誓いのキスは何度でも

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24時間を12時間くらいのスピードに錯覚する者が増え始めた頃、忘年会の当日がやって来た。
「イノリせんせー、オシャレしてる!デートなのっ?」
「おまえらマセ過ぎだぞ!今日は、大人が集まるパーティーなのー」
普段とは明らかに違う服装のイノリに、小児科の子どもたちがはしゃぎながらまとわりつく。
動きやすさを第一にしているので、彼の仕事着はTシャツにジャージなどのシンプルカジュアルなスタイル。
今日のようにジャケットとスラックス姿の彼なんて、初めて見たという子も少なくないだろう。

駐車場に続く階段を下りると、既に数台の車がエンジンを掛けて停まっていた。
今夜は酒も並ぶ席なので、アルコールの苦手な者が必然的に運転手の役となり、車を相乗りして会場へ向かうことになっている。
「イノリ、こっちこっち!」
シルバーのアテンザから、森村が大きく手を振っている。
運転席に源、助手席に藤原、後ろに森村、永泉、詩紋が座っていた。
「あれっ?安倍先生はまだ来てねーの?」
もう一人この車に乗るはずの安倍が、まだ姿を現していない。
すると、窓際に座っていた永泉が口を開いた。
「急患が入られたとのことで、後から参られると言づてを頂きましたよ」
「ほら、こないだ入院した三つ子妊娠してる奥さん。何か午後になって、いきなり産気づいたらしくて」
「ありゃ〜、大変だなあ…」
幸い母体は安定しているそうだが、三人も一度に取り上げねばならないのだから、産科は今頃おおわらわの状態だろう。
「でも、お産終わってから駆け付けても、先生疲れてるんじゃないかな?」
「私もそう提案したのですが、"さすがに今回は顔を出さねばならない"、とおっしゃってまして」
「今回は?って…どういう意味ですか?」
詩紋や藤原が、永泉に問い掛ける。しかし、手術室に向かう途中の安倍に遭遇した彼も、真実を含む答えを聞かされていない。
車内全員が、首を傾げた。
時間の無駄は最小限に留めたい。遊びや娯楽に付き合う暇があるなら、それらを自分の自由時間にスライドさせたい…というのが普通の安倍だ。
なのにたかが忘年会、しかも少人数のプライベート感溢れる宴会に、何故自ら顔を出さねばと気にかけているんだろう。
「そういうの、気にする人じゃねえよな〜、あの先生」
「まあともかく…私たちは先に向かいましょう」
色々推理推測しても埒はあきそうにない。
既に他の車は出発している。そろそろ出掛けなくてはこちらまで遅刻してしまう。


そして-----到着した忘年会会場。
大通りから路地を抜けると、闇に浮かび上がるオレンジ色のイルミネーション。
フランスのプチホテルのような佇まいの建物に、今宵はクリスマスカラーも添えられて。
「ええー!?安倍先生来てないのぉ!?」
先に到着していた看護師やクラークの女性たちが、藤原から話を聞かされて思わず声を上げた。
「いやいや、来ないってわけじゃないですって!遅くなっても来るからって言ってたらしいっす!」
ブツブツ言っている女性群は、皆やけに気合いの入った装いをしている。
"カジュアルめのフォーマルレベルで"と、非常に分かりにくいドレスコードを指定されたおかげで、イノリや森村は散々服装に悩まされた。
とにかく、ジャケットとスラックスにネクタイがあれば良いだろ、という結論に達したのだが、それと比べてこの女性たちは…。
「結婚式の二次会みたいなカッコっすね…」
「やーだ。これくらい女性のたしなみよね〜ぇ!」
当然のことだと顔を合わせてうなづく彼女たち。
しかし…あくまでプライベートな忘年会に、スパンコールやらレースやら、パールのネックレスやら、髪を下ろして巻いてみたりとか……絶対にやり過ぎだと思うのだが。
「森村くんもさぁ、バラの花一輪でも胸ポケットに飾ってみたら?」
「冗談!そんなカッコが様になる男なんて、あの人くらいじゃないっすか!」
そう、そのあの人の姿はどこへやら?
「橘先生とあかねは?」
「それがねえ、いないのよ。で、さっきスタッフの人に聞いたら、まだ来てませんて」
「来てないって…幹事じゃないっすか、あの二人」
この店を予約したのも、段取りを決めたのも友雅とあかねだし、彼らがいないのに中へ入っても良いのだろうか。

