天使様のOMOTENASHI

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珍しいことに、森村がパソコンにへばりついている。
かれこれ一時間ほど経つだろうか。モニタ画面を凝視しながら、時々マウスとキーボードを叩いたりしている。
「森村くん、まだ見つかんないの」
「ないっすねえ。はー、どーすっかなぁ…」
一旦椅子から立ち上がり、身体の節々を伸ばす。
わずかな時間でも身体が強ばっている。つくづく自分はデスクワークには向かないタイプだな、と森村は思う。
そんな彼が何故パソコンと向き合っていたか。
簡単に言えば、宿探しである。
とは言っても出張先のホテルとか、或いはデートで使う…という目的ではない。
数日間生活できる場所を探しているのである。
「病院側の都合でもあるんだから、事務局に掛け合ってみれば?」
「出来ますかねえ…?」
森村の住んでいるところは、研修医専用の独身寮。
一棟丸々借り上げたものなので、一般的なワンルームマンションと変わらない。
それでいて家賃は医学生時代のアパートよりも爆安。経済的に厳しい研修医にとっては、まさに楽園のような住まいだ。
しかしその楽園に、突然問題が生じたのである。

「あ、お疲れさまっす」
午後の手術を終えた友雅が、医局に戻って来た。
「おや、君がデスクワークなんて珍しいね」
「仕事じゃないんですよ。個人的に色々ありましてー」
友雅がコーヒーを手にしてソファに腰を下ろすと、これまでのいきさつをドクターたちが話し始めた。
つまり、独身寮の改修工事が行われるのだ。
各部屋のベランダと通用口の修繕と、ユニットバスの部品交換等々。
フロアごとに工事をするので、二日は掛かるだろうと告げられた。
「他の部屋に住んでいる子らも、ホテル探しをしているのかい?」
「そーいうヤツもいますけど、殆どは別フロアのヤツんとこに転がり込むみたいっすね」
「森村君は転がり込めなかったのかい?」
「一部屋で二人受け入れたヤツも多くて。それに、俺も学会のことで動くのが遅くなっちゃったもんで」
「ああ、この間のね。お礼を言っといてくれって教授に言われたよ。今回は随分と助かったって」
良い経験になるからというドクターの厚意で、臨床学会に助手として帯同させてもらった森村。学ぶことも多かったのだが、おかげで今こうして住む場所探しに手こずっている。
「平日だし、ビジホなら空いてるかと思ったんスけど、これが全然なくって」
「最近はああいうところも、海外の旅行者に人気があると言うから予約が取り辛いと聞くね」
これまで利用していた宿に空きがないので、仕方なく値段を上げて別ホテルを取らねばならないドクターが多くて経費がかさむ、と事務局のスタッフがぼやいていたのを思い出した。
「宿が確保出来なかったら、どうするつもりなんだい?」
「最悪、夜勤を交代してもらおうかなーと」
研修医専用の当直室があるし、そこなら仮眠も取れるしシャワーも使える。
二日連続は楽ではないが、この際贅沢は言っていられない。

「平日の二日間か。何曜日?」
「えーと、水木ですね」
森村が答えると友雅はちょっと失礼、と携帯を手にして外へ出て行った。
そして、彼がテーブルに残したコーヒーが冷めきった頃、再び医局に戻って来た。
「森村君、うちのマンションはどうかな」
「は!?」
友雅の発言に、医局にいた全員が声を裏返した。
"うちのマンション"というのは、多分友雅の自宅マンションのことを言っている。
既婚者である彼が独り暮らしであるわけがなく、当然そこには同居人がいる。誰もが知っている彼女が。
そこに転がり込めと、彼は言うのか。
未だ浮いた話題がない森村を、あの二人のプライベートエリアに導くだなんて、どんな罰ゲームだ。
仕事場では節度を守っていると言うが、誰もそんなこと信用していない。
そんな二人の自宅だなんて…明らかに未成年お断りな世界を覗き込むようなものじゃないか。
「いやいやいや!俺、さすがに先生たちのお邪魔虫にはなりたくないですし!」
いくら宿に困っているからって、その苦行は全力でお断りしたい。
すると友雅は、涼しい表情で返事をする。
「大丈夫だよ。ゲストルームは別フロアの個室だから」
ゲストルーム…?
森村には馴染みのない言葉だが、何人かのドクターは気付いたようだ。
「ああ、マンションのゲストルームか。うちにもあったなあ、そういうの」
それなりのランクのマンションに限られるが、住人から紹介をもらえば利用出来るゲストルームを設けているところがある。
ホテルのような細かいサービスはないが、設備は十分に整っている。しかも、大概の場合値段はホテルより格安だ。
「確認してみたけれど、来週の水木は空いているよ。どうだい?」
友雅のマンションに行ったことはない。しかし、年賀状などで住所ぐらいは知っている。
勤務先の病院から近いと言える距離ではないにしろ、公共の交通手段は整っていて不便とは縁遠い。
「料金はこっちで持つから、遠慮せずに使いなさい」
「ええっ!?い、良いですよ宿代はちゃんと払いますって!」
「出世払いで構わないよ。たいした金額ではないのだし」
せっかくなんだから甘えておけ、と周りのドクターたちが森村の肩を叩く。
確かに常に財政難の研修医の立場で、奢りというものは魅力的なのだ…が。
「ホントに…良いんスか」
「どうぞ。そのためにある施設なのだから、こういう時に利用しないとね」
高級マンションのゲストルーム。
この先もそんな場所には縁がなさそうなので、少々楽しみな反面緊張することも多々ある。
まあ、二人の部屋に居候するわけじゃないのだし、それもたった二日間だけだ。
素直にここは友雅の厚意に甘えて、ひとときの非日常生活を満喫してみよう、と森村は覚悟(?)を決めた。


