天使様の願いごと

 003---------
場所は変わって、ここは三階の屋上庭園。
緑に覆われた広い敷地内に、白いベンチが点々と置かれている。
夏になるとガーデンパラソルが設置され、休憩するには最適な場所だ。

「だいたい強引過ぎるんですよ、友雅さんは!」
庭園のやや奥にあるベンチに、珍しい取り合わせの二人が座っていた。
あかねの隣にいるのは、婦人科医師の安倍である。
「どーしてそっちのことばっかり、優先するんですかねっ!!」
アイスミルクティと、アイス烏龍茶。
感情的に文句を言い続けるあかねとは対照的に、安倍の方はしらっと無感情な顔で彼女の前にいる。
だが、それだからこんな突っ込んだ話題も、打ち明けやすい。
他の者ならひやかしたりするし、妙に照れてしまったりするけれど、彼はいつも医学的で冷静な対応をしてくれる。
今回のことも、そうだ。

「あいつとするのが、嫌なのか」
「え、ええっ?そ、そういうワケじゃないです、けどー…」
真っ向からストレートに尋ねられて、ボッと頬が内側から熱くなった。
しかし安倍は、包み隠さず直球で尋ねてくる。
「ならば構わんだろう。どのみち夫婦だ。身体の関係があって当然だ。」
「い、いや…それはそうかもしれませんけどぉ…」
式はまだ挙げていないが、既に一緒に暮らしてもいるし、取り敢えず正式に籍も入れた。
法律上はれっきとした夫婦だし、安倍の言う通りだとも思う。
「問題はそのっ…、加減というかですね、まず優先すべきことをですね、考えて欲しいっていうかっ…」
足のつま先を伸ばして、あかねはテラスの地面をつんつんと叩く。

嫌なわけじゃないのだ。
お互いに不満はないと思っているし、充実していると認め合っている。
求められるのは嬉しいし、受け入れるのだって出来れば拒否したくない。
だけど、時にはそんな甘いひとときよりも、重要視したいことがあるのだ。
「ふ、普通の時なら良いですけど…あの日は友雅さん、帰国したばかりだったから疲れてると思って…」
この二ヶ月ほど、彼がどれだけ忙しかったかをあかねは知っている。
普段通りの勤務に加えて、上司である教授たちの会議に付き合わされ、休日もまるまるフリーだったのは数日だけ。
帰宅も遅いし、夜勤もこなし、家に帰れば書類をまとめたり。
そして、台湾へ一週間の出張。
移動距離も時間もたいしたことはないけれど、これまでの疲労が解消されないまま出掛け、連日連夜の学会会議にも出席して。
ようやく帰国したあとは、やっと丸二日フリーの休日。
せめてゆっくりと、身体の疲れを癒して欲しかった……そう思った。

「なのに友雅さんてばっ…」
家に帰って休むどころか、ホテルに連れ込んでさっそく…だなんて。

帰国した彼のため、家にはあらゆるものを用意していたのだ。
彼が好きな銘柄のビールを冷やし、彼が気に入ってくれてたローストビーフも作っておいた。
最近凝っているアロマで、疲労回復のバスオイルも浴室に置き、ベッドのファブリックにも安眠できるようピローミストを添えた。
"お疲れさまでした。ゆっくり疲れを取って休んでくださいね"
心地良い眠りに誘われ、安らぎを得られますように。
そんな居心地の良い環境を、彼のために準備をしておいたというのに。
「疲れてる時くらい、自重すれば良いのにっ」
「疲れていなければ良いのか」
「ん、まあ…それはまあ…」
モゴモゴ…。
気まずそうに語尾をごまかして、少しあかねは頬を染める。
ちらっと隣を見ると、安倍は黙って烏龍茶を啜っていた。

「だったら一度くらい、付き合ってやれば良いだろうが」
………はあ!?
壊れた人形みたいに、ぱっと勢い良くあかねが横を向いた。
今、安倍からとんでもないアドバイスが、飛んで来たような気がしたが。
「一晩くらい、好きにさせてやれ。疲れていても、おまえに引っ付いていたいんだろう、あいつは。」
ものすごく微妙な言い回しだ。
疲れていても一緒にいたい…と思ってくれているなら、嬉しいに越した事は無い。
まあ、そっちのこともムキになって、抵抗しなくてもいいや…という気もある。
だけど、友雅の身体のことを考えると、そうも言っていられない事情があるのだ。

