俺の天使に手を出すな

 第1話 (2)
さすがに今回は相手が相手なだけに、正面玄関から一般患者と同じように、入院手続きをさせるわけには行かない。
彼らは事前の連絡通り、裏門から入って従業員専用口を通り抜けて、院内に入る予定になっていた。

友雅たちが下りて行くと、院長や教授群が既にずらりと並んでいて、患者の到着を待ちかまえている
そして通路の端っこの方では、好奇心溢れる看護師たちが数人集まって、話題の人物が姿を現すのを覗き込んでいた。
「お、お越しになったぞ!。み、皆、落ち着いて、粗相のないように気をつけるのだぞ!」
と言っている院長が、一番ハラハラしているような気もするが。

まず、黒いリムジンが一台。
中から出て来たのは、仕立ての良い黒のスーツに身を包んだ長身の男である。
銀髪に髭を蓄えているが、それほど年を取っている感じでもない。
「え?あの人が患者さん?」
「あー?違うだろ。患者は足を骨折してんだぜ。あんなにしゃきっと、きびきび歩けるわけねえじゃん」
そんな会話は、外野の看護師たちの囁きだ。

そして二台目の車から、数人の召し使いの男たちが現れる。
彼らはすぐにトランクケースを開け、中から折りたたみ式車椅子の用意を始めた。
先程の銀髪の男はと言うと、リムジンの向かい側に回って、乱れのない身のこなしで後部ドアをゆっくりと開ける。
「…うわあっ!何っ!?何、あの人!モデル!?」
車から降りて来たのは、腰に届くほどの金髪を持った女性。
ピアス、ルージュ、マニキュアからハイヒールまで…華やかなワインレッドで統一されたカラー。
絹のような白い肌に、宝石のような瞳。すらりと伸びた身体に、女性の特徴を十分なほど活かしたボディライン。
「これはまた、病院には場違いなほど艶やかな女性だな…」
遠目でも分かる華やかな姿に、ふと友雅がそんな言葉をこぼす。
それを聞いて、後ろで少し唇を尖らせるあかねには、気付いていない。

彼女が銀髪の男と何やら話していると、中からもう一人。
今度は、10才ほどの少年が下りて来た。
「わー、美少年!」
金色の髪をおかっぱ状にカットし、いかにも上流階級と言ったフォーマルスタイルを、難なく自然に着こなしている。
召使いが用意した車椅子を彼は受け取り、閉じられているリムジンのドアの前に立つと、それに続いて女性も移動する。
二人が揃った時点で、ようやく銀髪の男がドアを開けた。

「…………うげぇ」
奇妙な声を出したのは、森村だった。
だが、本当に驚いた時というのは、"ぎゃー"とか"きゃー"なんていう、正統な擬音など飛び出して来ないものだ。
または…声を失うか。どっちかだろう。
森村以外は、ほぼその後者のタイプだった。


「今回は治療をお引き受け頂き、心から感謝致します。」
誰もが呆然として、開いた口が塞がらないまま立ち尽くしていると、彼らはいつのまにか揃って友雅たちの前にやって来ていた。
流暢な、全く違和感のない日本語で話すのは、最初に登場した銀髪の男だ。
彼は車椅子を押しながら、きちんと腰を曲げて頭を垂れる。
日本式の礼儀も、完璧にマスターしているようだ。
「出来る限り、自国にて必要なものは揃えて参りましたが、至らぬ部分もあるかと思われます。その際はお手を患わせるかと思いますが、どうぞよろしくお願い致します。」
男が完璧な挨拶をこなすと、主以外の者が揃ってぺこりと頭を下げた。
「あ、ああ…よ、ようこそいらっしゃいました。お、お、お待ちしておりました!アクラム=サラド・ウイ・マジャウリー…皇子。」
びくびくしながら教授たちが、彼らに手を差し伸べる。
主であるアクラムと名乗る男は、自ら口を開くことはなかったが、握手という挨拶は心得ているらしく、順番に出てくるその手をしっかりと握り返した。

そして、友雅が彼の目の前にやって来た時。
「マ、マジャウリー皇子、こちらが今回、皇子の治療と執刀を担当致します、橘友雅医師です。」
まだ緊張の抜けない教授が、友雅を彼に紹介した。
さすがに友雅も、目の前にある威圧的な雰囲気には度肝を抜かれたが、だからと言って自分が医師として治療する立場は変わらない。
そう思うと、最初の驚きやちょっとした緊張も、今は全く大人しくなっていた。

