HEAVEN'S DOOR

 004---------
午後になって、少しだけ休息時間が取れた。
1日中休む暇なしの印象がある看護師だが、それでも時折こんな風にぼーっと出来る時間が訪れる。
あくまで"時折"であるから、滅多にあるわけじゃない。だから、その機会は大切にしなくてはならない。

「あかね、どうしたの。今日はハードワーク?」
テーブルの上にひれ伏して、しばらく無心になっていたところを、先輩の看護師に肩を叩かれた。
あかねよりも5つ上。既婚者で子どもも2人いるのだが、保育所に預けているので今も現役で仕事を続けている。
結婚すると大概が退社してしまう看護師の中で、あかねにとっては公私ともに頼りに出来る先輩だった。
「疲れてるんだったら、定時でちゃんと帰りなさいよ。今日は先生当直なんだし、ゆっくり一人で寝られるでしょ?」
そんな風に突いてみれば、顔を赤くして反論するのがいつものあかね。
かと思ったら、何故か今日は拍子抜けするノーリアクション。
「どしたの?具合でも悪いの?先生と喧嘩でもした?」
「別にそーいうわけじゃないですけどー」
確かに、喧嘩したなら友雅が黙っていないと思う。
過去の前例をみても、何らかの衝突やすれ違いが生じた場合、どちらに非があろうとも彼があかねを無視出来る訳も無く。
いや、正確にはあかねに無視されることを極端に嫌うので、問題が発生していたら早々と出勤してくるはずだ。
では一体、どうしたということか。

「ねえ先輩。そういえば先輩って…結婚式やらなかったんでしたっけ」
いきなりあかねはむくっと顔をあげ、ぼんやりした目でこちらを見た。
「式は挙げたわよ、一応。非公開でね。披露宴は面倒だし、やらなかったけど」
人を呼べば何かとお金も掛かるし、出来るだけ簡単に済ませようと思って、親族だけで高原の教会で挙式した。
披露宴はやらなかったが、後日仲間内の飲み会で相手を紹介したりした。
「あっさりしたものだったけど、全然問題なかったわよ。その分気楽だったし」
「ですねー。別に、こだわる必要ないのかなぁ」

ん?
「ちょっと、もしかして結婚式とかやらないつもり!?」
あかねの隣に腰を下ろし、彼女は横から覗き込んで来た。
何年もかけてドレスを吟味しているというのに、ここにきてそれを白紙に戻すというのか?
いったい二人の間に、どんな問題が発生したというのか。
「だって最近は、やらない人も多いじゃないですか。籍入れるだけって」
「そりゃそうだけど、アンタたちはやらなきゃダメでしょう!」
「私だって、やりたいですけどー…」
ブツブツ言いながらも、楽しそうにドレスを見て回っていたあかね。
なのにいきなりこんなことを言い出すとは、何としてでも理由を聞き出さねばなるまい。



------その日の、ほぼ同時刻。

子どもたちのレクリエーションが終わり、イノリは休憩を取りに1階へと降りた。
少し太陽は傾きはじめてはいるが、それでもまだ随分と明るい。
春になって、どんどん日が長くなって来た。
暖かさも日々増しているし、これからは子どもたちを外に出すことも出来そうだ。

売店に向かうため、職員用駐車場に続く渡り廊下を通って近道をする。
まだ車は多く停まっているが、そろそろ定時になれば少しずつ減って行く。
それでも常に院内には当直の医師や夜勤の看護師がいるので、駐車場が完全にガラガラになることはない。
「あ、おはよーございます。今から出勤ですかぁ?」
駐車場に入って来たシルバーのBMWから、友雅が降りて来るのが見えた。
当直板にネームプレートがあったので、今夜は彼が担当なのは分かっていた。
「お疲れさま。君はそろそろおしまいかい?」
「そーです。ちょっと休憩してから明日のプログラムチェックして、そしたら帰りますよ」
「そうか。明日もまた頑張っておくれ」
こんな時間でも、相変わらず雰囲気の変わらない人だ。
朝まで仕事が続くというのに、気怠そうな感じなどまったくない。
友雅は車の鍵をポケットに放り込み、イノリと逆の方向へと歩いて行く。
その先の棟には、彼の所属する整形外科の医局があるのだが、多分その前にナースステーションに立ち寄って行くんだろう。
もちろん、入れ違いで帰宅する彼女の顔を見るために。
…相変わらず、ラブラブだよなぁ。
イノリだってそれなりに年頃の、健全な青年であるからして。
よく森村が目の毒だとぼやいているが、その気持ちは非常によく分かる。


