばんばんと何度も叩く。
振り返って見ると、ステーションの小窓の向こうに友雅の姿があった。
「どうかしたんですか!出勤時間にしては、全然早過ぎじゃないですか。」
「ま、そうなんだけど。でも、一人でぼーっとしてるのも、何だか退屈でね。」
ははーん、と看護師たちの視線があかねに集中する。
いつも一緒にいるから、自分しかいない部屋なんかつまらない、というワケか。
つまりは、彼女がいない部屋なんて無意味。
簡単に言えば……あかねのそばにいたいと、そういう結論。
「……ホンットに、独身女の私たちにとっちゃ、目に毒なお二人ですねっ!」
「え、え!?」
嫌味のように言いながらも、彼女たちの表情は笑顔。
まあ…ちょっと呆れ気味という感じもあるが。

「それじゃ、私はしばらく時間を潰して来るね」
「え!ちょっと先生!まだ始業までは2時間以上ありますよ!?今からどこに行くんですかー?」
その場から立ち去ろうとする友雅を、看護師たちが身を乗り出して呼び止めた。
もちろんあかねも、彼女たちの後ろから顔を覗かせている。
「1Fのカフェが開いているから、ゆっくり朝食でも摂って来るよ。」
友雅は軽く手を振って、階段を下りていった。

「まったくまあ、朝から晴れ晴れした顔しちゃってー…」
彼の後ろ姿を眺め、看護師たちはくすくす笑いながら、あかねの腕を肘で突く。
別に直接言葉を交わしてもいないし、ほんの数分だけ顔を見ただけなのに。
一晩中、暇を持て余していたことさえも、たったそれだけで吹っ飛んだんだろう。
「元宮さん、さっきの話はナシねー」
「え!?何の話っ!?」
ぽん、と背中を叩いたのは、さっき寄り道を誘ってきた同僚。
「後片づけは引き受ける!だから、申し送りまでに帰って来てね?」
にっこりと答える彼女と…ずらりと取り囲む看護師たちも同じ笑顔で…気まずいやら、照れくさいやら。
遠慮のない彼の感情表現に、ちょっと困るなあと表面上は思いつつ。
でも、恥ずかしながら心の奥底では、まんざら悪い気はしない…と本音を隠せなかったりする。



誰もいないエントランスフロアに行くと、高い位置にはめられたステンドグラスを通って、朝日がカラフルな模様を描き出している。
隣接したカフェでは、挽いたばかりのコーヒー豆の匂いが漂う。
時々コーヒーを買いに来る当直医がいて、一言二言の挨拶を交わして出て行く。
店内でのんびりしているのは、友雅を含めて3人ほどだ。

テーブルの上にあるのは、入れたての熱いモカとトースト2枚。
マガジンラックから持って来た新聞を開き、適当に記事を拾い集めては暇を潰す。
「すいません!ヨーグルトドレッシングのフルーツサラダと、スモークサーモンロール下さい!」
元気の良い明るい声が、店内に響いた。
それは友雅が…一番好きな声。
新聞を畳んで顔を上げると、精算を済ませている彼女の後ろ姿が目に入る。
そして、品物を乗せたトレイを受け取ったあかねは、迷わずにこちらにやって来て向かいに座った。

「トーストとコーヒーだけじゃ、栄養が足りないって、いつも言ってるじゃないですかっ。もうっ…」
あかねはトレイごと、ぐっと友雅の方に突き出した。
「一品でも良いから、サラダとか玉子料理とか追加して下さいよっ」
「はいはい、分かりました。普段、天使様に甘えてしまってるから、なかなか一人になると栄養に集中できなくってねえ」
はあ、と困ったように頭を抱えて、あかねがためいきをつく。

すると、近くを通りがかったスタッフが、立ち止まって友雅に声を掛けた。
「そんなこと言って、実は先生…元宮さんにかまってもらいたくって、わざとそんなことしてるんじゃないですか〜?」
「なっ…!何を言い出すんですかっ!」
頬を赤くして取り乱すあかねに、友雅は全く同時もせず。
「ふふっ…そうかもしれないね?」
「友雅さんまでっ…!!そ、そんなこと言ってないで…早く食べて下さいよっ!!」
スタッフと顔を見合わせて、友雅は笑った。
そして、ハニーシロップ入りのカフェオレをひとつ、追加オーダーした。


「で、まだ仕事中なのに、どうしてここに?」
ほんのり柔らかい甘さのカフェオレを、味わっているあかねに友雅が尋ねた。
「みんなが、"行っておいて"って言うものだから…」
---------こっちの仕事は任せて、アナタは先生が今日一日ご機嫌良いように、フォローしてきなさい!
とか言って、半ば追い出されてきたのだ。
「ま、理由はどうでも良いよ。天使様のそばにいるのが、一番心地良いからね。」
頬杖を着いてそんな甘い台詞を、さらっと恥じらいもせず口にする。
そういう彼の笑顔こそ、天使みたいなのに。

「夕べは何か異変はあった?」
「あ…特にありませんでした。手術したばかりの患者さんも、痛みが和らいで来たから熟睡出来たって言ってました。」
「そうか。なら良かった。」
あかねに勧められてサラダを一口食べたが、フルーツのせいなのか、少し甘いな…と感じた。
が、目の前で天使に見張られている手前、食べ残しは厳禁だ。

「あ、でも…異変ってわけじゃないんですけど、あの患者さんの部屋で…」
昨夜イクティダールと話していたことを、あかねは思い出して話そうとした…ら、さっきまで天使みたいな友雅の笑顔が消えて、何やら険しい表情に。
「また何か、ろくでもないことでも?」
「ち、違いますよ!患者さん本人とは…昨日は全然顔を合わせてませんよ!見廻りに出た時、執事のイクティダールさんと話をしただけで…」
あかねが答えると、緊張の糸が少し緩んだように見えた。

まったく…。あの患者さんのことになると、敵対心があからさまなんだもん…友雅さんてば。
勝手にやきもち焼いて、相手に目くじら立てちゃって。
でも、そういうとこも…やっぱり好きなんだけど。
「それで?彼とどんな事を話したんだい?」
はっとして我に返ると、カップの縁を友雅の指先が軽く突いた、
「えーと…友雅さんがこないだ言ってたから、私も聞きたくて恋バナを教えてもらっちゃいました。」
「まるで映画を見ているような、そんな恋の話だっただろう?」
「うん。素敵なお話でした」
情熱的で、ロマンチックな恋の話。
昔読んで憧れた、恋愛小説の登場人物みたいな…そんな恋の話。

「でも、そんな風に浸ってる場合じゃなかったんですよ。実は…あの患者さんが、日本滞在を1年くらい延長するらしくて。」
トーストをかじろうとした友雅の手が、またもぴたりと止まった。
彼は昨日休みだったから、その事は全く知らなかっただろう。
あかねでさえ、夜勤に入る直前になって、初めて聞いて驚いたのだから。
「出来るだけ早期退院出来るように、私は彼の治療には、一切手を抜いていなかったはずだけど?」
「うーん、それが…患者さん本人の理由じゃないんです」
そう言ったあと、あかねは身を乗り出して、友雅に事の経緯をそっと打ち明けた。


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Megumi,Ka

suga