「ただいまご紹介頂きました、橘です。異国で長い期間の治療は、精神的にも負担がおありでしょう。全力を尽くして早急に、かつ、完全な治療に取りかからせて頂きますので、どうぞご安心下さい。」
「頼む。」
たった一言、友雅の言葉に彼は一言だけ受け答えた。

簡単な挨拶が終わったあと、一気に辺りはざわつき始める。
「そ、それでは入院手続きを…。こちらへ!お部屋をご用意しておりますので、そちらでお願い致します。」
手続きも特別に、会議室を用意した。個人患者の目に付かないためだ。
彼がしばらく仮住まいにする、最上階のEX室のプライバシー完全保護システムは前述した通りだが、そこに入るまでの個人情報も完璧を目指す。
入院患者がいることさえ、知られないように。
こうやって手続きするにも、専用に部屋を明け渡す。
駐車場も、一般エリアではなく従業員エリアに配置する。
こんなことは滅多にないが、それでも信用第一のことである。手抜きは出来ない。
教授たちは、彼らの一同に続くようにして、会議室へと案内していく。
そして、友雅たちは後からゆっくりと、時間差を置いてから向かうことにした。

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「ちょっと、見たわよー!あの御一行様!」
昼休みになって、仲の良いナースたちのいる社食に来たあかねは、彼女たちの黄色い声に囲まれた。
どうやら彼女たちは、あそこにいた外野の一部だったようだ。
「すごいわねえー!リムジンと数台の車でやって来てさー!あの銀髪の人って、執事の人?」
「うん、そうみたい。患者さんが小さい頃から付いているんだって。」
彼は名前を、イクティダール、と自ら紹介した。

「で、あのすっごい美人って…やっぱ奥さんなの?」
「あの小さい子は息子?」
そう。女性はシリンという。一夫多妻制の国であるが、彼女の他にはまだ妻はいないそうだ。
そして彼女との間に生まれたのが、セフルという少年である。
アクラムにしろシリンにしろ、年齢はまだ25才だと聞いた。
「えっ!?25であんな大きな男の子…が子どもにいるのっ!?」
一夫多妻制で、更に王族は早婚の家系であるらしい。
既に生まれたときから婚約者同士の二人は、14才同士で結婚して、息子のセフルが生まれたのだそうだ。
「何か、全然別世界の感覚ねえ…」
漠然とそんな世界観は知っていたが、それが現実として目の前にやって来ると…友雅が言っていたように、やはり現実感がない。
「…すごいの、EX室の中も。栄養士さんの許可が出たメニューがあって、それを部屋のキッチンでシェフに調理してもらってるの。」
「うわー、残り物でも良いから、食べてみたい…」
看護チームの一員であるあかねから、話を聞く度に彼女たちは感嘆の声を上げた。

「でもさ、美形だよねえ…」
アイスティーのグラスの中で、カランと氷が揺れる音がする。
ぽつりと看護師の一人がつぶやいた言葉に、はあ…と溜息をつくように周囲も視線を仰いだ。
「あっちの人だから、もっとアジアっぽいかと思ったら、全然だもん。長い金髪でさあ、整った顔でさあ…北欧の美青年みたい。」
期待は見事に裏切られた。
しかも、かなりレベルアップした形で。
息を呑む迫力というのは、きっとあんな風貌の人を言うのだろう。
男性であるのに、その美しさは目を見張る。

「だけど、ああいう人と向かい合って、見劣りしないのって…うちの病院で一人くらいよね。」
「そうねえー…」
彼女たちは何か納得した様子で、ランチに手を付けているあかねに目を向けた。
「…?誰のこと、それ」
「誰って、あんたねー!一人しかいないでしょう!」
あかねの肩を、パンと二人は叩く。
「橘先生くらいよ!あの患者さんと張り合えるのなんて!」
「おかげで、周りにいた教授連なんか、ただのオッサンにしか見えなくって、むさくるしいったらないわよ!」
彼らが近くに居ない事を良いことに、彼女たちは言いたい放題だ。

「…オイ、俺もむさくるしい中の一人かぁ〜?」
背後に人の気配がして振り向くと、森村が定食のプレートを片手に、こちらを睨むように見下ろしていた。
彼は空いていた椅子を引っ張って来ると、彼女たちのいるテーブルに遠慮無く腰を下ろす。
そしてあかねを見ると、こう伝言を告げた。
「元宮、橘先生が呼んでたぜ。西館の研修室に来いってよ。」


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Megumi,Ka

suga