HEAVEN'S DOOR

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春先は、出会いと別れの季節だ。
学生時代は毎年それを痛感したものだが、社会人になってからもこの時期はそんな出来事が多い。
「送別会と歓迎会が立て続けだもんねえ」
ナースステーションの壁に貼られた、医薬品メーカー製のカレンダー。
3月には送別会が3つ。4月には歓迎会が2つと記入されている。
公の歓送迎会はそれぞれ1つずつだが、その他は内輪だけで行うもの。
「次の送別会のお花担当って、あかねだっけ」
「うん。もうお店に頼んであるから大丈夫」
お別れ会には、みんなでお金を出し合って花を贈るのがならわし。
しかし回数も増えると似たり寄ったりになるので、その都度オーダー担当を順繰りで決めている。
今回は、あかねの担当。
前回は花束だったので、今回はそのまま飾れるアレンジメントで頼んでおいた。
冬場の送迎会は花の種類に困るが、この時期は色も種類も豊富で選びがいがある。
とはいえ、寿退社する相手には、いつの季節もカサブランカは欠かせない。

「それにしても、あの子が結婚ねえ…」
感慨深気につぶやいたのは、あかねと同期の看護師。
同い年とは言っても、彼女は高校卒業後に看護学校に進んだルートなので、あかねよりは少々年上だ。
そんな彼女が"あの子"呼びなのだから、相手はそれよりも年下か後輩にあたるわけで、実際彼女より3つほど年下の看護師だった。
「また追い越されたわぁ」
「別に、今時結婚の適齢期なんてありませんよ」
「あかねに言われたくないけどねえっ」
後ろからはがいじめにされて、頭をぐりぐりと小突かれる。
もちろん、女子同士のじゃれあいのようなものだが。
「でも、結婚式って7月とか言ってましたよね。随分と余裕持って退社ですね」
「まあねえ、こういう仕事してると、なかなか準備が進められないんじゃない?」
医療関係の仕事でも、特に医師や看護師などは勤務時間が不規則だ。
基本日曜祝日は休みでも、交代で出なければならない時もあるし、夜勤や早番遅番のローテーションがある。
これではスケジュールや準備も、順調に進みにくいだろう。
「7月かぁ…。今年の夏用ドレスって、どんなのがあるのかなあ」
一応夏と冬それぞれに一式は持っているけれど、同じ職場での冠婚葬祭となるとバリエーションが気になるところ。
なので、最近はあかねを含め、皆レンタルドレスで済ませることが増えた。

「ちょっとあかね、あんたはそっちじゃないでしょ!」
ばん!と手のひらがあかねの目の前で、机の上に叩き付けられた。
「あんたの場合は、ゲストドレスじゃないでしょーが!いつ主役のドレスを着るつもりなのよ!」
主役のドレス…というのは、つまりウェディングドレスのこと。
「正直な所、どうなってんの?ドレスとか試着しに行ってんでしょ?」
「はあ、まあ一応…」
ドレスの試着には行っている。それは間違いない。
ウェディングドレスだけじゃなく、和装もカラードレスも数えきれないくらい試着しまくって、それは今も現在進行形。
「現在進行形ってあんた…籍入れてから何年経ってるのよ」
「ええと、あ、もう3年くらい経ってる?」
それを聞くと彼女は頭を抱え、深く呆れたようなため息をついた。
「あのさぁ、籍入れて3年もしたら、子どもがいる夫婦だって少なくないよ?」
ごもっともです。
何の反論も出来ません。

