HEAVEN'S DOOR

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「おつかいから戻りましたー。これですよね」
再び病室にやってきたあかねは、紙袋に入った雑誌を患者に手渡した。
「そうそう、どうもありがとう。毎月楽しみにしてるのよ」
「いいえ。何か用事あったら、ついでに声かけてくださいね」
入院中なんて気が滅入るばかりだし、それに安静状態じゃ退屈なだけだし。
好きな本や雑誌くらい自由に読んだりして、少しでもリラックスして過ごしてもらいたいものだ。

「あら、お花なんか持ってどうしたの?」
向かい側のベッドにいる患者が、手に持っていたブーケに気付いて、あかねに声を掛けて来た。
「もしかして、先生からのプレゼントかしら〜?」
「ち、違いますよ。綺麗だなーと思って、家の中に飾ろうかなって」
「良いわねえ。お部屋にお花を飾るなんて、新婚さんらしいわねえ〜」
あちらこちらの患者から、そんなひやかし言葉が投げかけられる。
仕事場では上司と部下を貫いているのに、二人の関係はすっかり筒抜けだから、どこの病室に行ってもこんな調子。
世話焼き好きな年配女性の多い部屋は、集中攻撃が凄いのなんの。



「はぁ…困っちゃうな」
何とか切り抜けて病室を逃げて来たあかねは、再びナースステーションへ続く階段を下りて行く。
一段一段ゆっくりと踏み降りていくと、踊り場の窓から隣接した都市公園の景色が望める。
もうそろそろ、桜が咲き始めるだろうか。
池の周りをぐるりと囲む桜が咲くと、緑の公園にピンクのリングが出来上がる。
院内の庭にも桜の木はあり、花見のつもりで散歩する患者も増えるこの季節。
気温がどんどん暖かくなるので、屋上やテラスに出て公園を眺める者も多い。
「いいな、お花見かー」
「次の休み頃には、ちょうど満開になるらしいよ」
いつのまにか、背後に人が近付いていた。
その人はあかねの身体を覆い尽くすように立ち、後ろから伸ばした手で彼女をふわりと抱きすくめた。
「会議終わったんですか?」
「やっとね。年度の切り替わりは面倒なことが多くて疲れるよ」
外来担当のタイムテーブルが、この時期には変更になる。
それによって、引き継ぎや別の科との連携も見直しが必要になったりと、何かと慌ただしい日々が続いている。

「それより、人の気配がないのを良いことに、何ですかこの手は」
自分の胸の前で組合わさる手を、軽くぱちっと叩く。
「天使様を見つけたら、逃げないように捕まえないと」
あかねの肩に顎を乗せて、彼女が眺めていた窓の外に目を向ける。
うっすら色付く公園の景色。甘い春の香りが漂って来そうな。
「せっかく満開の時期だし、次の日曜は花見も兼ねて、早めに出かけようか」
二人の休日がぴたりと合うのは、日曜と祝日くらいしかない。
土曜は隔週で休みになっているが、大概どちらかが出勤のローテーションだ。
そんな貴重な休日は、二人でなければ出来ないことを優先する。
そうは言っても、ここ何年かは大体同じ予定で過ごしているのだけれど。

「ところで…私の天使様に無断で花を贈ったのは、どこの誰だい?」
彼女が握っている、ピンクと白のトルコギキョウを束ねたブーケ。
でも、一輪挿しで十分なほどのささやかな本数だ。
「お花があると、パッと明るくなるじゃないですか。部屋に飾ってみようかなと思って買ったんです」
「確かに。でも私としては、天使様の姿の方がその場を明るくしてくれるけどね」
花を持つ彼女の手を、外側から友雅の両手が包み込む。
重なる二人の手のひらに包まれて、まるでそこから花が咲いているよう。
こんなふうにお互いの手を添え合って、大きなケーキにナイフを入れる瞬間。
いつしかやって来ると思っていたそのイベントは、未だに実現しないまま時間ばかりが流れて行く。
「もう…今度こそ決めましょうね」
毎週呪文のように、彼に同じことを言っている。
あなたのために、早く純白の花嫁衣装を身に着けたいと思っているのに。


「元宮さん、おはようございます!」
ナースステーションに戻ると、明るい声があかねを出迎えた。
時計の文字盤は、午後4時すぎ。
こんな時間に"おはよう”なんて挨拶を交わすなんて、まるで芸能界のような感じだけれど、遅番や夜勤のスタッフはこれから一日がスタートする。
夜の帳が下りてとっぷりと夜が更けても、朝になるまで仕事は終わらない。
もうすぐ退社する予定の彼女も、まだそんな生活が続いている。
「大丈夫?今日は披露宴の打ち合わせとか、言ってなかった?」
「行って来ましたよー。やっとこれで、引き出物とケーキが決まりました」
結婚式はもうしばらく先でも、段取りと準備は時間を掛けなくてはならない。
特に花嫁となると、ドレスだエステだお色直しだ…と、何かと予定を強いられる。
「ま、そこはねえ。花嫁衣装を綺麗に着こなすために頑張りなさいって」
人生で数少ない、女性の踏ん張りどころでもある結婚式。
綺麗な花嫁衣装をより一層綺麗に見せるため、努力を惜しんではいられない。

「そうそう!ドレスのサイズ確認もしてきたんですけどね。見て下さいよー」
「わ、可愛いじゃないのー!」
披露宴会場でもらってきたカタログの1ページを開いて、みんなに見えるようにテーブルの上に置く。
たっぷりのオーガンジーフリルが足下まで広がり、頭にはコサージュを添えたシルクのハット。
パールのネックレスに、ワンショルダーにはバラモチーフのリボン。
彼女の選んだは、若々しいキュートな雰囲気のお姫様タイプだ。
「どうせなら、試着した写真もって来て欲しかったなー」
「一応それは本番まで保留ってことで」
ドレスカタログを見ながら、彼女を囲んで会話に花が咲く。
独身であろうが既婚者であろうが、結婚式やドレスの話題にはテンションが上がる。それが女性というもの。
なかなか決着のつかないあかねもまた、その輪の中心にいる。

「いいなぁ〜可愛い」
思わず、そんな言葉が自然とこぼれてしまう。
似たようなデザインを試着したことはあるが、やはりウェディングドレスは見るたびに新鮮な感動がある。
「元宮さんも、早く決めてくださいよ!」
はあ…決めたいのはやまやまなんですけどね…。
今すぐにでも決めたいのだけれど。
「ダメダメ。それはあかねにじゃなくて、先生に言わなきゃ」
そう。早く決めろとけしかけるのは、花嫁になるあかねではなくて友雅の方。
彼がうなづいてくれなくては、いつまでたっても決まらないのだし。
「ホント、みんなで言ってやってくださいよ…」
詩紋にはケーキを、栄養士の永泉にはコース料理のメニューを…と、協力者の約束も取り付けてあるというのに、いつになったら実現出来るのやら。

「あかねのドレスもだけど、先生のスタイルだって気になるしねえ?」
タキシードでもフロックコートでも、きっと彼なら完璧に着こなせるはず。
花嫁だけに視線が集まるのが普通だが、彼らの場合は新郎新婦そろって注目の的となるに違いない。
「準備で忙しそうなのは大変だろうけど、私もわたわたしてみたいなぁ」
楽しさと嬉しさから生まれる忙しさならば、苦痛でもなんでもない。

次の日曜こそ、絶対に。
絶対に友雅さんをうなづかせて見せるんだから!



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Megumi,Ka

suga