あと数分で日付が変わる。
こんな時間まで外出しているのは久しぶり。賑やかなお酒の場に参加するのも久しぶりだ(飲んではいないけど)。
フロントガラスの向こうに見えるテールランプは小さくて、かなりの車間距離があることが分かる。
街路灯が規則的に夜空を照らす中、車は着実に自宅へと近付いている。
「まったくもう、今日は疲れましたよ。何であんな話になったのか…」
「アルコールが入ると、陽気な話題が欲しくなるものなんだよ」
「だからって、どーして私たちの話なんですかっ」
どうやらあかねは、あまり自覚がないらしい。
二人の恋愛がどれほど大事だったかということを。
「友雅さんだから騒がれたんですよ。橘先生が結婚するなんて聞いたら、誰だってびっくりします」
まさか相手が自分だなんて思ってなかっただろうし、だからその意外性で騒がれたんだろうとあかねは推測する。
自分だって付き合っていた頃は、そんな日が来ると想像していなかった。
「そうかい?私はずっと思っていたけど」
「何その自信。私が絶対落ちるって思ってたってことですか?」
そうじゃなくて-----------と、信号が近付いてスピードが緩くなる。
「あかね以外に考えられなかったから」
前を走る車も、後から続いて来る車もいない。歩行者もいない。
無人同然の深夜のバイパスで停止しているのは、この車だけ。
「正直、結婚なんて自分には無縁のことだと思っていたよ。でも、それを変えたのは君だったし」
出会ったとき、本能的に気付いていたのだろう。普通の女性と違うこと。
実習生の頃から誰よりも真面目で、今時こんな子は珍しいと当時の看護師長も言っていたくらい。厳しさと多忙さで有名な五年一貫看護教育の高校も、首席に近い成績で終えたと聞いている。
最短コースで国家資格に合格し、この世界へ。それだけで、彼女の看護師への意欲がどれほどのものか伺える。
「少しでも早く看護師になって、患者さんの力になりたかったんですもん」
「気持ちは分かるけど、実際は厳しいものだろう。なかなか出来ないことだよ」
17〜8の年頃なんて流行の話題や彼氏のことなど、四方八方に興味のアンテナが動いて忙しい時期。
その最中にハードなカリキュラムを優秀な成績でやり遂げるには、かなりの努力と集中力が必要だったはずだ。
「うん、あまり遊びに行きませんでしたね。自分でもびっくりするくらい、当時はガリ勉でした」
寮の同級生たちは休日になると買い物に出掛けたり、他校の男の子たちと合コンする子も結構いた。
そういうのには殆ど参加しなくて、他人の恋バナを聞いているだけの学生生活を思い返した。
「私以外の男性とは、接点がなかったと?」
「…ですね」
「ふふ、安心したよ」
月に1〜2回程度だったけれど、彼からのデートのお誘い。
あかねの休日に合わせて門限もしっかり守っていたせいで、同級生に疑われることは一切なかった。
思えばその頃から秘密を隠し通す技は鍛えられて、看護師になってからもそれは結構活かされていた。
「おかげで私は、随分と待たされてしまったけれどね」
「仕方ないでしょう。二十歳の駆け出し看護師が、決断なんてできませんよ」
「約束くらいはしてくれても良かったのに」
「無理ですよ!慎重に考えるものでしょ、そういうのは」
こっちだって、初めて言われた時は驚いた。
新人看護師と医師の恋愛が隠蔽すべき事例ならば、それを周囲が受け止められるようにすれば良い。
その方法というのは
-----『入社する前に名前を変えてしまえば良いのでは?』
つまり、『元宮』ではなく友雅と同じ名字になれば、二人はそういう関係だと理解してもらえるのではないか。
遠回りな言い方だったが、あきらかにそれは…プロポーズ。
その後もアプローチとスルーの繰り返しの末、口説き落とせたのは数年後。
遠回りをしながらも、今こうして隣にいる。
「本当に無茶苦茶すぎますよ」
「今思えば確かに、そうかなって気はするね」
