天使様のOMOTENASHI

 002---------
そして問題の水曜日。
約束の時間に駐車場へ行くと、BMWの前で友雅とあかねが待っていた。
「お疲れさまー。荷物後ろに入れる?」
「へーきへーき。そんなに大荷物じゃねーし」
タオルやシャンプーなどの備品は用意されていると聞いたので、必要最低限の日用品をリュックに詰めたら着替えくらいしかなかった。
それと、通勤用のメッセンジャーバッグ。女性と違って男の外泊は本当に身軽だ。
「えーと、俺は後ろの席で良いんですよね?」
「ああ。私の車の助手席は永久に予約が入っているのでね」
そう言いながら友雅が、助手席のドアを開けると中にあかねが乗り込む。
しょっぱなでこの調子か…。
わずか二日の外泊だが、先が少々不安になってきた森村だった。

病院から高速を使って20分。
駅周辺は開発されていて人通りが賑やかだが、少し道を入ると閑静な古い住宅街が広がっている。
その中間地点辺りに、友雅たちの住むマンションは建っていた。
「は……」
街路樹や植栽の落ち着いた雰囲気が、地上30階建ての高層マンションを包む。
コーチエントランスに入ると、一旦そこで車が停まった。
「私はこのまま地下の駐車場に行くから、森村くんを頼むよ」
「はーい。じゃ天真くん、どーぞ」
車から下りて、あかねは中へと森村を招いた。
が、荷物を持ったまま森村はと言えば、ぼーっとその場に突っ立っている。
「どしたの?フロントはこっちだよ。受付しないと」
「…あ、ああ…」
すたすたとあかねは建物の中に進んでいくけれど、入口からして想像と桁が違っていて呆気に取られた。
どっかで見たことあるような雰囲気…、そうだ大学の卒業パーティー会場だった高級ホテルだ。
あかねに着いて行くと、広々とした吹き抜けのフロントラウンジに出る。
「いらっしゃいませ。こちらの書類にご記入をお願い致します」
カウンターでスタッフに渡された宿帳みたいなものに署名する。
何だかホントに、ホテルの宿泊客になったような気分がして来た。
「お部屋は25階の10号室となります。お困りのことがございましたら、室内のインターホンでご連絡下さいませ」
黒とシルバーのカードキーが手渡され、奥のエレベーターホールへと向かった。

「おまえ、こんなとこ住んでんの…」
思わず、ぽつりとそんな言葉が出て来た。
子どもの頃からの長い付き合いで、至って普通の中流一般家庭育ちだったあかねが、今はこんなマンションで日常生活を送っている。
まあ、正確に言えば友雅の住まいと言った方が正しいのだろう。それはあかね本人も自覚はあった。
「スゴいでしょう?私も初めて来たときびっくりしたもん」
今は二人暮らしだけれど、元々ここは友雅が独り暮らしをしていたのだ。
彼のことだから他人の出入りはあっただろうけれど(女性限定)、あくまで彼が借りていた部屋だし。
「色々自分でやるのが面倒くさいから、こういうところ借りたんだって」
「あー、色々サービスとかあるみたいだもんな」
エレベーターに乗り込み、キーと共に渡されたパンフレットを森村はめくった。
クリーニングの発注や受取り、食事のケータリングにタクシーの手配、室内の掃除やベッドメイキングなどのサービスまである。
「友雅さんが自分でそういうことするイメージ、ないでしょう?」
確かに。出来る出来ないの問題ではなく、そう言った家事を彼が行っているイメージが全く湧かない。
ハウスキーパーに丸投げして、自分は気ままなに生活している方がしっくり来る。
17階を示すランプが点灯し、ドアが開くと外には友雅が立っていた。
地下の駐車場から直結のエレベーターで、先に上がって来ていたらしい。
「じゃあ、私はここでね。25階に着いたら目の前にマップがあるから、それに沿って部屋に行ってね」
「りょーかい。じゃ、二日ほどお世話になります」
「ゆっくりと疲れを取りなさい。自分の部屋だと思ってね」
友雅はそう言うが、こんな高級マンションを自分のワンルームと一緒に出来るわけがない。
例えこのマンションにワンルームがあったとしても、絶対に自分の部屋とは設備も内装も桁違いだと思う。
ドアが静かに閉じると、森村を乗せてエレベーターは更に上へ向かって行った。

「これから急いで夕飯の支度しなきゃ!」
「食べ盛りのお客様だから、用意が大変だね」
「友雅さんもですよ。夏は栄養補給が特に大事なんですから」
歩きながら肩に手を回してくる彼に、念を押して玄関のロックを外す。
広げたバタフライテーブルの上に、三人分のカトラリーとグラス。
おもてなしのセッティングは、今朝のうちに完了している。
キッチンに向かおうとするあかねを、友雅が引き止めバスルームへ背中を押す。
「先にシャワーを浴びておいで」
「え?でもこれから食事の用意が…」
「簡単なことはやっておくから。女性の方がバスタイムは時間が掛かるだろう?」
それに、と友雅は続ける。
「湯上がりの姿など、他人に見せたくはないのだよ」
側にいるだけでふわりと漂う石鹸の香りとか、湯を浴びてほんのり紅を帯びる潤った肌とか。
それが時に、男の感情を奮い立たせてしまうこと。
身に染みて分かるからこそ、ほとぼりが冷めてから彼女を他人の目に晒したい。
「はいはい、分かりました。じゃ、お願いしますね」
少し呆れ気味ながら、あかねは素直に友雅の勧めを聞き入れてシャワーを浴びに行った。

それからすぐのこと。
カウンターに置きっぱなしの彼女のスマホが、音を立てて鳴り出した。
液晶画面に表示されている相手の名前は、上のゲストルームにお泊まりの彼。
『おい…あかね、マジかコレ…』
やけに神妙な声のトーンがスピーカーから聞こえる。
『おまっ、何だよこの、何かその、どえらいその、王様じゃねーんだからっ!』
言葉がまったく繋がっていないので、意味が分からない。
ただ、かなり動揺していることだけは伝わって来る。
『俺にっ、こんなとこで過ごせってのかー!ど、どこの億万長者だよっっ!』
「ふふ…億万長者とは、結構懐かしいワードだね」
…………!
それまで勢いのあった森村の声が、ぱたりと途切れて沈黙した。
あかねのスマホに掛けたので、まさか友雅が出るとは思わなかったんだろう。
「何か部屋で不都合なことでもあったかい?」
『い、いや!ぜんっぜんっ!その真逆ですっっっ!』
「なら良かった。夕飯までもうしばらく掛かるから、整ったら連絡するからね」
『は、はいーっ!』
慌てて森村は電話を切った。
通されたゲストルームの様子に、かなり困惑しているようだ。
まあ、あんな部屋を楽しむには若過ぎるかな…と、慌てる森村の様子を思い描きながら友雅は笑った。



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Megumi,Ka

suga