今週末の買い出しは、いつも以上の大荷物となった。
夏物のシーツや衣類はクローゼットの中に。そして一週間分の食料は、キッチンのカウンターに並べて収納場所を分ける。
肉や魚にパンや野菜。今回はどれもこれも二人分以上の量。
「久しぶりだなー、お客さんをおもてなしするの」
「うちに誰かを招いたりは殆どないからね」
家に客人を招いたことは数回。完全な他人ではなく、あかねの両親だ。
一時的に帰国した際、部屋で共に食事と団らんを交わした。その時も、彼らにはゲストルームを利用してもらった。
「でも、天真くんびっくりするんじゃないですか、あの部屋」
両親が利用した時にあかねも部屋に入ったが、ジャグジーが付いていたりベッドルームとリビングが別になっていたり、まるで高級ホテルのスイートルーム並み。
地上25階から見える展望は夜景が美しく、天気が良ければ遠くに富士山も見えたりする。
どうひっくり返っても森村のイメージと全然違う空間なだけに、緊張してかえって休めないかも、とあかねが笑いながら食器棚の戸を開けた。

いつも使用する皿やグラス、カトラリーや小鉢と同じものをもう一組用意する。
ランチョンマットと、予備のダイニングチェアも納戸から取り出しておかないと。
「食事は自分で何とかするって言っていたけどね」
「良いじゃないですか、こういう機会滅多にないんですし。それに、天真くんだって友雅さんに負けず劣らず食生活めちゃくちゃですよ、きっと」
食事に対して無関心過ぎる友雅も大概だが、ハードワークだから体力をつけなくてはという名目で、腹八分目を無視して食べまくる森村も誉められたものじゃない。
バランスを考えないと栄養は上手く摂取出来ないのに、どうして彼らはこうも適当なのか。
食生活をきちんと考えるのも、ドクターとして大切なことだと思うのだけど。
「朝も彼を招くのかい?」
「水木って天真くんもスケジュール同じですから、出勤時間も同じですよね」
だったら起床時間も同じで平気だろうし、朝食時間も合わせても平気なはず。
「ということは、寝不足にさせるわけにいかないか」
背後からウエストに回される手。肩にもたれかかる顎の重みと、かすかに耳に感じる吐息。
意味深な指先がやや強めに、あかねの身体を抱きしめる。
「寝坊なんかしたら、それこそ疑われちゃいますよ」
「疑われるのを承知で、開き直ってしまうという策はどうだろう?」
「ホントに懲りない人ですねえ…」
腰に回った友雅の手を取り、振り返るとすぐに唇が近付いてくる。
エアコンが効いている部屋の中でも、体温に触れてしまえば熱さが蘇る。
暑さとは違う熱さには、纏わりつくような甘い感覚がある。
それには決して嫌悪感はなく、むしろ心地良い。
「私も人のこと言えませんね」
「ここはお互い様というわけで、一緒に楽しむ選択が良いと思うよ」
自分たちの部屋なのだし、誰に遠慮する必要もない。
気持ちのままに流れ流された挙げ句、結局のところお互いに満足してしまうのだから、つくづく…色々な意味で相性が良いのかなと思ったりする。



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Megumi,Ka

suga