「一回受け入れてやれば、満足するだろうに」
「ぜえーーーーーーーったいにしませんねっ!!!」
あかねは身を乗り出して、力いっぱい断言する。
「だって…友雅さん、普通疲れてても、××××××とかするし…」
「あいつ、普段からそんなことしているのか」
「だ、だから、一度説き伏せられたら…何度も×××××しちゃいそうだしっ!」
………と、そこまで口にして、はっ!としてあかねは安倍の顔を見た。
「……おまえたち、結構……」
いつもなら無感情で、まったく表情を作らない彼が、やや呆れたような目でこっちを見ている!
あああ、安倍先生まで呆れさせちゃったーーーっ!!!
つい調子に乗って、プライベートの奥の奥まで口にしたのがいけなかったか!
あまりに居たたまれなくなり、あかねは頭を抱えベンチの後ろに隠れてしまった。

「まあ、個人の自由だがな…」
ぽつりと、安倍のつぶやきが聞こえる。
そうっと後ろから顔を上げると、彼はいつもの彼に戻っていた(多分)。


ガサガサ、と木々の葉と枝が擦れる音した。
そして静かな足音が、こちらの方へと近付いて来る。
「ああ、お二人ともここにいらっしゃったのですか。」
やってきたのは、リハビリ科の源である。
彼はその手に、色鮮やかな細長い紙を何枚も持っていた。
「ど、どうしたんですか?源先生…」
「いえ、これを回収に回っているんですが、お二人ともまだ提出されていないと思いまして。」
源がはらりと見せた、いくつものカラフルな紙。
赤・青・黄色に緑。上部の真ん中には穴がひとつ開けられ、細い糸が輪っかになって付いている。
「エントランスホールの笹、飾り付けを始めているんですよ。見たところ、何人かの方がまだ書かれていないので。」
強制的ではないけれど、誰もが真っ先に目に付くメインの笹。
出来るだけ華やかに、年に一度の夏の風物詩を彩りたいものである。
「書かれましたら、一階までお越し下さい。すぐに取付けてくれると思いますよ。」
そう言って源は、安倍とあかねに一枚ずつ短冊を渡した。

「そういえば…元宮さん、橘先生にも早めに御持ち頂けるよう、伝えてもらえますか?」
「えっ?ま、まだ書いてないんですか?」
確か彼は出張の予定があるからと、他の者よりずっと早めに渡されているはずだ。
「橘先生には、願いごとは必要ないのかもしれませんが…」
穏やかな源の微笑みは、どこか意味があるような気が。
…まさか、さっき安倍と話していたことを、聞かれたんじゃないだろうか!?
「では、よろしくお願いします。」
あかねが硬直しているのも気にせず、彼は用件だけを告げて去って行く。

ど、ど、ど、どうしよう!
安倍先生ならともかく、源先生にあんなの聞かれたら…恥ずかしくって顔合わせられないー!!!
「気にするな。源はそういう色恋話は苦手だ。あんな過激な会話を耳にしていたら、平然とはしていられるはずがない」
「か、か、か、過激っ!過激って言いましたか!!わた、わた、私たちのこと、過激ってぇーっ!!」
「今更動揺することか。馬鹿者。」
軽くあかねをあしらって、安倍は胸ポケットからボールペンを取り出す。
そうして、さらさらと短冊に文字を書き始めた。

「…それが安倍先生の願いごとなんですかぁ…」
「実際問題、収納が足りなくて困っている。」
彼が認めた内容は、
"書籍だけを納める部屋が欲しい"
それくらい、安倍の収入なら容易いだろうに。それか、収納の多い部屋に引っ越すとか。
「引越作業が面倒くさい」
短冊を書き終えた安倍は、ボールペンをあかねに差し出した。


「私…何て書こう」
願いごとなんて、考え出したらきりがない。
その中のたったひとつだけ……さあ、どれを選ぼうか。
「"橘の性欲が少し落ち着くように"とか、書いたらどうだ。」

なんですとぉーーーーーー!!??
突然の爆弾発言に、手の中から滑り落ちたボールペンが、足元をコロコロと転がって行く。

「冗談だ」
無表情で安倍は言う。
ぜったい、ぜったい冗談で言ってないー!!
パニック状態のあかねをよそに、彼はどこを見ているか分からない眼差しで、残りの烏龍茶を啜っていた。



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Megumi,Ka

suga