HEAVEN'S DOOR

 006---------
「でも、先生だってあかねにドレス着せたいから、ずっと付き合ってくれてるんでしょ?」
「いろいろアドバイスはしてくれますけどねえ…」
「だったら、ちゃんと挙式も披露宴もやりなさいよ」
やりたいけど…。
彼に手を取ってもらって、真っ白なウェディングドレスを着て、皆の前で愛を誓いたいけれど…。

「でも、少し疲れちゃいました…」
希望も期待も、永遠に持続できるものじゃないと分かった。
やっていない人だってたくさんいるんだから、と現実の結婚事情を改めて見渡してみて、そう自分に言い聞かせる。
結婚式も披露宴も、いくら凝ったところであっと言う間に終わって、それでおしまいだ。
そんなあっけないイベントなんてなくても、幸せに毎日過ごしているじゃないか。
何年もやらないでいられたんだし、今更やったってたいした意味はない…って。
「そういう選択もするべきかなって、思うんですよね」
ずっと二人でいられるんだから、それでいいじゃない。
だから、一緒になろうって決めたんじゃない。
結婚式なんて、ただの儀式。大切なのは、続いて行く毎日。
「だから…もういいやって気持ちもあります。はっきりは決めてませんけど」
気持ちの整理は済んでいないけれど、いつか決着がつくだろう。
日々の中で自分を納得させていければ、気持ちはやがて昇華できると思う…多分。



そして、その日の深夜。
当直室から戻った森村が、ナースステーションにやって来た。
「どうだった?先生の様子」
「普通に見えますけど、心ここにあらずって感じっすよねーやっぱり」
看護師たちが持ち寄ったお菓子を、差し入れという口実で届けさせたのは、さりげなく友雅の様子を探るため。
机の上にはファイルが開かれ、何か小難しい内容の書類を書いている様子だったが、たまに頬杖をついて宛のない方向に視線を向けているみたいな。
「あかねのことで、頭いっぱいですねアレ」
「まったく…。ホント、あかねの反応ひとつで落ちる人だよねえ、橘先生って」
昔は想像に違わず、浮き名の途切れない人だったと聞いた。
けれど今の彼しか知らない看護師たちにとって、そんな噂はありがちと思いつつも非現実に思える。

「で、原因分かったんスか?」
「そうそう、それね。さっきメールの返事来てたんだけどー」
今夜は先輩の看護師と外食すると聞いたから、彼女にメールをしておいた。
こういう状況だったので、何かしら理由が聞き出せたら教えてほしいと。
さっき休憩ついでに携帯を覗いてみたら、彼女から返事が届いていた。
そこでようやく、彼らはあかねの本心を知ることになった。
「はぁ…あの二人、もうそんな長くドレス選びやってたんすねぇ!」
改めて思うと、正直呆れるというか驚くというか。
結婚までのお付き合い期間が長いという話は聞くけれど、ドレス選びで数年って滅多に聞ける話じゃないだろうに。
「後悔しないものを選びたいのは分かるけども、いつまでたっても決まらないんじゃねぇ…」
あかねは、"もう挙式しなくても良い"という答えを出そうとしている。
だがそれは当然本意ではない。
心の中では、ちゃんと結婚式も披露宴もやりたいと、そう思っている。
「いい加減に、踏ん切りつけてもらわないとね。先生を納得させないと」
だからこそ、ここは他人がひと肌脱いでやらねばならぬ。
「森村くんもね、ここまで顔突っ込んだんだから、一緒に頑張りましょうね!」
って、突っ込みたくて突っ込んだわけじゃないですけど…と、ブツブツ言いながら森村は頭をかく。

「あれっ!?」
噂をすれば何とやら。
ナースステーションの前を、白衣を羽織って通り過ぎる姿に気付いた。
「先生、どうしたんですか?」
「呼び出されたんでね、治療しに行ってくるよ」
入院病棟は静寂を保っているが、この病院は救急指定であるため、深夜に駆け込み患者も訪れる。
いつ、どんなことが起こるか分からない24時間体制。
仮眠時間を与えられても、眠れる保証はないのが医療現場の厳しい現実である。

深夜の救急治療は、ものの十分程度で簡単に終わった。
飲食店の調理師が切り傷を作って駆け込んできたのだが、それほど大層な傷にはなっておらず、数針縫っただけで深手にはならなかった。
「いつ見ても、先生の縫合って早いっすよね」
「そうかい?慣れれば誰にでも出来るよ」
友雅の手術や治療には何度も立ち会ったが、他の医師に比べ本当に正確で素早い。
慣れれば…と彼は言うけれど、やはり持った才能とか器用さがあるんだろうな、と思う。

それにしても、あかねのことで魂抜けているようだったのに、本番に入ると完璧に仕事をこなすのは、さすがプロだ。
医師としての技術と腕は、文句無しに尊敬出来る人なのだが…。
それがどーして嫁さんが絡むと、ああなっちゃうんだろうなー。
「…さて、ひと仕事したから少し仮眠取っておこうかな」
いくらなんでも、立て続けに急患が来ることはないだろう。
他にも当直の医師はいるし、次は彼らに任せてこちらはHPを回復しなくては。

「あ、あの!部屋に戻る前にですね、ちょっとだけナースステーションに寄ってくれませんかー?」
「ステーションに?何か私に用事があるのかい?」
「ま、まあちょっといろいろと…デスネ」
"適当に何とか言ってやりなさいよ"とか、"君はあかねの幼なじみなんだから!"とか、責任転嫁みたいなことを言われてきたけれど、これを全部自分がふっかぶってたまるかと。
とにかく連れて行けば、あとは何とかしてくれるだろう。
こういう状況は、きっと女性の方が強いと思う。

友雅を連れて行ったら、案の定裏でぶちぶち言われた。
しかし、あかねのことは女性の問題。
だったら女性が女性の視点で言うべき!とここは森村も強気に出た。
「で、用事とは何なのかな」
「えーと…あかねのことです」
看護師がそう言うと、それまで気を抜いていたっぽい彼の目が、少し光を取り戻した(ように見えた)。
「あかねのウェディングドレスについて、先生にお話したいことがありまして」
「……うん。話を聞かせていただこうか」
椅子に腰掛けた友雅の前に、3つの椅子が置かれた。
そこに横一列に看護師たちが座り、彼と3対1の形で向かい合う。

「あかね、結婚式やらなくても良いって、そう言ってるみたいですよ」
肘をついていた友雅が、姿勢を変えた。
三人の顔を、同時に視野に入れる。
彼女たちの表情は、決して冗談を言っている面持ちではない。
「本人が言ったのかい?」
「はい。先輩からメールで聞きました。原因は、先生です」
自分が原因…?あかねが結婚式をやりたくないと、そう言い出した原因が自分にあると?
喧嘩もしていないし、日常生活だってお互い十分満足していると思う。
それなのに、何故そんなことを言い出したのか、友雅には見当がつかなかった。
「疲れちゃったんですよ、ドレス選びするのが。先生がいつまでたっても、決めてくれないからですよ」

どれだけドレスを選ぶために、時間を費やしたか分かりますか?
何着あかねが、ドレスを試着したか分かりますか?
入籍してからどれだけ時間が経っているんですか?
結婚式を挙げようと決めたときから、どれだけ経っているんですか?
「あかねのドレス選び、何回ダメ出しをしたんですか?」
答えられますか?

彼女たちは真っすぐ友雅と向き合い、一気にそう尋ね続けた。



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Megumi,Ka

suga