はじまりと、想い出と

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「アルコールOKは何人ですかー?」
「帰りは車を頼んでやるから、足は気にせず飲んでいいんだぞ」
どうする?と開いたメニューを凝視して悩んでいるのは若い女性二人。彼女たちは今年整形外科に入った新米医師だ。
昨年まで女性の希望者は一人いるかいないかだったので、今年の顔ぶれを知った教授たちは驚き、そして喜んだ。
「やっぱり橘先生に講演をお願いして良かったよー。効果てきめんだった!」
同じようなことを何度も言われたが、友雅本人は実感はなかった。
でもまあ、医療の現場に女性が増えるのは大歓迎。
患者の男女比率と同じくらい医師が揃えば理想なのだが、今はこれで良しとしておこう。
「異性の医師を敬遠する患者も、結構多いですからね」
女性患者に限らず、結構男性の患者からの声もある。ただでさえ病や怪我で緊張している分、同性の方が気楽だということだろう。
ただし、異性の医師に診断してもらうのを好む患者もいるが。
「しかし、ただ人数を増やすだけじゃいけませんよ。居着いてもらわないと困る」
給与や保証は当然として、問題は職場環境。世情に合わせて待遇を向上させていかなくては。
「そういった働きかけは教授のお役目ですので、よろしくお願いします」
「あー…、何とか頑張ってみるよ」

そんな会話の最中、友雅の肩を叩く手があった。
「お話中すみませんけど、飲み物オーダー来てますよ」
あかねに言われて目を向けた先で、店員が順に皆から注文を受けている。
「何にします?」
「あかねは何にしたんだい?」
「私はアップルタイザーにしました」
「じゃあ私もそれでいいよ。あとは、いつもの生ビールの大ですね?」
飲み会の席で教授が頼むのは、まず最初は生ビールだったと記憶していた。
その後は臨機応変に、ウイスキーだったり日本酒だったり。
「橘先生らも、代行呼んで飲めば良いんじゃないか?」
教授はそう言って促したが、友雅はあっさりと笑顔でかわす。
「彼女の専属運転手が酔うわけに行きませんし、他人にその役を譲りたくはないもので」
さらっと口にした彼の言葉に、新人女性医師たちが黄色い声を上げる。
何事かと皆の視線がこちらに集まり、その場を離れていたあかねも驚いた顔でこちらを見ていた。
…自分がネタになっているとも知らず。

しばらくして、店員が入れ替わり立ち替わりで飲み物を運んで来た。
生ビールの大ジョッキ、酎ハイ、カクテル、ソフトドリンクのグラスがずらりとテーブルの上に。
全員の手に飲み物が渡って、上座の教授が立ち上がり一言。
「えー、これより我が整形外科の新人歓迎会を始めます。今日は遠慮なく思いっきり飲み食いして英気を養い、将来素晴らしい医師となる糧にしてください」
簡単な挨拶が終わり、医師、看護師、新しく入った研修医も含めて20人以上が、乾杯の合図と共にグラスを掲げた。
運ばれて来た大皿料理をつまみながら、近くにいる者と自然に会話が弾む。
会話の相手はバラバラ。上司でも後輩でも構うことなく、宴の席では肩の力が程よく抜ける。
「でも、他の科に行ったヤツは大変みたいっすよー。特に人間関係で」
「派閥の多いところが殆どだからね。その分、出世する可能性も高いけど」
森村が振って来た話題に、友雅はグラスを傾けながらうなづいた。
上の役職を目指すのであれば、むしろ派閥の中で揉まれる方が良いだろう。
しかしその結果、医学より処世術を重んじる者が増えてしまう傾向もある。
「目標は個人の自由だけど、ここは医療機関ってことを忘れてはだめだと思うよ」
「…そうっすねえ」
友雅の言葉に、森村たちは感嘆を込めた返事をした。
こう見えて(というのも失礼だが)、彼は真面目な考えを持っている医師だ。
何せ外見が派手だし態度も飄々としているように思えるが、中身はシンプルかつ実直で見習うべきところが多い。
「私も先生の講演聞いて、整外に決めたんですよ」
新人の女性医師が、控えめに手を挙げて切り出した。
失礼な言い方になりますが…と前置きをして、
「研修を受けておきながら、他の科と比べると整外の印象が自分の中で曖昧になってて。でも、橘先生の講演で整外の重要さが分かって」
「私もです。改めて整外の必要性を実感できたので、頑張ろうと思いました」
面と向かってそう言われ、さすがに友雅も驚かされた。
自分の講演が彼らの進路を左右することはないだろうと思っていたのに、実際こうして決断のきっかけを生み出していたとは。
まあ取り敢えず、あの講演が無駄にならなくて良かった。少しばかり責任も感じていたので。

