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外来棟は今日も朝から混み合っている。
診療時間が始まる30分前にもなると、待合室のソファは殆ど空きがなくなる。
雑誌や新聞を読む人、テレビ番組を眺めている人。或いは早朝から空いているカフェやショップに立ち寄る人など様々だ。
「いつもと同じお薬なんでしょ。だったら診察しなくても良いんじゃない?」
「日々症状は変化してますから、そーとも限らないんスよ。経過次第で薬の調合も変えるんで」
「でもねえ、待ち時間がホント長くてイヤなの」
「確かに。待つのは疲れますよねえー」
出来るだけ和やかな口調で会話をしながら、患者のふくらはぎを視診、触診。
前回の様子と比べてみると、明らかに腫れは引いていた。
「随分良くなってるんで、今回からお薬ひとつ減らしますよ」
「あら、ほんと?」
「ちゃんと診察して良かったっしょ?」
顔を近づけて満面の笑みを見せると、患者の女性もうなづいてにっこり笑った。
「丁度孫と同じくらいなのよね」
ズボンの裾を上げ、若い医師に話しかける。
真新しい白衣の色が眩しい。四月に支給されたばかりのコートは、新人ドクターに相応しいとも言える。
「でも全然違うわー。子どもの頃は元気だったのに無愛想になっちゃって」
「仕事が大変なんじゃないっすか?チームリーダーでしたっけ」
「そうそう。何か新人をまとめる役目があって……」
コンコン。
診察室のドアをノックする音。
「どうも、診察中に失礼します」
「あら、元祖イケメン先生。会えて良かったわ」
友雅が顔を出すと、彼女は椅子の向きをくるりと変えた。
「お久しぶりです。如何ですか、その後の経過は」
先月までは友雅が担当していたのだが、新年度を機に森村へとバトンタッチした患者の一人。
故に、どちらかといえば友雅の方が彼女の症状には詳しい。
森村の診断書を軽くチェックする。
「ああ、随分良くなったんですね。これなら完治までもうすぐかな」
「そうなのよ。でも、完治したら先生方に会えなくなるの寂しいわぁ」
今度は友雅と森村の顔を交互に見ながら、ますます彼女は饒舌になった。
機嫌の良い患者を抑えるのは気が引けるところだが、そうも言っていられないのが現実。
「お話をもっと聞きたいところなのですが、実は次の患者さんが外で待っているものでね」
「あらあら、そうだった!あまり長居しちゃ申し訳なかったわね!」
やんわりと友雅が促すと、彼女はすぐさま我に返った。
自分もさっき待ち時間について愚痴をこぼしていたところ。同じように順番待ちをしている患者は、外に大勢いるのだ。
「どうもお世話さまでした。じゃあ、先生これからも頑張ってね!」
森村の肩をぽんぽん叩き、友雅が開けたドアをくぐって彼女は診察室を出て行く。
あの軽やかな足取りなら、きっとすぐに完治しそうだ。
内側からドアを閉めると喧噪が途絶える。
「随分と話が弾んでいたみたいだね」
「あー、すいません。調子に乗っちゃって」
待合室が混雑しているのを分かっていながらも、患者に話しかけられるとつい応えてしまう。
一人の診療時間は出来るだけ手短に進め、待機患者の渋滞を作らないよう心がける。これは研修医時代から言い聞かされて来たこと。
だからと言って、何でもかんでも簡潔に対応すれば良いわけでもない。
「診察で一番大切なのは、コミュニケーションだ。時には雑談の相手をするのも正解だよ」
他愛もない会話から分かる性格や嗜好に合わせた治療法を提案し、患者が安心して納得してくれることが最良。
病や怪我から生まれる緊張をほぐし、信頼を得るには時にトークも必要である。
「混雑の様子を見ながら、今みたいな調子で続けておくれ」
「了解っす!頑張りまっす!」
彼の整形外科医としてのキャリアは始まったばかり。今の所は大きな問題もなく進んでいる。
しかし、予期せぬトラブルが起こるのが医療というもの。
出来るだけそんな機会はない方が良いのだが、直面した際にどう対処できるかというのも医師の技量である。
まあ、心配しすぎるのも逆効果だ。しばらくはまめに様子を見ることにしよう。
「そうだ」
ノブを掴んで引こうとした手前で、一旦友雅が立ち止まり振り返った。
「今夜7時大丈夫だよね」
「あー、はい。遅れないように行きます」
モニタの隅に貼り付けたメモ用紙とカレンダーに目をやり、今日のスケジュールを確認して森村は返事をした。
スタッフが行き来するランチタイムの社員食堂。
初夏の日差しは思った以上に眩しくて、これからの季節は窓際に空席が目立つようになる。
せっかくの新緑鮮やかな裏庭もブラインドに隠され、いささか勿体ない気がしないでもない。
「それって多分、天真くんがおばあちゃん子だったからですよ」
カラフルな野菜がたっぷり入った冷製パスタを前に、あかねが昔話を切り出した。
「天真くんちは開業医でしょ。ご両親も忙しかったんで、近くに住んでるおばあさんとおじいさんが世話に来てたんです」
「なるほどね。ご年配の患者さんに慣れているのはそのせいか」
森村家の父は医者、母は事務員として一日の殆どを院内で過ごしていた。
子どもたちの世話は祖父母に一任されていて、あかねが遊びに行ったときも出迎えるのは祖母が多かった。
つまり、天真と蘭の育ての親は祖父母と言っても過言ではない。
「でも、みんな仲良かったですよ」
よくある嫁姑問題も聞いたことがなく、家族旅行などもよく行っていたみたいだ。
「家庭環境という意味で、育ちが良いのだね彼は」
「そうですね。今でも近所の人たちに慕われてますよ」
彼を見ていると何となく想像できる。
本来ならばこんな堅苦しい大学病院よりも、中小規模の個人病院で診察する方が様になりそうだ。
「しっかり教育してあげなくてはね」
「新米だからって、こきつかうのは程々にしてくださいよ?」
と言ったあとで、あかねは付け加える。
「まあ…友雅さんはそんなことしないって分かってますけど」
汗をかいたグラスのオレンジジュース。
ひんやり冷たいそれに手を伸ばして、白いストローを口に近付けながら昔をふと思い出した。
「あ、そろそろ戻った方が良いんじゃないですか」
壁にかけられた時計の数字に目をやり、あかねは友雅を促した。
確か今日の午後は手術の予定が2件入っているはず。どちらも30分程度の割と簡単なものだが、神経を集中することには変わりない。
そういう時、普段ならスタミナのつく夕食を用意する。でも今夜はその心配も手間もいらない。
「そうだ。今夜友雅さんの車に乗ってって良いですか?」
「勿論。駐車場も限られているだろうし、そうした方が良いね」
どのみち帰るところも一緒。出勤する先も一緒。二人の勤務予定が合ってさえいれば、通勤用の車は一台で足りる。
席を立った友雅は、ポケットから取り出したキーケースをあかねの前に置いた。
「私より早く上がったら、車の中で待っておいで」
「はーい分かりました」
差し出されたキーを受け取り、両手の中にしっかりと包み込む。
オペの準備に向かう友雅にいってらっしゃいと声を掛けると、少し腰をかがめた彼はあかねの髪にキスを残して立ち去った。
「…アンタたち見てると、こっちが恥ずかしいわ」
振り返るとそこには、同僚の看護師たちが半ば呆れ顔で佇んでいた。
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