「やあ橘先生、丁度良かった」
エレベーターホールに着くと、研究棟から出て来た部長が友雅を呼び止めた。
「実は君に是非あげようと思って、これを持って来たんだがねえ」
片手に抱えたファイルの中から、白い封筒を取り出す。
白鳥のエレガントな模様が描かれていて、恰幅の良い初老の彼には不釣り合いなデザインだ。
「ブライダルフェアの招待状なんだ。うちの姪御の友人が、冠婚葬祭業をやっていてねえ」
受け取った封筒には、見慣れないブランドの名前が記されている。
これまで色々なフェアに足を運んだが、見た記憶がないということは新しいブランドなんだろうか。
「ドレスの展示もあるらしいから、元宮さんと一緒に行ってみたらどうかね?インポートブランドだから、元宮さんの好みにあうか分からないが…」
ああ、なるほどインポートブランドだったのか。
道理で聞いた事ない名前だと思った。

しかし…どうも海外のデザインと聞くと、妙に派手だったりきわどい露出が多かったり、という印象がある。
あかねにはそんな華美なものは似合わないし、露出度が高いドレスなんて、それこそとんでもない。
それでも、せっかくこうして招待状をもらえたのだから、予定を合わせて一緒に行ってみるか。
選ぶ選ばないは別として、彼女が気に入ったドレスがあればそれで良いのだし。


医局へは、遠回りの道順を選ぶ。
この時間ならまだあかねがいるはずで、そろそろ帰宅の支度を始める時間だ。
今夜は一緒にいられないから、ひとめ顔を合わせておかないと(別に決まり事ではないが)。
「あら先生。これから出勤ですか」
「ああ、今来たところだ。まだいるかい?」
ちょっと待っててくださいねー、と看護師が中に入って行く。
余計なことを言わずとも、すぐに話が通じるので楽で助かる。
しばらく外で待っていると、ステーション奥にあるロッカールームから、私服姿のあかねがバッグを手に出て来た。
「一日お疲れ様。症状の気になる患者さんはいたかい?」
「今日は皆さん安定してました。重症の急患もありませんでしたし」
病院はあくまでも仕事場だから、一応そんな風に事務的な会話を交わす。
けれども既に定時を過ぎているし、ナースステーションの前でかしこまったところで、二人の関係は誰もが承知の上だ。
少しくらい私的な会話をしたところで、自然も不自然もない。

「そうだ。実は今夜ちょっと外食しますから、お夜食はお休みさせてください」
「おや、私以外の相手と外食するなんて聞いたら、今夜の当直は集中できそうにないな」
「何言ってんですか。先輩の看護師さんですよ」
名前を聞かされて、友雅は内心ホッとした。同じ整外の看護師で、既婚者であるから"ママさん看護師"と言われて慕われている彼女のことだ。
「でも、彼女の方こそ平気なのかい?子どもがいるだろうに」
「旦那さんが実家に連れて行ってくれるって。だからちょっと…いろいろと」
何だか歯に何か挟まったような、すっきりしない口振りが気に掛かる。
が、あかねだってたまには女性同士で、気兼ねなく話したいこともあるだろう。
男は時に、役不足にもなり得る。残念ながら、こればかりは仕方ない。

「分かったよ。あまり遅くならない程度に、ゆっくりしておいで」
相手も家庭があるから、時間を考えない行動はしないはずだ。



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Megumi,Ka

suga