HEAVEN'S DOOR

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オフィスビルやショップに囲まれた街でも、桜を楽しめるところは意外に多い。
公園だったり、または街路樹だったり。
洒落た店の中庭にも、小さな桜が植えられていたりする。
だが、そういう場所は普段から人の往来が激しいので、花を愛でる風情があるとは言い難い。
---------というわけで、結局またここに着てしまった。
せっかくの休みだというのに、緑の向こうに見えるのは見慣れた勤務先。
でも今日はあそこに行く必要はない。
「誰かとばったり会っちゃったりして」
もうすぐ時刻はお昼になる。
散歩がてら少し足を伸ばして、外に買い物に出ている者もいるかも。

池を囲むように並ぶ枝垂れ桜の枝の先まで、びっしりと咲き誇った小さな花。
舞い落ちた花びらと重なりあいながら、水面にその姿を映し込む。
広大な公園だから、花見客は多くても一カ所に密集することはなく、それぞれ気に入った場所を見つけては、皆程良い距離間を置きながら様々に桜を楽しんでいる。
ボート乗り場沿いに小さなカフェなどもあるが、日曜でしかも花見日和ではすんなり入れるわけもない。
せっかく天気も良いことだし、移動販売車もあちこちに出ているし。
「テイクアウトして、どこかでゆっくり食べましょう!」
「そうだね。邪魔の入らない場所を探して、ね」
彼の意味ありげな口振りに、呆れ気味の視線をちらっと投げかけてみたが、至って普通、動じることもない。
相変わらずなんだから…とつぶやきながら、あかねはサンドイッチスタンドへと向かった。

それにしても、随分と暖かくなったものだ。
外に出るのは大概日曜くらいで、あとは家と病院の間をドア・ツー・ドアで移動するくらい。
院内は常に空調が整っているし、季節の変化を直接感じることはあまりない。
「橘先生?」
手が届きそうなほど枝垂れている桜の枝に、手を伸ばそうとしたときのこと。
名前を呼ばれる声がして振り向くと、穏やかな面持ちの青年が立っていた。
「お休みですのに、ここでなにか?」
「いや、彼女と外出の最中なんですが、桜が見頃なのでちょっとふらりとね」
彼が差す方向に視線を向けると、メニューを凝視しているあかねの姿がある。
ドリンクは何にしようか、サイドメニューはどれが良いか…こういう時かなり悩むのが彼女の性分だから。

「それにしても、今さっき"仕事場の誰かと遭遇するかも"と言っていたんですが、予測が当たりましたね」
とは言っても、永泉だって日曜日は基本休日である。
そんな彼が病院付近を歩いているのは、何かしら用事があるからかと思われがちだが、単に住まいが近いので散歩でもしに来たのだろう。
この庭園付近のマンションに、住んでいるとか噂では聞いた。
古い名家の子息だから生活費を気にせず、仕事への利便さを優先出来るんだろう思われる。
「あっ、永泉さん!こんにちは、どうしたんですか?こんなところで」
ようやく決まったメニューを抱えて、あかねがこちらに戻って来た。
「私は図書館の帰りなんです。予約していた本が、やっと返却になったと連絡がありまして」
紙袋に入っているのは、分厚い専門書のような本が2冊ほど。
真面目な彼の事だし、多分仕事の参考に使うものなんだろう。

「今日はこれから、ドレスの試着に行かれるのですね。素敵なものが見つかると良いですね」
「はぁ…」
素敵なものは、たくさんあった。気に入ったものも、たくさん着た。
でも、それなのに決まらない。
"これに決めた!"と何度も思ったものに出会えたのに、未だにサインが出来ない。
「披露宴では、とびきり美しい花嫁をお見せ出来ると思いますよ」
「楽しみにしていますね」
そんなにこやかに会話しているけれど…だったら早く花嫁にして欲しい。
美しいなんて言葉は自分に当てはまらないが、ウェディングドレスを着れば一割増くらいにはなるだろうし。
「さて、ランチを早めに済ませて…メインイベントに急ごうか、花嫁さん?」
「そうですね、花婿さん」
半分嫌みを含めて、あかねはそう答えてみた。



ドレスのショールームには何件も通ったけれど、ここ一年くらいは数件に絞った。
あかねが気に入ったデザインの多いところを選び、4件の店に通いづめている。
何度も頻繁に顔を出しているおかげで、スタッフは全員顔見知り。
店に入ると、すぐに女性スタッフがやってくる。
「丁度新しいドレスが、何着か入荷したんですよ。元宮さんの好みに合いそうなもの、チョイスしておきました」
あかねの好みも、すべてチェック済み。
これだけ通って未だに決めない客なんて、あきらかにブラックリスト入りになる。
なのにいつも好意的なのは、付き添いの友雅の存在もあるだろうが、予算に上限はないと彼が伝えているからだ。
どんなに高価でも、あかねが気に入ったものなら構わない。
つまり、選んでもらえれば相当の売上げが望めるということで、何とかして決めてもらおうと必死である。

「じゃあ、試着室に行ってきますね」
「行っておいで。楽しみにしているよ」
スタッフに案内されて、あかねはドレッシングルームへと向かう。
こうして彼女を見送るようになって、もう随分経つけれど毎回気分は新鮮だ。
ウェディングドレスなんて、どれもこれも同じにしか思えなかったが、意外と違いがあることに気付く。
だから、あかねが色々なドレスを着るたび、違った姿に見えるのが面白い。
妖精のように可愛らしくもあれば、肩が出たものは艶っぽくもあるし。
彼女も色々着るのが楽しいだろうけれど、見ているこちらも楽しいものだ。
「橘さん、お呼びですよ」
ドレッシングルームから、スタッフが友雅を呼びに来た。一着目のドレスを着終えたらしい。

ドアを開けると、自分の花嫁がそこにいる。
胸元と髪に純白のバラのコサージュ。所々にリボンでドレープが作られ、広がりのあるプリンセスライン。
真っ白なシルクの布に包まれて、白いバラの花が一輪咲いたかのような姿。
「似合います?」
「背中に翼があれば、本当に天使そのものだね」
清楚で可憐で、あかねのイメージにぴったりだ。誰が見ても美しいと思う。
きちんとメイクをすれば、更に眩しい姿になるだろう。
「愛らしさのあるデザインですよね。フレンチスリープにバラがあしらわれて…」
スタッフが友雅に、簡単なドレスの説明をする。
だが、彼にとってはドレスの概要なんて関係なく、身を包むあかねの姿が美しければそれで良い。
ゆっくりと立ち上がって、彼の前でひらりと回転してみる。
かすかな動きでも生地がゆるやかに揺れて、その変化もなかなかだ。
「お似合いだと思いますよ。如何でしょう?」
さあ、彼がOKと言ってくれるか。
売る側としては何とか今回で、決着をつけて欲しいところ。

しかし。
「十分美しいし、あかねによく似合っている。けれど…もう少しね、背中が空いていなかったらねえ…」
ああ、やっぱり…とスタッフは思った。
これでも控えめなデザインを選んだのだけれど、肌の露出に厳しい彼はごまかせなかったか。
「もうちょっとパターンが欲しいな。他のも着せて見せておくれ」
これくらいで諦めてたまるものか、とスタッフは次々に厳選したドレスをあかねに勧めた。

だが結局、その日もいつも通りの日曜日となってしまったのだった。



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Megumi,Ka

suga