「そりゃさぁ、最近は結婚式とかやらないカップルも多いけどさ。でも、そんだけドレス試着とかしてるんだから、その気はあるんでしょ?」
「友雅さんがいろいろ、注文うるさくて…なかなか」
「…まあ、分かるけどさぁ。あの橘先生だし」
"あの”橘先生だし。
院内に勤務する者の殆どが…いや、入院患者や通院している患者の間にまで、彼の愛妻っぷりは周知の事実。
あまりにも彼女にピントが合い過ぎて、その視野に男性が入って来ようものなら…敵対心が四方八方網の目のように飛びまくる。
そこらにいるホストだって、尻尾巻いて逃げ出す程のルックスを持っているくせに、その本気モードは半端ない。
故に、彼女のドレス選びについても、あれこれ渋っているんだろう。
一般的にウェディングドレスといったら、腕や肩や襟ぐりの広いデザインが多いものだ。
「好きに決めて良いって言いながら、結局ぐずるんですもん」
さすがにあかねも何度か文句を言った。
しかし、結局最後の最後まで強気を押し続けることが出来ない。
だって…あの笑みで近づいて来て、耳元で"他の男の目に触れさせたくない"とか言われたら…言葉を失う。

「アンタもねぇ、先生を甘やかし過ぎよ」
「で、でも…!みんな言うじゃないですか、甘やかしてくれないと困るって!」
あかねのご機嫌が、そのまま彼に比例する。
仕事だけはどんな時だろうと、問題なくこなしてくれるのはさすがプロだ。
だが、それ以外の彼はぼーっとしているか、遠巻きにあかねの姿を目で追い掛けているかのどちらか。
そこに彼女が一言でも声を掛けたら、とたんに彼の耳と尻尾がぱたぱたと動き出す(ような気がする)。
ホントによくもまあ、あの彼をそこまで惚れ込ませたものだ。

「でもさ、ホントにそろそろ決着つけないと。ドレスだって年令によって、着られないデザインが増えて来るんだから」
まだ十分にあかねは若いけれど、3年近くも放置している。
このままじゃいつになっても、踏ん切りがつかないんじゃないか。
「そろそろ先生にも、ちゃんと言いなさいよ。あっという間に5年10年になっちゃうわよこれじゃ」
そう言うと、彼女は棚の上に置きっぱなしになっている雑誌を、あかねの目の前に置いて差し出した。
寿退社が決まった後輩が、暇さえあればよくめくっているブライダル雑誌。
巻末のドレスカタログには、純白のドレスに身を包んだ女性が、幸せそうな笑顔を浮かべている。



「元宮さん、ちょっとお願いがあるんだけど」
巡回に行った病室で、年配の患者に呼び止められた。
彼女はママさんバレーで靭帯を傷めて入院し、一昨日手術をしたばかり。
予定では今日あたりからリハビリだったのだが、まだ痛みがあるというので様子見しながら安静にしている。
「あのね、いつも読んでる雑誌がそろそろ出る頃なのよ。買って来てもらえないかしら」
「良いですよー。丁度これから、売店まで用事があったので」
患者からお金を預かり、あかねは一階の売店へと向かう。
ホテル並みのショップが併設された院内には、ブックストアも存在している。
頼まれた雑誌を無事購入し、お次は自分の用件を済ませにフラワーショップへ。
「すいません。こないだ頼んだお花なんですけど…」
送迎会用のアレンジメントは注文済みだが、後輩の好きな花があったのを思い出したので、それを取り入れてもらおうとお願いにやって来た。
「大丈夫ですよ。じゃあ色合いを合わせて作りますね」
「お願いします。可愛い感じで」
店員がオーダー表に変更内容を記入している間、ふと周りを見渡してみた。
並べられている花の色は、ピンクやイエローなどカラフルなものばかり。
冬の間はどこか落ち着いた雰囲気がしていたけれど、今は花に添えられた葉の緑も明るく見える。
ああ、春なんだなあ…。

「これ、ください」
あかねは小さなバケツに入った、トルコギキョウのミニブーケを手に取った。
何の理由もないけれど、強いて言えば部屋に飾ってみたいと思ったというか。
例え道ばたに咲いているタンポポでも、シロツメクサでも良い。
生活の中に花の彩りがあると良いのでは、なんて思ってしまうのは、やはり春のせいかもしれない。



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Megumi,Ka

suga