すると、品のある物腰の男性スタッフがやって来た。
「どうぞ皆様、中にお入り下さい。橘様より全て伺っておりますので」
クリスマスリースが飾られた入口をくぐると、カウンターに男女のスタッフが会計係として待機していた。
サンタクロースの人形のそばに置かれたツリーには、小さなリボンのついた箱がいくつも飾られている。
「おひとつずつ、お好きなものをお取り下さいませ。中に当たりくじが入っておりますので、開封せずお持ち下さい」
「へ〜。クリスマスっぽいな、こういうの」
もうすぐイヴだし、当日は病棟の子どもたちとパーティーを開く。
こんなお楽しみを用意してあげたら喜ぶかもなあ、と箱を手にしてイノリがつぶやいた。

まだ薄暗いホールの中には、オルゴールのクリスマスソングが静かに流れている。
キャンドルのような照明、大きなクリスマスツリー。
壁際に設置されたテーブルの上には、シャンパン、ワイン、ソフトドリンクなどのボトルの他、オードブルやメインの料理がセッティングされている。
「"カクテルのオーダーも無料で承ります"だって」
「ちょっと、見てよデザート!まるでスイーツバイキングみたいな量だよ〜!」
新鮮なフルーツを中心に、宝石のようにきらびやかなケーキやゼリーを配した盛り付けに、女性たちは大はしゃぎ。
「何かクリスマスパーティーみたいだね、天真先輩!」
「おまえ、好きだよなーこういうの。俺は居酒屋とかの方が気楽でいいわ」
楽しそうにホールを見渡す詩紋とは逆に、森村は宴会が始まる前から食傷気味。
だが、女性のテンションが盛り上げるだけではなく、別のテーブルには男性たちの空腹感を誘うメニューも用意されている。
「随分とバラエティ豊富な料理ですね」
「ええ。肉料理も魚料理も、色々な形に調理されているようです」
メインディッシュのテーブルを、感心しながら眺めているのは藤原と永泉。
イタリア風のカルパッチョもあれば、そのまま食材を活かした刺身や寿司もある。
「盛り付けも綺麗で、食べる側も楽しく食事が出来そうですね」
栄養士の永泉は、盛り付けにも感心していた。
どれもこれも手軽に楽しめるよう、洋風にアレンジした器などを揃えてあり、見た目にもボリュームも十分豪華に感じる。
「肉、美味そう…。」
そういや最近出費が多かったので、しばらく肉を食っていないな〜と森村がつぶやけば、今夜は食いまくる!と決意を新たにするイノリがいたり。
立食スタイルではあるが、カウンターの他に大きめのコーナーソファがあったり、こじんまりとしたテーブルとチェアなどもいくつかセッティングされている。
オットマン付きのソファにはゴロ寝もOKと、ドレスコードを指示された割には各自気楽に楽しめるような工夫がある。

「しかし…これはかなり予算を使われたんではないでしょうか」
あまりにもサービスの行き届いた内容に、源や藤原がそんな話を切り出した。
予算は出来るだけ抑えたいとの意見を取り入れ、5000円以下で4000円を会費に決めてある。
その会費と集まった人数をざっと計算しても、これだけの用意は予算オーバーは必須ではないだろうか。
もしや、彼らがポケットマネーを補充したのでは?
友雅ならそれくらい懐も余裕があるだろうけれど、それではあまりに申し訳が立たないし不公平でもあるし。
「お二人がいらっしゃったら、尋ねてみた方が良いですね」
出席者はみんなハイテンションで盛り上がっているが、生真面目が長所でも短所でもあるこの二人には、真実を知ることの方が先らしい。

その真実を知る問題の二人は…未だに姿を現さない。
「すみません、幹事の方はどちらに?」
もうそろそろ宴会スタートの時刻。痺れを切らした藤原が、入口にいたスタッフを呼び寄せて尋ねた。
スタッフはインカムを使い、どこかに連絡を取った。
「申し訳ございません。今しばらくお待ち下さいとのことです」
「会場にいらしているんですか?」
「はい。もうすぐお越しになると思いますが、先にお食事を進めても結構とおっしゃっておりました」
「…いえ、お待ち致します」
さすがに二人がいなくては、開会の音頭も取れない。



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Megumi,Ka

suga