「森村くんはどうなんだ?ここはご実家と違う科だろう。どうしてまた整外を選んだんだ?」
次に、教授が森村に問うた。
「うちは町医者なんで色々な症状の患者さんが来るんですけど、やっぱ腰や肩の痛みを持ってる人が多いらしいんすよね。で、父に相談したら『整形外科は良いんじゃないか』って言われまして」
どんな患者だろうと、病院を転々とするのは嫌だ。出来れば身近で気の知れた病院で治療を受けたいはず。
「『おまえが整形外科をやってくれれば助かる』って、逆に勧められたんでこうなりました」
「そうかー。親孝行だな」
「あと、スポーツ関係の仕事に就いた友人が多いもんで、怪我した時に役に立てるかなと」
友雅以外に源からリハビリ現場でのレクチャーも受け、整形外科の奥深さに気付かされた。
森村がいると知り、来院した友人もいる。実際その治療に関わったことで、一層整形外科に興味が出て来た。
「これでも橘先生を尊敬、信頼してますしー」
「おや、嬉しいことを言ってくれるね」
「医療に関してはホント真面目っすから。プライベートはちょっとばかしアレっすけど」
プライベートの話が出てくると、周りの者たちが揃ってくすっと笑った。
皆思い当たることがあるものだから、森村のツッコミに自然と反応してしまった。
「あれはねぇ、目の毒よねー。うちの科、小さい子が少なくて良かったわ」
苦笑しながら会話に絡んで来たのは看護師。
「今日もお昼に食堂行ったらね…」
昼間のことを話し出すと、新人の女性陣が一斉に賑やかになる。
森村たちはこういう状況にすっかり慣れてしまい、話題の張本人もどれだけ騒がれようが動じることもない。

「あのー、お二人みたいに同業者と結婚する人って多いんですか?」
「そうねえ、いることはいるけど、逆に敬遠することもあるわよ」
同族嫌悪と言うものだろうか。現場の裏側を知っているからこそ、悪いところが目についてしまったりもする。
嫌な思いをさせられた経験があれば、当然現場の人間を避けたくなるものだし。
オフィスラブとは、どんな業種でもそういう極論がありそうだが。
「あのっ、いつ頃からお付き合いされてたんですかっ?」
「んー…何と言えば良いんだろうね。いつ頃かな」
はぐらかしているわけじゃなく、これは本当に答えが出しにくい。
どちらかが告白してお付き合い開始…なんて、思春期の初恋みたいなプロセスではなかったから。
「じゃ、もう片方にも聞いてみましょう。ちょっとあかねー!」
新人の看護師たちと談笑していたあかねを、奥の席にいる同僚が呼び寄せた。
何故呼ばれたのか分からないが取り敢えずそちらへ移動すると、暗黙の了解で友雅の隣が空いたのでそこに座らせられる。
「どうかしたんですか?さっきから盛り上がってたみたいですけど」
友雅の顔を覗き込んだが、彼は静かに微笑んでいるだけで何も言わない。
その代わり、新人たちの目がやけにキラキラしているような。
「今、橘先生にお二人の馴れ初めを伺ってたんですけどっ」
「えっ?!何でそんな話をしてるんですか!」
前途ある若いドクターたちが熱く語り合っていると思っていたのに、どこでどうなって個人の話題が取り上げられているのか。
「医療現場でのオフィスラブについて、ちょっとなー」
「はぁ!?」
「そういう話題なら良い見本がいるじゃない!ってことで」
「ちょっと、橘先生も黙ってないで何か言ってくださいよ!」
「言っても良いのかい?」
友雅はそう言って、あかねに対し艶めいた笑みをこちらに向ける。
……前言撤回。
彼には大人しくしてもらった方が良さそうだ。



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Megumi,Ka

suga