自分が起こした行動のくせに、暢気にまあしれっとそんなことを言うか。
「本気であかねが欲しかったんだよ。それは理解して欲しいな」
国道を下りて交差点に差し掛かり、再び赤信号で一時停止。
客を乗せて走るタクシーが数台、目の前を走り抜けて行く。
「あかね、聞こえてるかい?」
「聞こえてますよ…」
窓の外をじっと見ながら、友雅の問いにあかねは答えた。
深夜の大通りなんて特に代わり映えのない光景ばかり。
それでも外を見ているのは、今の顔を彼に見られたくないから。
きっと不自然なくらいに赤くなってる。
……"本気で欲しかった"なんて言うから、こんなことになっちゃったじゃないの。
赤から青へと信号が変わり、ゆっくり車が走り出す。
交差点を左折すると街路樹の奥にマンションのシルエットが見えて来て、そこからほんの数分で入口に着いた。
セキュリティロックを解除し、地下の駐車場へ。
普段は彼女のPASSOが駐車している隣のエリアに、友雅は車を停めた。
「そっか。明日はお休みなのに、車がないのは不便かな」
「水臭いことを。天使様には専属の運転手がいることを忘れてるのかい?どこへでもお連れしますよ」
運転手だろうと荷物持ちだろうと、天使が希望するなら喜んで同行する。
二人で気兼ねなく外出するなんてこと、あの頃はとても出来ないことだったから。
「誰が見てるか分からないですもんね。警戒してましたよね」
レストランは必ず個室。買い物は出来るだけ地元から離れて。
自由が効かなくて随分苦労したものだけど、不思議と辛かった記憶はあまりない。
「誰だって気分の悪いデートなどしたくないものだよ」
友雅はそう言うと、先にあかねをエレベーターに乗せてから自宅のフロア番号を押した。
周囲を警戒しながらも逢瀬を続けられたのは、きっと彼が常に気を使ってくれていたのだろう。
そんな行為もあかねに気付かれては遠慮させてしまうだけ。
あくまでさりげなくフォローをしてくれるのは、出会った時から今まで変わることがない。
ドクターとしては尊敬できて、いつも優しく見守ってくれて。
私、やっぱり友雅さんのこと本当に好きだなあって…
-------------ポーン、とフロアに到着の合図が鳴る。
彼は先に外に下りて周りを確認してから、改めてあかねに手を伸ばした。
「お手をどうぞ、天使様」
あかねはエレベーターから足を踏み出した。
差し出された友雅の手に自分の指を乗せよう…としたかと思ったら、彼の腕の中へ天使が飛び込んできた。
「私の天使は、思いがけなく積極的になるから困るね」
「二人だけの時は、普段からそれほど消極的じゃないと思いますよ?」
「そうだね、よく知ってる」
他人は知らない、二人にしか分からないことはたくさん。
プライベートは今後も出来るだけ秘密主義の方向で。
その方が自然体で愛し合えるから。
静まりかえったフロアを、腕を組んで歩く。
監視カメラがそこかしこに取り付けてあるようだけど、これくらいはご愛嬌と思って見逃してほしい。
「明日の予定は?」
「食材を買いに行って、あと夏のカーテンとか服も少し見たいかな〜」
「はいはい。付き添わせて頂くよ」
それぞれに指紋認証を済ませドアを解錠する。
玄関先で脱いだ靴と上着をロッカーに収納して、リビングの照明をONにしたら洗面所へと移動。
「さっきの話ですけど、買い物の付き添いじゃ味気ないと思いませんか」
手洗いとうがいを済ませてから、あかねがひとつ提案を出した。
「デートにしましょうよ?あくまでも、買い物はそのついでって考えで」
「良いね。それなら色々な楽しみ方が出来そうだ」
「…なんですか、その色々って」
友雅は何も答えなかった。
ただ優しく微笑んで、あかねの唇にキスを落とした。
-----THE END-----
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